”何かを始めた時”の気持ち 「在宅中に情報発信」その10

「その10」まで情報発信という名の、ただの独り言を発し続けたこと、自分でも頑張ったなと思います。

情報発信ではなく、この暇でどうしようもない在宅時間に、流し見してもらうだけの記事という風な感じにはなりましたが、
読んでもらったことが嬉しかったです。

今回は、この「情報発信」というネームをつけて記事を書いたことで、感じたことがありますので、それを述べさせていただきます。

ご覧くださいませ。

(ませ。っていうの結構使っちゃうんだが、悪い気しますか?どうですか?)

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始めたきっかけは、暇だったから。


YouTubeを始めたい!とか、ブログを始めたい!ってポジティブに考え始めること、みなさんにもあると思ってます。
今の私も、「YouTube初めて見たいな」という思いが、実際あります。

そんな時私は、すごく吟味して、果たして続けられるのか考えまくって、結局やらなかった。っていう結末になることがほとんど。
なんだか悲しいですね。泣

意外と、始めるための背中を押してくれるきっかけのようなものは、なかった方が始めやすいのでは?と思うのです。

私がこの「情報発信」を始めたのは、暇だし、時間が有り余っているし・・・という理由でした。

だから、もしYouTubeを始めるのなら、「やりたい!」って思っている今よりも、ちょっと気持ちが収まってきた頃くらいの方が、ちょうど良いのかもしれないと。

これは、私の主観にはなりますが・・・

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「情報発信」という名前をつけたけど、内容はそれほどまでには至っていなかった。それで良かったのでは?


内容が薄かったこと、自覚ありです。

でも、そんなものでも、発言をし続けたこと(たぶん1人言ではありましたが)は、良かったのかなと思っています。

YouTubeだってnoteだってそうですが、一字一句同じ内容が生まれることは、絶対にないと信じています。
そこに面白さと、引きつける魅力みたいなものが隠されているから、誰かが見て誰かが作ることが成り立っているのだと。

私の書いた、なんてことない情報だって、すでにこの大きな世界の中では、誰かしらが発言しているのだと思います。

でも、それを、私が発言することによって、新たなものが生まれるのでしょう。

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「なんとなく暇だったから」と口では言っていますが、やっぱりその気持ちの後ろには、何か強いものがあったのかもしれません。

私の場合は、小さい頃から音楽を続け、ピアノ、歌を続け、芝居をやったこともあり、「表現」というものが頭のどこかにいつも置かれていました。
だから、「表現」の手段になるものを見つけたら、それに取り組まない理由は1つもないのです。
noteをしているのもそう。

結論


「内容ではなく、その行動をしたことに意味がある。
始める理由も、行動したいという人間の欲求が働いたからにすぎない。」

「在宅中に情報発信」シリーズでは、運動に関しての記事もアップしました。
運動も同じことのような気がします。

動くことってこういうことなんだ。って、この在宅中に思えたことが、
今後の自分の大きな成果に繋がると良いな。





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