「これは、階段だ。これは、階段だ。」ゲーム

先日、とある面接で私が今熱中していることを聞かれた。私は真摯的にその問いに答えるために、「少し考えるじかんをください。」と断りをいれた。2分ほどの沈黙のあと、冒頭のように答えた。


いま、わたしが熱中しているのは『「これは、階段だ。これは、階段だ。」ゲーム』です。


少し詳しく説明がしたい。ぼくは今、湘南台という駅の近くに一つ部屋を借りている。この駅のエスカレーターは、夜の23時から翌朝まで停止するのだ。

この何時間かはエスカレーターは、階段としての実務を追うわけだ。ただ、だからといって見た目までハイカラになるわけでなく、見た目は相変わらず黄色、グレー、白、そして黒と危険色を示している。

もはや、それは階段であるのに。それを23時以降それを使用すると、目ではわかっていても身体がそれをエスカレーターだと扱って、軽やかな違和感が身体をすり抜けていく。

湘南台の家に帰るときは終電が多く、いつもこの違和感が待ち受けていて、最近では、これが楽しみで仕方がない。あの違和感に会うために、終電をあえて私は好んでつかっているのではないかとさえ思う。


そんな中、始めたのが
『「これは、階段だ。これは、階段だ。」ゲーム』である。


例のエスカレーターを使う前に、私はその前に立ち、目を瞑る。そして、脳内視覚の中のエスカレーターに階段のイメージをトレースして、「これは、階段だ。これは、階段だ。」と納得いくまで唱える。時間としては、30秒から1分ほど。

ある時は、ぼくは見事に階段をのぼることができ、またある時は、ぼくは階段の一歩目で身体がぐらついてしまう。

じぶんの身体と、物理世界との噛み合わせの気持ち悪さを楽しむという、お金もなにもかからない立派な大人の子供な遊びなのだ。


まあ、面接官には理解されなかったのだけど、彼の顔をみて、ぼくは嬉しくなった。「彼にとって面白いことではなくて、じぶんにとって面白いことを、ちゃんとじぶんの言葉で話せたんだ。」と実感できたからである。


面接としては失敗だったのかもしれないが、じぶんの口から、しっかりとじぶんの言葉/思考が飛び出たのが嬉しかった。


というわけで、今日も終電で湘南台に向かっています。0:33に小田急線に湘南台駅に到着するので、お時間ある方は、ぼくとぜひ『「これは、階段だ。これは、階段だ。」ゲーム』を楽しみましょう。



以上の文章は、ぼくが2015/08/30 PM11:44にFacebookに投稿した文章です。そして、その投稿をみて、2人の参加者(最終的には4人w)があつまりました。写真は、自己暗示の様子。がち。



また、この記事は投げ銭記事です。笑

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