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じいちゃんとカツ丼

今日のお昼に出先でカツ丼を食べた。

ひと口頬張ったら、カツ丼の食感、味覚、嗅覚に紐づけされた私の幼少期の記憶が鮮明に蘇った。


私は九州のものすごい田舎で生まれ育った。

最近まで携帯電話の電波も届かないような、地デジのアンテナも独自に建てないとテレビが見れないような、平均年齢が高すぎてゴールド集落と呼ばれているような、そんなものすごい山奥だ。

私の実の祖父は私が生まれて4ヶ月で病死したので、覚えていない。

その代わりに、近所に住む祖母の兄が私にとっての祖父だった。

家がうちの前にあったので、『前のじいちゃん』と呼んでいた。

前のじいちゃんにも私達と年齢の近い孫は5人くらいいたのだか、関西、関東にいていずれも遠かったためか、私たち兄妹を実の孫のように可愛がってくれた。

私たちにあげるために、チューイングガムを箱で買って用意してくれている、そんな優しくて気の利いた(私達があっという間に食べてしまうから汗)じいちゃんだった。


夏休みになると、私に

『カツ丼食べに行くか!』

と車で連れ出してくれた。

真夏のギラギラした太陽の照りつけるなか、冷房の効いた小料理屋さんで、アツアツのカツ丼をじいちゃんとハフハフ食べる。

なんか、自分だけ特別扱いしてもらっているような、すごい優越感だった。

じいちゃんと食べたカツ丼、後にも先にもあんな美味しいカツ丼はないだろう。

前のじいちゃんは、兄たちが中学校へ進むと、私が通学がひとりで心配だからと、いつも放課後車で迎えに来てくれていた。

その後に、うちでお茶を1杯飲んで帰る。

それを3年も続けてくれた。

実の孫でも大変なことなのに。


私が東京の看護学校に進んで、2年生の6月に戴帽式が行われた。

前のじいちゃんはだいぶ高齢となっていたが、私にお祝いをと思ったのだろう。

『たいぽうしきおめでとう』

とひらがなで電報を打ってくれた。

その字は年齢のためかだいぶ震えていた。
たいぽうしきって!って笑ってしまったが、何よりも嬉しかった。
気持ちがこもっているのが分かった。


前のじいちゃんが亡くなったのは、その1年2ヶ月後。

私が看護学校3年生のお盆休み明けで帰省した時だ。

悲しかった。

じいちゃんの命が、目の前で消えていく瞬間に立ち会うのが。


亡くなった後、じいちゃんの担当の看護師さんが、私が看護学生だと聞いていたのだろう。

一緒にじいちゃんの体を拭いて綺麗にしてあげようと言ってくれた。


温もりを少しずつ失って冷たくなっていくじいちゃんの体を拭きながら、涙がこぼれた。


じいちゃん、実の孫のように可愛がってくれて、大切にしてくれて、見守ってくれて、本当に本当にありがとう。

じいちゃんのこと、大好きだったよ。

これからも、見守っていてね。


これからも、カツ丼を食べたら前のじいちゃんのことを思い出すのだろう。

じいちゃんの愛を。優しさを。思いやりを。

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