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ロックは鳴り続ける FUJI ROCK FESTIVAL’24 2日目の感想

▼1日目の感想はこちらから


1日目のKILLERSにハートをブチ抜かれた後、温泉に並んだり明け方のgroup_inouを観に行ったりしてたら結局トータル2〜3時間しか寝れないまま2日目の朝を迎えていた。

疲労 in テント

目覚めとともに聞こえてきたのはテントの天井に落ちる雨の音だった。
「あめ、、、?」と寝ぼけながら外を見ると全員の靴が出しっぱなしだったので、会場で配られていたゴミ袋を雑にかぶせてからまたちょっと寝た。湿気も気温もまだ心地良く、全然問題なく眠れる環境なのがフジロックのいいところ。

その後すぐに雨は止んだようで、次に起きた頃にはもう眩しいぐらいの日差しがテントに差し込んでいた。
ライブの時間まではまだまだ余裕があるから、皆が思い思いの時間を過ごしていたのがなんだか良かった。7時の開店後すぐにパンケーキを買いに行く人、朝ラーメンを求めてさまよう人、まだまだテントで寝ている人、ピラミッドガーデンの穏やかさがどんなことをしていても優しく包み込んでくれているようで、本当にいい雰囲気だった。
私はパンケーキを少しもらってからテントで横になってウダウダしていた。甘塩っぱいパンケーキもこれまた優しくて、心も体もトロンとしてしまった。

だんだんと気温が上がってきて、全員がなんとなくステージに行く準備をしながらテントでダラダラ話していた。
誰を観たいか、カッパは持っていくべきなのか、昨日何がおいしかったか、大きなテントの中で語り合う全員のテンションが1日目より明らかに低くて面白かった。
初めてのフジロックで会場の広さも何もかもわからないまま歩きまくったりしていたから、そりゃあ疲労も溜まりますよ。あんまり寝てないし。
「行くかー」と誰かが呟くと一斉に腰を上げ、テントのジッパーを開いた。フジロック2日目、スローな幕開けだ。

結論づけられていない涙

スカパラを横目に見ながらホワイトステージのsyrup16gを観に行った。
昔から数曲だけずっと聴いているシロップ、ようやく生で観ることができて嬉しかった。噂に聞いていたVo.五十嵐のあの不安定な感じは噂通りで、男の私でも目が離せない存在だなと思わせられてしまうカワイイおじさんだった。

そして大本命、GlassBeamsを観にレッドマーキーへ向かった。
フジロックのラインナップがそこそこ発表されていた春頃、SNSで「GlassBeamsがヤバい」というような投稿をチラホラ見かけていて、実際に聴いてみてその異様さに衝撃を受けていた。
スパイスが香ってくるようなアラビアンかつサイケデリックな雰囲気、ミステリアスな見た目、そしてアラビアンなのにオーストラリアのバンドであるというカオスを極めたその存在は、絶対に観ておかなければとずっと心待ちにしていた。

音楽に合いそうだと思って買ったジントニックを手にレッドマーキーに入ると、出番15分前で既にすし詰め状態だった。私と同じように衝撃を受けた人が多い証拠だろう。
どうにか体を押し込んで時間を待っていると、突然のどしゃ降り。レッドマーキーの屋根がドドドドと鳴ったかと思うと、GlassBeamsが登場してきた途端雨は止んでむしろ晴れてきた。
このバンド、やっぱりなにか不思議なパワーを持っているに違いない。

見た目はアー写通りにどこか神々しい覆面をしていて、とにかく異様な存在だった。こんなのを日本で観られるのはフジロックだけだろう。
演奏も音源以上にサイケデリックで、聴く麻薬のようだった。曲が進むにつれそのトランス濃度はどんどん濃くなっていき、レッドマーキー全体が危ないパーティーのような空間になっていく。

盛り上がりが絶頂のタイミングで、私がこの数ヶ月聴き倒した「Mahal」が始まった。
鋭いギターと幻想的なコーラスが混ざり合う神々しいその曲に、気づいたら「ゔぅぅ」と涙を流している自分がいた。
この涙、いまだに何の涙なのか自分でも結論づけられていない。感動なのか、暑さと眠気でおかしくなったのか、完全にトランス状態に陥ったのか、様々考えられるが答えがいまだに出ていない。
もちろん演奏は最高だったし、確かにすし詰めで身動きのとれない状況はキツかったし、トランス気味になっている感覚もあった。
これもGlassBeamsの持つ不思議なパワーのせいか。

マジで異様だったな

孤独に寄り添う

謎の涙とトランス状態と暑さと眠気でこれは危ないとなり、苗場食堂のとろろめしを食べつつレッドマーキー裏の木陰で1時間以上休憩した。
日陰でゴロっとするのかなり大事。来年への学びになった。

HPを十分に回復してからホワイトステージのくるりへ。
かなり早めについたが、既にホワイトステージ前はごった返していた。
この集客ならグリーンでもいいのではと思ったが、くるりはグリーンでドカンと力強くやるよりもホワイトでのんびりやるのが似合っているようにも思える。

これを書きながらセットリスト順に曲を流しているが、素晴らしい以外の感想が出てこないぐらいに完璧だ。1つ1つの楽曲がもちろんそもそも素晴らしすぎるんだけど、新旧織り交ぜながらもシームレスに続いていくような並びになっていて圧巻だった。

あんなに優しく歌うのに、MCになったとたん関西のおっちゃんになる岸田さんの喋りも愛らしい。
そんなMCの中で、「人はみな孤独で、その孤独のそばにいて共に走ってくれるのがロック」という言葉があった。
そう語られるホワイトステージには多くの人が集まっていたが、フジロックが終わればみな孤独な時間がやってくる。そんな孤独にどんな時でもそっと寄り添ってくれるのがロックで、私にとっても無くてはならない存在だ。
私の高校あたりからの人生においては常にロックがそばにいて、受験勉強、バイト前、会社に向かう電車の中、常にロックが鳴っていた。
フジロックが終わってから数日たった今、底知れない喪失感にもロックは寄り添ってくれている。

ふとステージ下手側の山のほうを見ると、空と雲と夕日のコントラストがくるりのアルバム「天才の愛」のジャケットみたいになっていた。
「最後に『潮風のアリア』という曲をやります」と岸田さんが言った。この曲は「天才の愛」に収録されている曲で、何もかも完璧すぎるだろと惚れ惚れしながらくるりの音楽を最後まで浴びていた。
くるり、いくらなんでもいい曲が多すぎる。

予想外の終末

そして2日目のヘッドライナー、Kraftwerk。
ホワイトステージのgirl in redと迷ったが、「ホワイトまで行く体力が無ぇ」という情けない理由でグリーンステージに座り込んでその時を待った。

座った位置がだいぶ遠かったのもあり、ライブが始まって最初のほうは正直よく分からないという感想だった。
単調な音の繰り返しに合わせて流れる謎の映像という時間が長くて、途中で席を立つ人も少なからずいた。
それでも私はもう他のステージへ行く体力も無いから、どうにかこの伝説的なテクノを理解しようと謎の映像を見つめていた。

するといきなり「次は友人の話をします」と言って坂本龍一の名前が挙がり、大歓声があがった。
それまでKraftwerkに対して壁を感じただけに、我らが坂本龍一の名前が出ただけで一気に親近感が沸いて嬉しくなった。
それだけでなく、「戦場のメリークリスマス」を演奏するというサプライズ。夏の夜、誰ひとり声を発さないグリーンステージにそれが鳴り響く光景がとても印象的で、その場にいる全員の坂本龍一へのリスペクトを感じる貴重な時間だった。

次の曲に入ったあたりで、前方からスタッフと思われる数人の塊がやってきた。
近づいてくるとどうやらスタッフ数人で男を取り押さえているようで、男は抵抗する声を発していた。男が上半身裸なのは見えたが、友人曰く下半身も全裸だったようだ。
要するに、全裸おじさんがスタッフに連行されていたのだ。

ステージでは「Radioactivity」が始まっていて、『フクシマ ヒロシマ 放射能 やめろ』などという文字がスクリーンにでかでかと映されていて観客全体が少しピリッとしたような感覚があった。
全裸おじさんは私の座る後方でスタッフ数人に馬乗りにされている状態だった。おじさんはまだ抵抗しているようで、スタッフの「(これ以上暴れると)腕折るぞ」という声も聞こえた。おじさん諦めないのすごいな

ステージには特大の放射能マーク、後方では全裸おじさんの「痛い痛い痛い」の声、2日間で一番カオスな時間だった。
これ夢の中?と思いながら後方を見ると通路に車が到着しており、スタッフ総出で無理やり押し込まれたおじさんを乗せてどこかへ去っていった。
前を見ると、放射能マークは消えていて拍手が起こっていた。どうやらちょうど曲が終わったようだ。やっぱり夢だった??
おそらくたった数分間の出来事だったが、一生忘れられない時間になった。

その後「やっぱ前行こっか」としっかりステージが見える位置に移動して最後の数曲を観たが、確かにカッコよかった。
「Music don’t stop.」とポツポツ告げられる中で1人ずつステージを降りていく去り際もめちゃくちゃ良かった。
全裸おじさんなんか見てないで、もっと早く前に行くべきだったかもしれない。

終わってしまった

全裸おじさんに全てを持っていかれたような気もするが(友人とテントに戻るまで30分近くずっとおじさんの話をしていた)、とにかく楽しい楽しい2日間だった。
チケットはアホみたいに高かったけど、全然元はとれたと思えるほどの充実度だった。

荷物やテントを片付け、ピラミッドガーデンのキャンプファイヤーの傍らで帰りのバスの時間を待つ。もうあと数十分で私たちのフジロックが終わってしまう。
皆の表情がどこか寂しそうだった。単純に疲れてただけかもしれないけど。

個人的に色んな面でかなり準備をして臨んだ2日間だったから、その分喪失感の大きさも凄まじかった。
チケットはどう買えばいいのか、何を持っていくべきなのか、涼しくかつオシャレな服装はどんなものなのか、各アーティストがどんな音楽なのか、気づけば数か月フジロックのことばっかり考えていた。
そんなフジロックが終わってしまった。
いまだに余韻にズブズブで、キラーズくるりクラフトワークばっかり聴いているし、スマホのロック画面もタイムテーブルのままだ。

「フジロックに行くと人生が変わる」的なコメントに対して「そんなわけねーだろ」と思っていたが、あながち間違ってはいないように実際に行って感じた。
色んな初体験や色んなカルチャーショックがたった数十時間に詰まっていて、より充実した人間になれたような感覚がある。

夜行バスでは苗場を出発してまもなく爆睡し、一度も起きることなく気づいたら新宿に到着していた。
バスを降りると、新宿の暑くて汚い空気にうんざりする。「空気がおいしい」って本当にあるんだと感じた。
「ばいばーい」と新宿で皆バラバラに別れ、自宅に着いてからシャワーを浴びて久しぶりの布団で寝た。

フジロックが終わると、その次のフジロックが待っている。
それまでの孤独な時間も、ロックは私たちの耳元に寄り添って鳴り続けてくれている。

脳内の引き出しが足りないので外付け脳みそとして活用しています。