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私を見送る祖母の涙の意味が少しだけわかった話

駅のホームで人を見送るときにはじめて泣きました。
その時の気持ちを残しておこうと思います。

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少し前、妹夫婦が1歳数ヵ月の姪を連れて自宅に遊びに来てくれました。
妹夫婦は子供が生まれてから初めての宿泊旅行。結構な長旅です。

滞在3日間で連れて行ってあげられた観光名所といえば、
東京ディズニーランドと丸の内の赤レンガ駅舎くらい。

それでも、なんでもない近所の公園での散歩や、犬との戯れも楽しんでくれていました。
何より、3日間もかわいい姪と間近で過ごせるなんて、
おば(私)にとってはこの上ない幸せです。

姪は、自宅で何度もギャン泣きをしました。
少し人見知りもしていて、向こうから寄ってきてくれたのは最後の3日目になってから。
自宅の床に落ちている髪の毛を「あ!」と指さしながら姑のように拾ってくれたりもしました。

そして、そんな姪をとても大事そうに、愛しそうにお世話している妹の姿を見て、ただただ感動する3日間でした。

そんな妹夫婦と姪と別れる3日目の新幹線のホーム。
別れる瞬間まで、普通に笑顔でいられたのに。
ばいばい、またね!って楽しかったのに。

手を振る妹夫婦と姪の姿が見えなくなったとたん、堪えられませんでした。
それはとても複雑で、「悲しかったから」「さみしかったから」という単純なものではない、今まで経験したことのない種類の涙でした。

一生懸命育児をする妹の姿をもっと見ていたかった名残惜しさ。
この瞬間のかわいい姪にはもう会えないさみしさ。
遠い土地で育児に奮闘する妹夫婦へのエール。
3日間の思い出の走馬灯。

人を見送るときの涙はこういうことなんだ。
私を見送る祖母の涙の意味が、初めて、少しだけ、理解できた気がします。

自宅テレビについた姪の手形の痕跡を、今日も愛でながら思い出に浸っています。

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