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躁鬱人:嫌いなものの為に毎朝起きるのを為に早起きをはじめた。

 こんにちは、アーティストの新造真人(@makotoshinzo)です。

 あなたは早起きと聞いたときに、何時くらいから早起きだと感じますか?答えは人それぞれですが、私は午前3時に起きています。こんな極端な早起きを志したのには、3つ理由があります。しかし、今日書くのは、それらではなく、「じぶんが嫌いなもののために、朝起きることをやめる」ということです。ですが、簡単にその3つの理由についてもノベマス。

 1つ目は、それがクレイジーだからです。ぼくは健康のために早起きをしているのでは、ありません。毎日誰よりも早く起きて静かな世界で活動を積み重ねることで、じぶんの持っている能力を活かせると信じているからです。つまりは、じぶんの中の天才を喜ばすためです。

 2つ目の理由は朝の時間がとても好きだからです。だんだんと空が暗闇から、光を編み込まれていって明るくなる様はとても素晴らしいです。空気も澄んでいますし、ランニングをしていても、障害になるものが日中よりも明らかに少ないことに気がつくでしょう。

 3つ目の理由は、早起きはカッコイイからです。早起きな人ってかっこよくないですか?ぼくは尊敬の眼差しを向けます。なので、じぶんにもその眼差しを向けたい。いかに早起きがカッコイイか、クレイジーなのかについては、下のnoteに書いてあるので、ご覧になってください。


 今から書くことは、「じぶんが嫌いなもののために、朝起きることをやめる」ということです。学校が嫌いでした。なぜ、あんなにつまらないもののために、つまらな大人の話を聞くために、毎日、じぶんを起こさなければいけないのか。朝起きるときに、そんなことを考えると、その後の小さな生活を殺しているような気がしていました。

じぶんが嫌いなもののために生きることをやめる

 起きると、まず、布団からでなければいけない。そのあと、顔を洗い、何かを口に入れ、着替える。そして、学校に向かう。それら全ての行動は「行きたくもない学校に遅刻しないように」時間配分を考えられながら、実行される。ふと、疑問に思いました。「なぜぼくは行きたくもないところに、送れない努力をし、生活に関連する様々なこと、起きる、食べる、着替える、といったことを、嫌いなものに服従させているのだろう?」と。疑問に思わない方がおかしい。そして、どうやったら、朝の、この最悪な気分に対処することができるのかを考えました。

死にたいと思いながら朝起きるのをやめるために

 こんな朝の過ごし方は、じぶんに対してのいじめです。一応言っておきますが、学校を悪く言う気はありません。その時は、ぼくにとって、学校というものが標的になっていただけであり、ここで問題なのは、「じぶんが嫌いなもののために、じぶんを服従させようとするその態度」です。冷静に考えてみたら、これはやばい。自ら選んで、じぶんの嫌いなもののために、じぶんを服従させています。気持ち悪い精神構造です。(早く抜け出してくれ)これは100人中1000人が認めるような、じぶんによるじぶんへのいじめです。精神的虐殺です。そして、それによって、嫌いもの(その時は学校)への憎悪が膨らみ、生きるなんてクソだ。お前みたいな人間は死んでしまえ。などと思いはじめます。

 生きるのが辛い、苦しい、みたいなことを、朝起きた瞬間からずっと考えるなんて、やばい。これで死んでしまったら「じぶんが嫌うもののために生き、そして死ぬ」ことになります。これはあってはなりません。じぶんの時間をなんのために使いたいのか。それは、じぶんが意味を感じられるものや、好きなもの、好きな人のために、人生という時間を使い、死にたいと考える。じぶんが嫌いなもののために、毎朝起きることはやめよう。だから、早起きを志しました。

早起きは、じぶんの人生を取り戻した感覚をくれた

 早く起きれば、学校に行く前に、職場に行く前に、時間が生まれます。ゆとりが生まれる。学校がはじまる30分前に起きていたときは、様々なことを焦りながら、こなす、ように生きていました。が、5時に起き始めると、あら。不思議です。食事も、洗顔も、着替えることも、じぶんのために使えている感覚が蘇りました。

 これは劇的でした。じぶんの人生を取り戻したような感覚がしました。5時ではなく、3時に起きると、学校や職場はじぶんの人生にとっての優先順位を大きく変化させることができます。それが好きな人ならそのままでいいでしょうが、違うならば、圧倒的にそれらへの感覚が変わります。早く起きること、は、じぶんのために、じぶんの時間を、様々な生活の所作をじぶんに取り戻すことです。

 誰もぼくからそれを奪おうとなんかしなかったのに、ぼくは勝手に様々な時間、生活を嫌いなものに服従させ、嫌いなもののために生き、死のうとしていました。小さな自殺を毎日行っていた、と言えます。早く起きることは、じぶんのために生きることです。じぶんの感受性を守るために、じぶんの時間を確保する。学校にいってしまうと、そこには様々な他者がいて、他者にいろいろとあわせてしまううちにじぶんが疲弊します。

じぶんが好きなじぶんを、人に、じぶん会わせる

もちろんそこ(学校?職場?)には、素晴らしい出会いや学びがあるのでしょうが、早く起きて、じぶんをしっかりとしたものとして、現場に置くことができれば、さらに、よい出会いや学びを得ることができます。なぜなら、嫌だな〜と思いながら学校に行ったときの私はそんな私のことを嫌っていました。が、早起きできたときの私は、私のことを誇るべき人物のように感じられます。

 人に会わせたいと思えるじぶんを、人の前に引っ張り出すのは重要です。発言にも自信が出ます。ひとりの人間の中には様々なじぶんがいますが、そのなかには、好きなじぶんや、嫌いなじぶんなど様々なじぶんがいます。どんなじぶんと一緒にいることを選びたいか、ということも、選択ができるようになります。わたしは、できることなら、じぶんが好きだと思える自分自身と一緒にいたいです。


 そして、じぶんが嫌いだと思っているじぶんとも、うまく付き合って生きたい。彼を殺してしまってはダメです。それは、できない。無理です。全体性を損なわれたじぶんは、そういったものは存在しません。だから、うまく付き合っていくしかない。定期的にそういう時期は訪れるし、批判的なじぶんにも学ぶことがある。だって、早起きをしようと決心したのは「このままではいけない」と彼が教えてくれたからです「俺は今、ものすごくつまらないぞ!どうにかしろ!!」と彼が叫んでくれたおかげで、私は初めて「よし、このままではいけいないな」と、じぶんが人生をつまらなくしている張本人であり、張本人であるなら、現状を変えることもできる、と気づいたからです。


 別に、解決方法は、早起きじゃなくていいんです。たまたま私の、場合は早起きでした。じぶんが嫌いだとおもうじぶんの習慣や、こうありたい、という理想を、どのように実現していくのか、ということです。どのようにしたら、好きなじぶんでいることができるのか。人の前にいるときに、堂々と心から胸をはることができるのか。その実験と実践の日々です。だから、わたしはじぶんをもっと好きになるというか、今のじぶんがしてみたいことをさせてあげようと思います。今から、顔を洗って、着替えて、外に走りにいこうと思います。



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