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全然違う街に住んでいるはずなのに

東京から福岡県糸島市に移住して3年目。いくつかメディアでも移住のことは書かせてもらっているけれど、そういった公の場では書くことのない、極個人的な思いを書くシリーズ2回目。

1回目はこちら

東京では、日々目に入る「人工物」が多くのものをくれた

人工物って雑にまとめてしまったけれど、建築物とか広告とか、家から通勤して仕事して目に入るあれこれのこと。地下鉄の吊り広告、新しくできたビル、子どもを遊ばせる公園、朝食を作りながら聞くラジオ。東京では、そんな一つ一つの日常で見聞きするものが、とても歴史深く大切に管理されているものだったり、名だたるクリエイターの作品だったりする。

当時私は雑誌の編集をしていて、日々の企画出しに頭を悩ませていた。そんなときも、早足で通り過ぎながら目にする一つ一つのものが、たくさんのヒントをくれた。吊り広告を見ながら、ターゲットは?企画意図は?ゴールは?…と考えるのが癖になっていて、結局、そんな日々の積み重ねで、なんとか仕事をこなせてたのだと思う。

正直、東京にいた頃は当たり前すぎて、肥後細川庭園の紅葉も丸の内イルミネーションも43階オフィスから見る夜景も、本当に当たり前すぎて、何も感じなくなっていたけれど、移住した今、パチンコや競輪の広告がまばらに貼られた電車に乗っていると、無性にキラキラの東京が懐かしくなる。17歳の頃、どこからでも山が見える環境が嫌で、そんな場所にいたら、自分は何者にもなれない気がして、東京に行けば何かある気がして、ただそれだけで必死に勉強していた。あの頃住んでいた街と今住む街は全然違う場所なのに、人も広告もまばらな電車に乗っているとき、地方局のラジオから地元ネタが聞こえるとき、バイパス沿いに「洋服の青山」が見えるとき、ずっと忘れていた17歳の頃の気持ちを思い出す。

うちの子たちも、私と同じ思いを抱くのだろうか。自然の恵みが当たり前にあるこの地に飽きて、キラキラの場所に行きたいと思うのだろうか。

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