失敗の重ね方を、具体的に考えたい。

する失敗としない失敗。

これは完全に自分用のメモとして残しておきたい話。

よく「失敗を積み重ねることの大事さ」について聞く。
失敗はすればする程に良いとか。
私はそんなこと信じないし信じない予定だった。

でも、失敗にも種類があるって考えたら、その言葉もすんなり耳に入ってくるような気がした。

冒頭で言った、する失敗としない失敗という話。

私自身、する失敗についてのエピソードは特にない。
”する”とはイコール、自ら動いて行動することだと思っていて、私自身、それについて語れないくらいに消極的だからだ。

しない失敗については、たくさんのエピソードがあると思っている。

「〜しなくて失敗した。」

”しない”とは後悔しているという意味ではなくて、しないことが失敗に直接つながっている。
後悔とは、”した方が良い結果を得られた”ことなのだ。
しなかった行動は、直接的に失敗につながっているから、後悔とは違う捉え方をする。

しない失敗をする時、私は至って冷静でいる。
冷めた顔をしていられるくらいに、感情や行動は動いていない。
そのことに気付いているから余計に、しない失敗の怖さを知っている。

私がしない時、周りの温度が上がっていることを感じる。
多分、私の持つべき熱が、周りに分散されているからだと思っている。

「〜して失敗した。」

これは、人によって失敗の程度がそれぞれだと思う。
私の場合、言い過ぎた、喋りすぎたなど、人との境界を超えてしまって失敗したなという経験はある。

一つの質問に対して答えは一つである。
なのに私は、何個もどんなことでも、その境界を超えて言葉を投げている時がある。

人から見たら、そんな返答はどうでも良い部類に入る。
しかし、私はその時、それには気付いていないのだ。

だから、する失敗としない失敗の割合は、どちらかが多くてもいけないし、どちらかが少なくてもいけない。そう感じた。

でも、私のように「失敗することがそもそも間違いだ」という考え方を持つ人は、する失敗をなかなか出来ないだろう。

「しなくても、それは失敗につながる」と考えれば、ちょっとは動きが持てるかもしれないと思った。






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