宇佐神鈴音

双極性障害の元介護職。 精神疾患のことを 「理解してほしいとは思わない」 だけど 「知…

宇佐神鈴音

双極性障害の元介護職。 精神疾患のことを 「理解してほしいとは思わない」 だけど 「知識としてしってほしい」 だから 双極性障害の「1つの例」 として、私のリアルを自分のペースで綴る。 それだけ。 猫好きな卯年。

最近の記事

思うこと(Ⅱ)

「一部分を見て全てを捉えた気になっていないか?」 と、思うのは年齢問わず気になってしまう。 不満や愚痴は、そりゃあるだろうよ。 そればかり見て「○○ハラだ」とばかり言っていたら 自分もいつしか「老害」と言われるような人間に なるとは思わない? 転職したっていい。 逃げたっていい。 だけどね、一定数いる人間はどこにでもいるものなのだよ。 そもそもジェネレーションギャップなんぞ 人類が誕生してその人類2世が生まれた時から ずっとあるもの。 これからも形は変われどあり続

    • 思うこと(I)

      いきなりだけど、昔から思うことがある。 『怒る』と『叱る』は違う、と。 『叱る』は、一呼吸してでも怒りと言う感情を丹田に置いて 相手の間違っている事を冷静に伝えること。 『怒る』は、相手の間違いを指摘を 怒りと言う感情を抑えずにぶつけている状態。 「自分が悪いのは分かってるけど、あの言い方はなぁ…。」 って、敬遠されるタイプ。 『怒り』と『叱り』が半々のタイプも稀にいる。 ちょくちょく聞くであろう 「昔はよく怒られた。けどそれがいい経験・学びになった」 って話の元になる

      • 30代後半

        派遣からのパートで働いた職場を辞めてから もう何年も療養中で働いていない。 いわゆる「非生産者」だ。 37歳になった現在も。 ダルさがキツイ時は横になって過ごすけど できるだけリハビリがてら 短距離(10分程度)のお散歩をしている。 最初は何日かに1回だった。 ここ最近だと ほぼ毎日お散歩できるようになってはいる。一応。 徒歩5分圏内の場所に行って暫くゆっくりして帰ってくるのを 繰り返している。 そのお散歩を繰り返して、伸ばして 動ける距離、動ける時間、体力を 地道

        • 30代前半(Ⅱ)

          32で辞めてから、ハローワークに行って そこで派遣のチラシを発見。 派遣に関しては、ハローワークではなく 自分で登録しなきゃいけない。 登録自体は複数の派遣会社に登録してもOKだった。 電話して登録して、探してもらって 色んな施設の面接に行った。 その1つで家の近くの施設で働き出した。 週3日での契約。 生活リズムも考えてもらって、働く曜日も固定。 ちゃんと週3日行ける時もあったけれど 行けない日も結構あった。 契約満了の時にトップから言われた。 「まだ早かった」

          30代前半(Ⅰ)

          症状が急激に悪化したのは30代前半。 ストレスがなかったわけではない。 それでも投薬治療とは言えなんとかなっていた。 それが、とてつもなく大きなストレスがきて 少し頑張ったけど、無理だった。 とてつもなく大きなストレス。 それは、後輩をたった1人のスタッフに潰されたこと。 私としてはその子は 「これから、どんどん良い介護士になっていくやろうなぁ」 って、思っていたからこそ、余計に腹が立った。 同時に私自身心にも腹が立ってた。 全く話を聞けてなかったわけではない。

          20代後半

          やっと20代後半のお話。 20代前半のを書いていて自分でもビビった。 前に書いた、よく分からん症状とかも 20代前半に出てた症状。 じゃあ、20代前半はと言うとですね 「比較的」落ち着いてた方ではなかろうか。 前に書いた通り、双極性障害の事は伏せての再就職で 病院に行かず頓服薬だけで乗り切ろうとしたら 私の様子がおかしくなり 上司にカミングアウトしたわけなんだけれど しばらくは、知ってる人はその人だけだった。 様子はおかしかったけれど 大きなトラブルもなく仕事してたか

          病院

          20代前半の時に 「色んな先生がいるなぁ」と実感させられた。 最初に通院してた病院の先生は 話しやすいっちゃあ話しやすいけど 結構な量のお薬出てた。 めまいやら光過敏の副作用出た時に受診してたのも この先生。 最大、何種類あったんやろうね。 もはや分からない:笑 食後にお薬飲む時のどれが朝でどれが夜で って言う確認が、毎度毎度凄かったよ。 頭の中がごっちゃになるレベルよ。 で、調子悪いのが続くと 「いい薬出してるのになぁ」 光過敏の時は 「副作用やなぁ」 と、ツッコ

          副作用

          前の病院に通ってた時に出たことがある副作用。 初めは副作用って分からなくて めっちゃ困った。 その副作用って言うのが 『光に対する過剰反応』 夜勤明けの時はめちゃくちゃ眩しく感じるのは分かる。 夜通し働いて仮眠1時間やもん。そら眩しい。 晴れてる時も分かる。 特に夏場のあの日差し。眩しいよねぇ。 そう言うのだけだったらおかしいって 感じなかったんやけどなぁ。 曇りの日とか雨の日でも 目を開けてられんぐらい眩しいのは マジでどうしようかと思ったよ。 眼科の個人クリ

          20代前半(Ⅳ)

          2番目の職場は、大阪からは出てないものの 地元から出て働いてた。 だから、その時の家の近くの病院だった。 知人に紹介されたのは地元の施設。 そこから病院へ通うには、結構な距離で かなり時間がかかった。 ただでさえ、病院に行けたり行けなかったりが激しかったのに 余計に難しくなった。 毎日飲まなきゃいけない処方薬が尽きてしまっても 行けない事が続いて、頓服薬でしのいでた。 しのげてたと自分では思ってた。 でも、なんとなーーーくバレてた。 その日も仕事はしていた。 けれど

          20代前半(Ⅲ)

          殻を破っていくと同時に、大きな負荷で 異常な疲れやすさやら異常なダルさやら 色んなものが出てきてたのに、病院に行かない私を 見かねた知人に、強制連行された。 初診って、絶対に予約しなきゃやから 予約しないといけない状況になり 予約したからには行かなきゃみたいな感じで 通院が始まった。 やはり最初は、鬱診断だったらしい。 「らしい」って表現をしたのは その時、病名を言われてなかったから。 とりあえず、診察してお薬出してもらって 言われた通りに投薬治療して いつしか双極性障害

          20代前半(Ⅱ)

          一括りに介護施設と言えど そりゃ施設が違えばやり方は違う。 でもね、その違いに愕然とした。 新卒で働いていた所は、言うなれば『エリート揃い』 そんな場所で働いてたら、一般的レベルでも低く思えるでしょ とか思うでしょ? 違うんよ。 違いすぎて本気でビビるぐらいだったのだよ。 それに疑問を持つ人たちもちゃんといたし味方もいた。 なんとかしたいとも思っても、新参者だったもんで 目立って動くのではなくサポート側にまわってたよ。 ただ、いい人とか尊敬できる人ばかりが 辞めてい

          20代前半(Ⅰ)

          そんなこんなで 分厚い殻を被りながら20歳で働き出した。 介護福祉士として。 分かってる。 そんな状態で、人間関係が上手くいくハズなどない。 「お人形さん」ではいけないことも分かってる。 介護と言う職業なら特に。 現在の私を知ってる人からするとビックリすると思う。 おそらくね。 ん〜…、躁転してる時のをベースに考えられても困るし 激鬱やと完全撃沈やからなんともなんともなんやが。 ニュートラルに近い(であろう)状態で考えると とてつもなく違う。 なんせ、この頃は恐ろ

          皮肉

          前に書いた、従弟のこと。 20年間、封印していた。 「彼は生きている」 そう、思い込んで時を止めていた。 何年も前の話だが 姉の結婚式の時 「あれ?あの子は?」 「色々と都合があるんやろうな」 そう思って何も言わなかった。 そして、2023年 同居していた祖母が天国へ行った。 そして、従妹一家からお供えの花が届いた。 すごく良い花で、ばあちゃんも喜んでるだろうな とか考えながら、母と話をしていた。 「こんないい花、よく見つけてくるよねぇ」 とかなんとか。 おしゃ

          10代後半

          ずっと仲が良いと言える人が少なかった中 同級生でよく遊んでた人は数人はいた。 その内の1人は同じ高校に進学し 別の1人は違う高校に進学したけど 高校は近かった。 どういう訳か、下の学年の子や その知り合いの私より1つ上の 別の中学だった人との繋がりもあり その5人で集まったりもしていた。 その人たちとの別れは突然やってきた。 そして、理由も分からない。 「みんなのためだから。」 ただ、それしか言われなかった。 友達が少なかったわたしにとって 信じられる人たちであ

          幼少時から10代前半

          今の私を知ってる人は意外かもしれない。 小さい頃は、恐ろしくおとなしかった。 保育園のバス停までの送り迎えでは 祖母から絶対に離れなかったし 子供会でも、誰かと仲良くしてたわけでもなかった。 小学生の時は友達が全くいなかったとは言わない。 ただ、ほんの一時期仲良かっただけ。 そう言う子たちが離れていって 中学生の時には、部活にしか居場所はなかった。 中学時代、友達いなさすぎて母から 「学校にいきたくなかったら、行かんでもえぇんやで」 とまで言われるぐらい。 部活以外に

          幼少時から10代前半

          人種

          生産性がない人間 「そんな人間」 と言われる人種。 だか、ありがたいことに 私のことを必要としてくれている人はいる。 父方のばば様が生存してた時のワクチン接種の時 「お母さんが鈴音(本名ではないけどここは鈴音表記で。)が 居てくれて助かってるって言ってたよ」 そう、お医者さんに言われた。 ばば様の自宅介護してたから。 施設で働いてた時とは勝手も違うし 感情面でも全く違う。 でも、もっとやり方があったんじゃないか とも思ってた。 でも、親がそう思ってくれていたことそ