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【短編小説】 karma 2


 karma ウイルスを流して二週間ほど経つと、karma の効果が顕著に現れ始めた。karma の効果は抜群だったようで、SNSではあまりの民度の低さを嘆いている人をよく見かけるようになった。僕は嘆くのではなく反省をして善い行動をしてほしいと思っているのに。このままでは、近いうちにSNSは地獄の一歩手前のような状態になるだろう。
 
 それから数日経った授業の空き時間、学食で推しのSNSのコメント欄をチェックしてみると誹謗中傷の量は以前の倍に達しようとしていた。疑心が僕の中にぷくっと湧き上がる。コーラの炭酸が底から現れるように。
 おかしな疑念を振り払っていると、後ろの席に座っていた女性二人が話しているのが耳に入った。

「この前さ、インスタに夕飯に作ったハンバーグ載せたの。そしたらさ、「美味しくなさそう」とか「何アピール?」とか知らないヤツからコメントきて。お前に関係ないじゃん、ほっとけよって思って」
「わかる!私のも最近コメントがウザいんだよ。彼氏とさ、デート行った時のシェアしたら「大事にされてなさそう」とか言ってきたやつがいて、言い返したら「本当のこと言っちゃいけないの知らなかった」だって。あの泣き笑いの絵文字が付いててさ、アレさえ付ければ言ったことが軽減されると思ってるやついるよね。そっこーブロックしたわ」

 僕はコーラを一口含む。口の中で炭酸がパチパチ強く弾け、するはずのない苦味を感じる。
 常田の連絡先を開き『ネタばらしまだですか?』とメッセージを送ると、常田から『今研究室 来る?』と返事が来た。僕はゆっくり立ち上がり、コーラのペットボトルの首を人差し指と中指の間に挟んで持ち上げた。まだほとんど残っているせいか、いつもより重い。

 研究室に入ると、常田が愉快そうに「おう!」と手を挙げた。
「ちょっとこれ見て。社会に一言物申したいおじさんがさ、長々と講釈垂れた内容に、過去の自分から「何を言うかではなく、誰が言うかが重要」ってカウンター喰らって一人でケンカしてる。面白すぎる」
 ケタケタと膝を抱えて常田が笑う。こんなに笑う常田を見たことがない。人ってこんな悪い顔をして笑えるんだと引いてしまった。
「あーごめん、ごめん。座って。ネタばらしがいつになるかの話だよね。今日やるよ。これは変なウイルスだってポツポツ気づき始めた人が出てきたから、そろそろ俺もそれに乗っかっておこうと思ってる。だから今日中にネタバラしはするよ。で、二、三日したらウイルス対策ソフトをリリースするから」
「ウイルス対策ソフト?」
「ウイルスは対策しないと。大事だよ、ちゃんとしないと個人情報とか持ってかれちゃうよ。あっ安心して、karmaはただイタズラするだけだから。こちらはそれで頼まれたことは終わり。それでいい?」
 僕は俯き口を開く。
「本当に、これで上手くいくのでしょうか?」
 今更?と常田が怪訝そうな顔で見る。心配なのはこれがただ悪戯に人を傷つけ怒らせただけで、自省してもらえないこと。
「それに、もし犯人探しが始まって常田さんに迷惑かけてしまったら、申し訳なくて」
 ああ、と言って常田は微笑んだ。
「それは大丈夫。上手くやったつもりだし。あと、犯人探しにはたぶんならない。それより面白いものがココにゴロゴロ転がってるから」

 常田のいる研究室を出た後、僕は肉体労働のアルバイトへ向かった。頭のもやもやを晴らしたくて無心で働く。鼻の頭を赤くする冷たい空気が脳をリフレッシュをする後押しをしてくれた。身体を動かし疲労した分だけ、気持ちの落ち込みが軽くなる気がする。スポーツをするのとは違う疲労感、その感覚が好きで肉体労働を選んでいる。
 気がつくと、もう上がる時間になっていた。時計は九時十二分を示している。こんな日に限って労働時間が短い。私服に着替えてスマホを見ると、常田から『いい感じ』とメッセージが入っていた。

 アプリを起動すると、おすすめのトレンドに『karma ウイルス』の文字が表示された。話題になるのを望んでいたはずなのに、ここから先は覚悟が必要だと直感が囁く。寒さでシワシワになった指で『karma ウイルス』をタップすると、画面を爪で叩いた音がコンッと静かなロッカールームに響いた。パンドラの箱を開けた時はこんな音がするのかもしれない。
『karma ウイルス』の話題のトップにいたのは『白衣のひまわり系男子』という名のアカウントで、このウイルスがどんな悪戯をしているのかをざっくり説明していた。『白衣のひまわり系男子』とは常田のことだろう。
『他の人も言っているけど、このウイルスは過去の自分の呟きがコメントに返信されているようだ』と白々しく呟いている。常田は『こんなものを作るヤツは暇人』と世間には犯人批判を、僕には自虐に見える言葉で締めくくっていた。その内容には『暇人活躍してるね』と返信がある。

 これを受けたネットはさまざまに波紋が広がっていく。
『最近民度が低いとか言っていた人、ただの因果応報でwww』
『そういう意味で言ったことではない使われ方で返ってくるから、なんだかな』
『まじ病む……』
『私のコメント欄、ポジティブな言葉で溢れてる! みんなも今日からいい言葉使おう! やっぱりポジティブって大事♡』
『運営解決はよ』

 常田の言う『いい感じ』とは、何を指していたんだろう。皆んな反省なんてしていないし、自戒するそぶりも見せない。画面を上へスクロールすると『ツッコミのつもりで、おもしろくねえとかいろいろ言ってたけど、実際言われると嫌なもんだな』と反省をしてくれている人を見つけたけど、その呟きにはイイねが十二個。相手も自分も同じ言葉で傷つくとわかったはずなのに、どうして変わろうとしないんだ。もどかしい気持ちが胸の上で地団駄を踏む。
 
『ネットだから、顔が見えないから、って人が傷つくことを言うのはやめよう。これを作った人はそう言いたいんだよ』

 今できる精一杯の呟きだった。一人でも多くの人に伝わってほしい。一縷の望みを託す。
 すぐにその呟きに返信が届く。『顔を出さずにこういうことをするやつは卑怯者』過去の僕が目の前でそう断言した。
 呼吸が浅くなり脳から胸にかけて重苦しさを感じる。スマホの電源を切る。僕は世間という大きなひとつの意識を遮断した。電源を切って身を隠した。偉そうに正義を振りかざしておきながら、僕はこれ以上自分が傷つかないように逃げようとしている。僕は卑怯者。
 外に出ると空気の冷たさが肌を刺し、夜風が音を立てて僕を追い抜いていった。僕の横をカラカラに干上がった木の葉が為す術もなく風に遊ばれ転がっていく。

ーーーつづく



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