思春期の飲み物
僕と彼女は、当時流行っていたチャットに入り浸っていて、僕のハンドルネーム(インターネット上のあだ名)が「カフェオレ」で、彼女は平仮名で「ここあ」だった。
彼女に知り合ったのは高校生の頃。僕のクラスは楽しかったけど何だか居場所がなくて、毎日電車で一緒に登下校していた友人からは訳も分からずシカトされて、どうにもこうにも行き場を失っていた。女子の”絶交”はときどき目にしたが、男友達からのシカトは、よっぽど殴ってくれた方が良かったのにと今でも思っている。
毎日がそんな感じだったから、僕はインターネットに居場所を求めていた。今のように高速通信なんて出来ない時代で、動画なんてもっての外。10分ぐらいかけてダウンロードしたおもしろFLASHを見たり、エッチなサイトを見ようとしてパソコンが固まったところに、突然親がやってきたりしていた。
そんな時代と環境だったので、通信データの軽いチャットはちょうど良い暇つぶしだった。僕は名前の色を”カフェオレ色”にして毎晩チャットをやっていて、そこへある日、名前の色が”ここあ色”の彼女がやってきた。都合がいいが、彼女は僕と話したくてその名前で入室したのだと思う。
彼女は何日か前から僕のことを知っているかのように、でも知らないかのように接してきて、毎晩12時ぐらいまでやり取りをしていた。当時のチャットは基本的に複数人で会話をするもので、中にはクレイジーな奴も沸いたりして、やがて二人で密室(パスワードを入力して入る部屋)にこもったりもした。
密室で会話するようになってからは一気に距離が近づいて、どこに住んでいるか、部活は何をしているか、家族や兄弟は何人いるのか。それからいつの間にか住所を交換し、文通まで始まっていた。当時30分は行列に並ばないと撮れなかったプリクラも交換することになって、僕は精一杯かっこよく見えるものを送ったように思う。
当時のモテない男子からすれば、女子のプリクラはなかなかゲット出来るものではなく、そこそこイケてる奴と一緒に撮ったプリクラをダシにしてやっと交換に漕ぎ着けたものである。
そんな僕へ彼女から届いたプリクラは、知的でスレンダーな美人だった。僕も田舎に住んでいたし、彼女も隣の県に住んでいたから垢抜けなさはあったけど、僕が文通して良い人ではないと思ったし、会う資格はないと感じた。
それでもチャットや文通は続いて、いよいよ会う会わないの話が出てきた頃だった。何かの拍子で僕が背が低くて彼女は背が高いという話になり、それもまた15センチぐらいの差があって「それではダメだね。」ということにお互いなってしまった。やり取りは楽しくとも、思春期の初めての交際相手を求めていたのかもしれないし、僕のコンプレックスが強く出たのかもしれない。
そこからの流れは良く覚えていないが、彼女はプリクラに映っていたもう一人の女の子メグミちゃんをなぜか新しい文通相手として僕に紹介し、勉強やら部活が忙しくなって疎遠になってしまった。「メグミちゃんはいい子だよ」と言っていたが、メグミちゃんとはたぶん1往復ぐらいで文通は終わってしまった。
*
そういえば二十歳ぐらいの頃、僕と彼女のハンドルネーム、そして入り浸っていたチャットの名称でネット検索したときに、彼女が僕を探している投稿がどこかの掲示板にあったことを思い出した。
「ここあです。カフェオレという人と、昔よく●●●●●というサイトでチャットしてました。もう一度お話したいです。」と書かれていた。
僕はなぜそれを見た瞬間彼女に連絡しなかったのか、その手段がなかったのか、(荒らしもいたので)イタズラだと思ってしまったのか、悔しいけど思い出せない。
それでも僕が今も「ここあ」という飲み物を見る度に彼女を思い出すように、彼女も「カフェオレ」という飲み物を見る度に僕を思い出していると考えるのは、都合の良い話だろうか。
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