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言葉にする



楽しいとき、楽しいということ

悲しいとき、悲しいということ

苦しいときも、怒ったときも、これらを口にすることは意外と容易ではない。


受け取り手がどう思うか、周りがなんと言ってるか、その時の空気感、次になんて言われるか。

相手が何を思うのか、私たちには到底知り得ないから、自分が何を思うのか、誰かに伝えることは想像以上に勇気がいる。


そんな世界で

私は昔から、間違えやすい。


慰めたつもりが、神経を逆撫でてしまったり

寄り添ったつもりが、怒らせてしまったり

愛を伝えたいだけなのに、どうしてか傷つけてしまったり。


コミュニケーションというものが、いつも少しすれ違い気味で

いつだって愛されていたかったのに、嫌われてしまうことが多かった。


今思えば、言葉にするのが下手だったのだと思う。

自分本位で、自分の中にある様々な思いを相手に伝えることなく終えてしまう。

言葉の欠片だけ渡されても、相手だってきっと困惑するに違いないのに。


そんな、いわゆる"コミュ障"の私が、言葉を通して歌っていて、こんな文章を書くようになるなんて、人間とは成長するものだなと思う。自画自賛だけど。


でもそれは紛れもなく、昔の私が「本当はちゃんと、伝えたかったな」を数十回、数百回、あるいはそれ以上に後悔した証だとも思う。


嘘なんてひとつもついてないのに、嘘つきだって指差されたあの時も、

食べてないおやつを、食べたでしょうって怒られた時も、

陰口のつもりじゃなかったのに、あの子を泣かせてしまったあの時も


ごめんねって言いたかったし

本当はねって叫びたかった。


そうやってもどかしい日々を過ごして

たくさん迷惑もかけて

ストレスを抱えて

想いの出口が見当たらなかった時

私はYUIに出会った。


未だに上手にできなくて、間違えてしまうことも多いけれど、それでも一歩踏み出せていることは、尊敬する彼女のおかげであり、今も彼女は私のミューズだ。

(長くなるからYUIについてはまた今度。)



音楽に出会えていなかったら、

歌いたいと思わなかったら、

今も、昔のように誤解の渦の中に溺れていたかもしれない。



嫌いだけど、離れられない。

苦手だけど、愛さなきゃいけない。


言葉ってそういうものなのかもしれない。

気持ちってもしかしたら、想像以上に気難しいのかもしれない。


結論なんて、そう簡単には見つからないけれど、

そんなことを歌詞を書きながら考えてた。


今日もありがとう。また明日。


菜摘

音楽活動の足しになります、執筆活動の気合いになります、よかったら…!