名誉教授の父を持つ祖母にも院進を反対された話
私のゼミの担当教員が石巻で研究調査をしているので同行した。
今回で2回目。
仙台で仙石線から新幹線に乗り換えるので、私だけそこで別行動して、帰りに地元である山形の実家に寄ることにした。
次は仙山線に乗り換えて、時々山間部のせいで無電波状態を得ながら、1時間ほど乗る。
実家に帰っては何故かすぐに祖母の家に行くことになった。
母的には、もう若くなくなった祖母になるべく孫に会わせたいらしい。
私もおばあちゃんが好きなので、快く向かった。
久しぶりに会うおばあちゃんは
「東京どう?大学どう?ご飯食べてる?」
と質問マシンガンを炸裂し、少し認知症も患っているので、数分後同じ質問をする無限ループに陥っていた。
大学3年生にもなると当然のように、
「どこに就職するの?」
と聞かれる。
そろそろ、「何も決めてないしわからないやー。」と適当にはぐらかすのは手慣れてきた。
実際、場所は決めていないし、職も決めてない。
ただ一つ決めているのは、
短くても5年で辞める。
奨学金を返済して、授業料を貯めて大学院に進学する。
目標は20代で進学。
ただそれだけ。
おばあちゃんだし、正直に話しても良いかなと思い、そう伝えた。
伝えている横にいる母親の顔はいつも通り、懐疑的で納得していないようだったが、それはあまり関係ないと見積もった。
何故ならおばあちゃんの父、私のひいおじいちゃんは研究者だったからだ。
専攻は民俗学で、名誉教授だったらしく、某大学の学長もしていたと聞いた。
この話で唯一、賛同してくれるのはおばあちゃんだと思っていた。
幼い頃からひいおじいちゃんは立派な人だったと誇らしげに話していたし、孫が似たようなことを目指すと言うなら喜んでくれるのかと見込んでいた。
甘かった。
大反対された。
むしろ初めてしっかり人に反対された。
あまり理由は述べなかったが、とにかく快くは思ってくれなかったようだった。
私の頼みの綱が一瞬で切断。
正直、まあまあ傷になった。
私が普通の学生だからだろうか。
これで天才級の頭の良さだったら賛成していてくれたのか。
でもそれを言ってしまったらなんでもそうか。
しかしこれも、
“身の丈”にあった選択をしろと言われてるのと思う私は一生ルサンチマン。
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