私の母を勧誘した統一教会の人々の記憶

今だからこそ振り返ろうと思う


 安倍元総理が殺害されてから、メディアの報道が変わった。あの事件の前まで統一教会のことなどまったく報道していなかったメディアが、突如として政治と宗教の癒着について、アメリカの政治家にまで繋がっていたことも含めて深堀するようになった。驚くのは、インタビューに応じる人々のほとんどが「じつは今まで知っていました…」と答えることだ。多くの人々が知っていたことなら、どうして今まで報じなかったのだろう? 統一教会は過去に一時期問題になり、その時はメディアを騒がせたが、今はもう活動が下火になっている団体なのかと思っていた。それが違った。だから私は今あえて、過去の話を書こうと思う。私がまだ小学生の頃の話だ。

養護学校の駐車場で毎日声をかけられた

 私には3歳下の妹がいて、彼女は生まれつき脳性麻痺を患い、小学校から高校まで横浜市内にある養護学校に通っていた。妹がまだ小学生だった頃、学校の正門前や駐車場に、ほぼ毎日立っている複数の人たちがいた。彼らは学校に子供を送り迎えする親たちに声をかけては、親しくなろうとしていた。彼らが統一教会の信者たちだと、教師たちも生徒たちも皆知っていたが、断ることもできずに、ただうまく会話を受け流したり我慢したりすることしかできなかった。

 これは30年も前の話だから、今とはだいぶ状況が違っていた。当時の養護学校にはスクールバスがまだなくて、母親が歩けない子供の送り迎えを毎日していた。養護学校というのは普通の小学校のように各地区にはないから、横浜市内に数校しかないそのひとつに通うために、母親たちは片道20~30キロある道のりを毎日送迎していた。私の母もそのひとりで、片道一時間半かけて妹を学校に送り届けた後の駐車場で、にこやかな優しい笑顔でねぎらいの言葉をかけてくれる人が現れたら、思わず心が緩んでしまう。そこをあえてそっけない言葉で跳ね返し、優しい笑顔の裏にある思惑に騙されないようにしなければと、気を張って毎日を過ごすのは、辛かっただろうと思う。母はそんな日々を送っていた。私の母だけでなく、当時一緒に養護学校に通っていた妹の同級生の親たちも皆そうだった。

 勧誘に来る信者たちは、「障がいは前世からの罪だ」と言った。身体障がいを持って生まれたことは、前世で悪い行いをしたその罪が現世に現れてしまっている証拠だから、心を悔い改めて今を生きなさいと、当時の勧誘者たちは堂々とそう言っていた。これはとてもトリッキーな文句で、今の感覚では考えられないことかもしれないが、当時は宗教家や一般の人の間でも障がいをこのように捉える人が少なくはなかった。実際に、ご近所のお年寄りに私も似たようなことを言われたことがあった。彼らは悪気で言ったのではなく、そのように考える傾向が当時の日本社会にはまだあったということだ。

 障がいイコール罪の現れという馬鹿げた勧誘の言葉は、しかし当時の母親たちの心を揺らがせた。障がい児を生んでしまったことで、自分を責めている親たちは当時けっこう多くいた。(あるいは今もいるのかもしれない)歩けないことや話せないことは、子供本人が誰よりも辛い。そんな体に生んでしまったことを、何かの形に昇華させることで自分も子供も救われたい。母親たちのそうした悲しみにすっと入ってくるような具合にして、統一教会の勧誘者たちはやってきて、何人かの母親は入信してしまった。

 統一教会に入信した親たちは、それまでの養護学校コミュニティから徐々に離れていくようになり、先生たちとの関係も薄くなり、やがて引っ越すと言って子供もどこか遠くの県に転校していった。

 小学生だった当時の私は、母からそうした話を聞かされて暗い気持ちになった。妹の運動会や授業参観を見に行く機会があるたびに、私も信者たちに話しかけられた。彼らは見かけは皆人の好さそうな「普通のおばさん」たちで、私に対して親戚のように話しかけ、母にはまるで友達かのように話しかけていた。「どうしておかあさんは、この人たちとお友達じゃないんだろう?」と逆に疑問に感じるほど、親しげな話し方をする人たちだった。
 今振り返って考えてみると、統一教会は「養護学校」という場所を戦略的に勧誘のターゲットにしていたように思う。スクールバスがない学校で、特殊な事情を抱えた親たちが駐車場に集う。誰もが、健康な子供を持つ人には解ってもらえない辛さや、先の見えなさ、子供の医療のことなど、人に言えない悩みを抱えている。そんな母親たちが互いの悩みを打ち明けあったり、あるいは慰めあったり励ましあったりする場所に現れて、障がいの罪深さを口説き、ゆがんだ方向性で親たちを励ますようなことを来る日も来る日もされたなら、統一教会という宗教それ自体に嫌気がさすか、または嫌気を持つことにも疲れて入信してしまうかのどちらかだろう。

 教師たちが宗教勧誘を黙認している、という状況も彼らにとっては好都合だったのかもしれない。当時の先生たちも執拗な勧誘行動に心底困ってはいたものの、無下に追い払うと逆恨みされそうだとヒヤヒヤしていた。「養護学校」といういわばマイノリティの学校で、騒ぎを起こされたら困ると話していた。陰口なら言えるものの面と向かって「勧誘禁止」と言えないジレンマがあった。

 やがて養護学校にもスクールバスが導入されるまでの6年間、母はどんなに親しげに話しかけられても満面の笑みではねつけ、勧誘者の言葉を巧みにスルーしながら入信せずに乗り切った。私は娘として「あっぱれ」とはとても思えない。人を信じず、笑顔の裏を読み、そんなふうに人間不信を貫く生き方を余儀なくされたことに、怒りさえ覚える。では、入信してしまえば楽だったかと問われれば、結果は昨今のニュースを見れば分かるだろう。

 山上容疑者があのような事件を起こしたとき、私は当時のことを思い出した。授業参観おわりの駐車場。妹と一緒にいた私に笑顔で話しかけてきた「普通のおばさん」たち。
「お姉ちゃんなのね。妹の面倒見て偉いわね」
「妹さん、歩けないの? 喋れないのね。お姉ちゃんが妹の代わりに喋ってあげてるのね」
 おぼろげな記憶に輪郭が徐々に浮かび上がってくると、ぞっとした。母が人間不信を貫いていなかったら、私だって山上のようになっていたかもしれないのだ。
 そして何より、私をぞっとさせたのは、山上があのような犯行を起こす動機となった彼の母親は、子供の頃の私に話しかけてきたあの「普通のおばさん」たちの仲間だったということだ。そして妹の同級生の親の何人かは、「普通のおばさん」たちの仲間になってしまった。母の忍耐力が尽きていたら、母も「普通のおばさん」たちの仲間になり、私や妹も山上とそっくりな苦労の多い人生を歩むことになっていたかもしれない。そう想像を膨らませると、人はほんのわずかなズレで、人生を大きく狂わされてしまうのだろう。
 こんなものは宗教ではない。
 人を救うはずの宗教が、現実にはまったく逆の道を人に歩ませていることに、改めて憤りを覚える。


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