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【短編小説】 karma 3


 それからしばらく僕はSNSを見ることはなかった。急に全てが恥ずかしかしくなってしまった。僕は正しいことをすれば思った通りに物事が進むと思い込んでいた。でも、そんなことはありえなかった。僕の考えも起こした行動も全てが高慢さからきたもの。僕はなんて世間知らずな大馬鹿なんだ。
 
 大学の構内を身を小さくして歩いていると、「よう」と声をかけられた。声の主は白衣を着た常田だった。常田にちょっと話さないかと誘われ、僕は常田と研究室へ向かった。
「今日も寒いよね。そろそろ暖かくなっていいと思わない? コーヒーでいい? オッケー。ひまわりの種は? いらない? そっかー残念」
 そうボヤいて常田はコーヒーカップを二つ並べると、インスタントコーヒーをティースプーン山盛り二杯ずつそこへ入れた。それは濃すぎますよ、と言う前に常田はお湯を注いでしまった。はい、どうぞ、と微笑み差し出されたコーヒーを飲むと、案の定渋さと酸味しか味がしなかった。
「いやー、結構話題になったね、karma」
 常田はひまわりの種が入った袋をバリッと開ける。
「どう? 気が済んだ?」
 いつも通り大きな口を開けて上を向きひまわりの種をさらさら流し込むが、常田の視線は僕に向いていた。
「正直に言うと、思った通りではなかったです。人の痛みがわかれば、みんな、人を傷つけることはしなくなると思ったんです。でも、みんな自分が傷ついたことしか気にしてなくて……。カルマの意味だってわかっていないと思います。だから僕がしたことは、ただ人を、その人の本性を世間にバラしてしまっただけなんです」
 罪悪感が吐き気のように込み上げてくる。コーヒーを飲もうとカップを持ち上げると目の前で湯気が踊る。僕をからかうように。
「えーっ? そうかな? 君はみんな反省してないって言うけど、今後気をつけようって言ってる人結構いたよ。そりゃ、全員の意識を変えることが目標だったら結果は失敗だったかもしれないけど、それはさすがに無理だって。表情も声のトーンも伝わらないただの言葉だからこそ表現の仕方が大事って、そこに気がつく人が少しでもいたなら、君のしたことは成功だと思うよ」
 常田は机の端に腰を掛けコーヒーカップを口に運ぶ。一口飲むと顔をしかめて苦ぇと呻いた。
「そうだといいんですけど」
 自嘲に似た声がでる。僕の声は常田にちゃんと届いているだろうか。
「……なんか、こんなことしておいてズルいってわかってるんですけど。karma ウイルスだってネタばらしをしてからSNSを見れないんです」
「なんで?」
 常田は純粋な疑問を投げかけてくる。
「それは……」
 言葉が続かない。見れない理由はたくさんある。みんなを傷つけたから、人に失望したから、現実を見たくなかったから、推しを信じたかったから。いや、違う。本当は自分の甘さを認めたくなかっただけなのかもしれない。
「ふーん、何をそんなに気にしているか知らないけど」
 こんな僕を見た常田はそう口にして僕には深く触れずに、karma ウイルスをバラした日からSNSがどうなったのか淡々と話し始めた。

 常田がkarma ウイルスの存在をバラし僕がSNSから逃げた日、SNSは一部阿鼻叫喚と化したようで、このパニックは翌日まで続き、次第に各々で対処し始めたらしい。
 もちろん反省して言葉に気をつけようと意思を表明する人もいれば、コメント欄を閉鎖する人、過去の投稿を削除する人、アカウントごと削除してしまった人、ふざけてポジティブな言葉を連投する人、ウイルスになりすまして誹謗中傷を始める人などいたそうだ。
 その後、常田はウイルスに感染しているかの確認方法とウイルス対策ソフトをリリースした。
 karma ウイルスはSNS上にもうほぼないという。
 そしてSNSは以前と変わらない状態まで戻ったようだ。
 
「やっぱり人って厄介だよね」
 常田がせせら笑う。
「この混乱に乗っかって悪いことしようとするヤツって出てくるんだよ。このウイルスになりすまして誹謗中傷するヤツとか。イジメたい人の過去のコメントをスクショして返信する嫌がらせとかさ。それを止めてほしくてkarma 作ったのにね。そういう意味なら、君が落ち込む気持ちはわかるよ」
 きっと励ましてくれているのであろう常田の言葉を、僕の脳は、こんなことをする意味はなかったと書き換えてしまう。
 ため息混じりの言葉が僕の口から漏れる。
「karma ウイルスを流してから、推しのSNSが以前より荒れ始めて。」
 僕は推しを助けたかっただけなのに。
「そんなことする子じゃない、真っ直ぐなところが好きだったし、誹謗中傷の痛みを知ってる子だから、まさかそんなことをしている側だとは思いたくなくて。信じたいのに……」
 恩返しがしたかった。いつも元気をくれる彼女の力になりたかった。
 
 でも僕は、ただ人に頼っているだけだった。勝手に理想を押し付けて、思った通りに振る舞ってくれると期待しているだけだった。
 彼女は、いつも元気で、純粋で、健気に頑張っている人。
 世間は、同じ痛みを伴えば正しい道へみんなで向かうと信じていた。
 僕の正義が理解されれば、世の中は良くなると本気で思っていた。
 僕はというと、自分の浅はかさと無知を直視できずに他人のせいにして逃げた。卑怯者だった。

 あー、そうなんだ、とどこか宙を見つめて常田は腕を組んだ。
「でもさ、その君の推しが本当に誰かを傷つけていたかどうかなんてわかんないよ。karma ウイルスだって全員がインストールしちゃったわけじゃないし、karma のなりすましかもしれないし。
 仮にね、魔が差して言っちゃった一言があったとしても、その一言だけでその人の全てにはならないよ。そうでしょ? 君だって、こんなことして逃げ出したって自分では言ってるけど、彼女のことを考えてこんな馬鹿ばかしいこと実行したんだもん。僕は君を優しい良い人だと思ってるよ」
 常田の顔が見れない。ここのところずっと続いていた胸の中の張りが常田の言葉で少しだけ楽になったのに、その隙間に羞恥がさっと入り込む。また僕は決めつけて考えていたんだ。それでも常田の気遣いが嬉しい。

 スマホにピコンと推しのSNSの更新の知らせが届く。虫の知らせというか、何か嫌なものではないような気がして久しぶりにSNSを開いてみる。
『真田日和に対する誹謗中傷の法的措置について』
 「あっ。」想像もしなかったことに思わず声が出た。
「なに?」
 常田がコーヒーを啜り眉間にシワを寄せた。
「あの、推しが誹謗中傷に法的措置を取るって」
「へー、良かったじゃん。良くはないか。でもこれでちょっと安心できるんじゃない?」
 常田はコーヒーカップを持って流しへ向かうとカップをひっくり返してコーヒーを捨てた。
「常田さん、いろいろありがとうございました」
 今回のことは良い戒めにしなければいけない。今回のことがなければ僕は、僕にとっての都合の良さを他人に求めるだけの人であり続けただろう。「善」も「悪」もなく、その行為は必ず何らかの結果を招き、それが次なる行為へと影響していくものがカルマなんだ。
「いやいや、こっちもいろいろ勉強になったし。小遣いも稼げたし」
 常田が振り返って悪戯な表情で笑って見せた。やっぱりこの人は掴めない人だな。常田につられて笑みがこぼれた。そうですか、と曖昧な返事をして、ぬるくなったコーヒーを飲むと鉛筆の味によく似た味がした。「これはちょっと不味すぎます」「やっぱり?」と二人で声を出して笑った。

 推しに応援のメッセージを送ろう。次に起こることが少しでも良いことであるように。今の僕にできることは信じることだけだから。

—— 完

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。  吉奈

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