見出し画像

ある癒し人の価値観

新人セラピストの技術に対して、価格設定の権限を任されることがある。

判断材料は、わたしの価値基準だ。

つまり、
自身のセラピスト経験の中での顧客満足度
他店で体験したセラピストの技術と価格
技術指導経験に基づくデビュー時の技術の平均値

そして

大切にされたかどうか。

§

数年前のわたしは、頑張ってるんだからデビューさせてあげたい。という思いが強かった。

自分も当初、自信がない中なんとか頑張っていて、自分を認めたいと無意識に思っていたからだと、今なら思う。

大切にされた経験が少ない人は、大切にされたいと望んで、人を大切にすることまたは、人を粗末にすることのどちらかを選ぶ。


でも、大切にされていないと感じているのは、
自分の"望むように"大切にされていないと感じているのであって、
自分の周りにはちゃんと、大切にしようとしてくれる人がいる。

望む対応ではなくても、それが遠回しであっても、相手の優しさに気付けた方がしあわせだし成長する。
大概の場合、後から気付くものであるけれど。

すなわち、以前のわたしはそこに気付いていなかった。

§

相手を大切にするとはどういうことだろう。

キモチというのは、たとえ心の底から想っていてもテレパシーが使えない限りは結局、表現しなければ伝わらない。

ましてや心と頭が矛盾していれば、いくら言葉で伝えたところで心の本音が出るまでだ。

セラピストがどんな心境であれ、リラクゼーションサロンに来店し、目の前に現れるお客様は無意識に「大切にしてくれる癒し」という商品を期待して買いに来られている。

であれば、大切にしようとしてくれるセラピストでなければ料金を頂いていいですよ。とは言えない。

癒しの仕事がしたい!とサロンに働きに来る人たちは、人の役に立ちたいという気持ちが人一倍強い。

ただそれを表現する方法を知らないだけ。
だから学び、実行するのみだ。

相手を大切にするとは、
相手を大切にできるスキルを実行することだ。

そしてプロフェッショナルとは、
誰に対しても確実にスキルを提供できる人だ。

§

施術スキルは後からついてくる。
経験を重ねることでしか上達しない。

そして未経験のスタッフに対して教える技術は、基礎的な技術でしかない。
よっぽどの研究・練習量とセンスがなければ、新人セラピストは下手で当たり前。

だからこそ相手を大切にできるスキルを細々と何度でも伝えていく。

重要なのは、相手の気持ちと体を自分事のように受け止め、相手を大切にできるスキルを100%出し切れるかどうか。

癒しという快楽に浸って頂くために尽くせるか否かだ。

§

自分の技術とやるべき事に必死になって相手を見ていない状態では、商品として成立しない。

相手を見て、相手を感じて、相手の望みを叶えていくことで初めて、プロフェッショナルになる。

それぞれの力量でスキルを身につけて、努力しているセラピストたちの、デビューしたい!という想いを受け止めて、
相手を大切にできるスキルを確実に叩きこみ、
セラピストが元々持っている優しさを最大限に生かせるために、厳しい評価をすることがわたしの権限に対する責任だと感じる。

§

そう思っていることに、自分で驚いている。

厳しいこと、責任という言葉、ルールを守ること
が昔から大キライだったからだ。

これらを押し付けられることに猛反発していたのは、わたし自身なのだ。

§

なにが変わったのかと言われれば、
自分を大切にすることが出来るようになった。

自分の長所だけを見ていたわたしから、
嫌いなこと、怒りを感じること、悲しいこと、しんどくなること、やればできるけどやらないこと…その他諸々
自分とはこういう人間である。と少しずつ認められるわたしになった。

自分を認めるとは、ジャッジしないこと。

他人にどう思われようと、わたしはわたしだと認めることが自分を大切にすることだと分かった。

自分を知っているからこそ、相手を大切にできるスキルが役に立つ。

自分を知らないままのわたしでは、真に人を大切にすることが出来なかった。

人との境界線をコントロールすることで、相手も自分も大切にできることを学んだ。

§

癒しという職業は、自分で自分を満たせる人でなければ続かない。

だけれど、最初は誰だって支えて欲しい。

思いやりをたくさん持っているセラピストたちが自身を表現出来ずに、無意識に相手を傷つけることはさせたくない。

もちろん十人十色、1000人いれば1000通りの傷の付き方があって、そんなの分かるわけないし、失敗して学んでいくほかない。

わたしだって10年やっても知らないことだらけで、
人の評価をスパッと出せる程優れた人間ではない。
今でもそんな責任は重荷でしかない。

ただ、わたしの目の前にいるセラピストと、そのセラピストが担当する未来のお客様が、それぞれわたしだったなら、
今ここで指導・評価しているわたしに何と言うだろう。

結果が良ければそれでいいが、悪ければ、もちろんわたしを罵るのだろう。

それをわたしが許さないのだ。

本当の意味は分からないままだけれど、わたしはこれを責任と勝手に名付ける事にする。

§

こうやって書いてると、優等生ぶった劣等生だなー
とか思うけど、それでいい、それでこそわたし(笑)

こんなにマニアックな長文を最後まで読んでくださったあなたは、まぎれもなく癒し人です。

最高だー!

感謝。