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日常にころがるアート。子どもたちとの時間

最近、わたしの世界はアートであふれている。

西日に照らされた木の葉の影

近所のトタン

公園のきりかぶ(きっとまだ切りたて)

タイダイ模様の夕日

道ばたの石ころ


雨の日の水たまりの波紋なんかもなんだかアート。ずっと眺めていられるよね。

でも思えばそれらは、昔からそこにあったものたちばかり。

わたしの中でアートとしてきらんっ!と心にとまるようになったのは最近のこと。

きっかけは、子どもたちの存在が大きい。


ベビーシッター先のおうちで、双子の男の子(3さい)と絵の具で遊んだときのこと。

3さいくらくらいの子どもって絵の具でどんな遊びができたっけ…?

そんなことを考えながら筆に絵の具をとり、新聞紙に1本しゅーっと線をひいてみせる。

がしかし、子どもたち、見向きもしない。

(あらま、そうかい。笑)

よしじゃあ手形ならどうだ?

自分の手のひらに絵の具をぬって、新聞紙にペッタン!!手形スタンプをしてみせる。

すると「手に絵の具をぬる」という、そこだけ抜き出して興味をもった模様。

ぬりぬり。

どう?って聞くと「つめたい」という。

わたしの手にもぬってくれた。

うん、ひんやり。そしてちょっとくすぐったい。

これはおもしろいな。味をしめたわたし。

今度は、子どもたちの手のひらに直接絵の具を出してやる。

グーパー。グーパー。手の中で絵の具をこねる。

どう?って聞くと「きもちいい」「ぐにょぐにょ」という。

やってみなよと言わんばかりの顔で、わたしの手もぬりたくる。

うん、たしかに「きもちいい」。そして「ぐにょぐにょ」だ。

独特のにおい、感触、色の混ざり。

ただその有り様を、一緒に見て、感じて、味わう。

アートだなぁー、と思う。


子どもの頃、絵を描くのが嫌いだった。

図工とか美術の時間が苦痛でしかたない。〇〇鑑賞なんて時間も退屈。

その頃のわたしは、アートを「作品」としてしか見ていなかった。

子どもたちの姿に触れて、「過程」も含めてアートなのかもしれない、と思った。

そして、アートに対するハードルがぐっと下がったのだった。

こんな自由でいいのかーと。

それから、日常のいろいろがアートになった。


「アートとは」を説きたい、あるいは解きたいわけでなない。

ただ、日常にはさまざまな美しさやおもしろさがころがっていて……。

それをひょいと拾って「アートだねぇ」と思うことで、広がる世界ってあるんじゃないかなーって、

そうしたらもっと、のびやかにやわらかく生きれるんじゃないかなーって、

そう思うのだ。



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