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文字通り三日坊主になってしまっていた。あんなこと書きたいなぁなんて考えるだけで終わって、大学の課題に追われるうちにどこかに流れていってしまっていた。ここは思考の整理をする絶好の場所だというのにもったいないな。

就職活動をそろそろ本格的に始めなければいけない空気になってきた。かくいう私もいくつかインターンに応募してみたり、先着順のものに実際に参加してみたりした。参加したのは今のところ一つだけで、そこはクリエイティビティが求められる企業だった。たまたまインスタのストーリーで流れてきた広告がきっかけだった。「文章を書くのが好きな人」「写真を撮るのが好きな人」それがある意味求められる人材だとそこには書いてあった。私は稚拙ながらも、文章を書くことや写真を撮ることがささやかな趣味であったから、ああもしかしたら楽しめるかもしれないと思った。久しぶりに胸の奥が鳴った。好奇心と勢いに任せて応募してみた。その日は授業があったが、まあいいかと思って休みの連絡を入れ、オンラインだったので上だけスーツ姿になり、朝9時にそれは始まった。

思っていたより厳しい1日だった。求められるものに全く応えることができなかった。社員の人の言っていることの意味を根っこまで理解できていなかった。商品開発のシミュレーションを行ったのだが、周りのレベルが高かった。オンラインでよかったと心底思った。きっと実際に顔を突き合わせていたら恥ずかしさで泣いていただろう。それくらいには、自分にはなにもなかったし、なにも生み出せなかった。薄々気づいてはいたけれど、私にクリエイティビティなどなかった。

それでも、憧れはそう簡単に拭うことなどできない。立ち止まって将来像を描いた時に思い浮かぶのは、「自分の考えた案を実現し、誰かを笑顔にする」未来だ。商社であれ、広告であれ、メーカーであれ、きっとどんな企業に行っても向こう側には顧客がいる。私はそんな彼らを喜ばせたい。幸せにしたい。笑顔にしたい。じゃあボランティアじゃダメなの?そういうことではない。お金は欲しい。お金は生活だから。自分の生活を犠牲にしてまで無賃労働はしたくない。そこまで慈悲深い人間ではない。そうであったらよかったかもしれないけれど。

本当は「好きなこと」を仕事にしたい。例えば文章、音楽、動物。だが、就活生のコミュニティで誰かが言っていた。「好きなことを仕事にすると『責任』が生まれて、純粋に楽しめなくなる」と。なんと達観したものの見方だろうと思った。私は、好きなことなら楽しんで仕事にできるはずだと信じて疑わなかった。しかし、「責任」の二文字を突きつけられたとき、その信念が一気にぐらついた。私は責任を負うのが苦手だ。いずれ社会に出る以上そうも言ってられないことはわかっているが、誰かを取りまとめたり、統率したり、とにかく矢面に立つ行為が大の苦手である。それが例えば、修学旅行の班長とかならまだいい。先生のいうことを班員に伝達するくらいしか仕事ないし(経験談)。でも、社会は違う。ひとたび失敗すれば、大きな損失につながる可能性もある。部下ができたら、彼らの失敗を背負う羽目になるかもしれない。どれも空想の話だが、可能性はなくはないだろう。そういう責任がいやなのだ。私には荷が重すぎる。それが「好きなこと」に関わってきてしまったら、確かにだんだんそれから離れていってしまうかもしれない。今の自分から見て、それはいやだなと思った。好きなことは好きなこととして、純粋な受け手でありたい。

そう思うようになったときに頭をよぎったのが、「誰かを喜ばせたい」という気持ちだった。私は人に尽くすのが好きだ。大切な人なら尚更だが、プレゼントを選ぶ時間、ラッピングを考える時間、そして何より受け取った相手の笑顔を見るのが幸せでたまらない。そういう時だけは嫌なことは全部忘れて、ただその人のことだけを想っていられる。もしかしたら「人のためにやってやってる」という自己陶酔、エゴのようなものに捉えられるかもしれないけれど、私は至って純粋だ。

まどろっこしくなってしまったけれど、私が就職活動をするにあたって大切にしたいのは、「誰かを笑顔にできるかどうか」と、「自分の心と体を守れるかどうか」の2点。これらを柱にしていこうと思う。あまりにも幅が広すぎて、業界を絞るのが難しそうにも思えるが、長い夏休みの間に自分と向き合い、真剣に考えながら、食わず嫌いせずに明確な将来像を作っていこうと思う。

でもできるなら就活しないで就職したい。甘えだね。

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