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「みんな持ってるから」はあまりにも時代遅れではないか

長女がSwitchが欲しいと言い出した。
「なんで欲しいの?」と聞くと、「みんな持ってるから」と答える。「スイッチって何か知ってるの?」と聞くと「マリオがね、車に乗ってね(永遠に話が続く)…」。
そういえば先週末に保育園時代からの友達の家にママと一緒に行っていたなぁ。聞けばそこで実際にやって楽しかったようだ。
「本当にみんな持ってるの?」と聞くと「持ってるよ」って。
「みんなって誰?」って聞こうかと思ったけど、さすがに小学校1年生に問い詰めて聞くのは可哀想だな、と思い「わかった、少し考えさせて」と言って保留した。

僕の青春時代を彩った圧倒的存在感のアイドル

一方で僕にも「自分もその流行にのろうかな」ってやってきたことがある。
キムタクのドラマ視聴である。
「ロンバケ」「ラブジェネ」「HERO」「ギフト」 「眠れる森」、「PRIDE」、「エンジン」等々もぅ全部観た。マイナーではあるが故田村正和さんと共演された「協奏曲」も漏れなく観た。

若い頃から今に至るまでキムタクのドラマを夢中になって観てきた。繰り返し見たので重要なところの台詞は未だによく覚えてる。
キムタクのドラマにハマりすぎて、なりたい職業がコロコロ変わってしまった。 「キムタクは何を演じてもキムタク」と批判派はよく叩くが、彼はそれでいいのだ。社会現象となるくらいの大スターなのだから「ありのままのキムタク」を演じてくれたら、それで僕たちは楽しいのだ。 そしてドラマで演じられる場面を自分の生活に当てはめながら想像の世界でなりきって「カッコいい俺」で生きて幸せになるのだ。

学生時代、キムタクのヘアスタイルやファッションは多くの男性が真似をしていた。アクセサリーを付ければそのアクセサリーは大流行し、ジーンズにフライトジャケット、ブーツ、ワンレンのロン毛である。このヘアスタイルは本当に街中に溢れた。
「当然」僕も真似をして大学時代はロン毛のボディパーマだった。
おそらく宅八郎さんや金八先生しかロン毛のイメージがなければ絶対にしなかったけど、この時はみんな目指すものが一緒でとても心地よかった。

今はもう農耕社会じゃない。情報社会である。

「沈没船ジョーク」というものをご存知だろうか。各国の国民性を表したジョークとして、おもしろおかしく表現したものである。

簡単にご紹介すると世界各国の人々が乗った豪華客船が沈没しかかっている中、乗客の数に比べて脱出ボートの数は足りずに、船長は乗客を海に飛び込ませようとする。さて、船長が各国の人にどのような言葉を使って飛び込ませるかというものである。

アメリカ人に対して・・・「飛び込めばヒーローになれますよ」
ロシア人に対して・・・「海にウォッカのビンが流れていますよ」
イタリア人に対して・・・「海で美女が泳いでいますよ」
フランス人に対して・・・「決して海には飛び込まないで下さい」
イギリス人に対して・・・「紳士はこういう時に海に飛び込むものです」
ドイツ人に対して・・・「規則ですので海に飛び込んでください」
中国人に対して・・・「おいしい食材(魚)が泳いでますよ」
日本人に対して・・・「みなさんはもう飛び込みましたよ!!」

このジョークに如実に表されているように日本は「同調圧力」が強い国と言われている。本当かどうかは分からないがよく言われている原因に、古くからの農耕社会があげられる。共同で稲作を行う日本人にとって、和を乱したり集団からはみ出ることは死活問題であった。だから納得しているかどうかは関係なく集団で決めたことに異議申し立てを行う「空気を読まない人」を処罰・非難する傾向があったのだ。

また義務教育においても「みんなで力を合わせて取り組もう」や「全員が目標達成」「連帯責任で行う」など、みんな同じことを良しとする風潮がある。学生時代は教師や親が考える「いい子」の姿を忖度して行動する。社会人になれば、上司やクライアントの考えを先回りして、想定する以上の「結果」を出す者が評価を得る。つまりみんな周囲を見渡しながら「空気を読んで」生きているのだ。

みんなと一緒でも間違っていることはたくさんある。特定のみんなと一緒にいることが普通になってくると次第に僕たちの「常識」は自分を取り巻く界隈で決まってくるようになる。これが危険である。

かつては「みんなと一緒」、「空気を読む」は所属するコミュニティの世界において重要な処世術であったことは事実である。集団の中に所属している自分であることが安心感の土台だったため、集団から排除される行為は極力控えないといけなかったのだ。しかしそれは集団が個を守る前提があっての話だ。
集団を会社で考えると既にその前提が崩れる。集団が簡単に個人を切る時代になった。忠誠を誓っても、利益が今2兆円あっても、集団を維持するために先を考えて切る時はバッサリいくのだ。

だからしょうもない集団であれば自分からバッサリいく準備をしておく必要がある。

いつまでも「空気を読む」だけの集団にとって都合が良い人でいる時代ではなく、自分の価値をあげるための「時間」にどんどん投資して、いかなる状況でも生きていける道を自らが切り開いていかなければいけない時代なのだ。

いじめに悩んでいる子へ 僕たち大人からの伝言

子どもの集団で考えてみる。「Lineグループ問題」なんてのは、「空気を読めない人を排除する」とんでもないいじめである。これを加害者側にするなと言っても、まだ未熟な学生がこの意味を理解するのは非常に難しいと思うし、いくら注意しても影で陰湿にするのが中学・高校時代である。彼らは少年法に守られている。人事権も誰からも握られていない。先生から注意され通知表が悪くても生活に影響しないしテストの点数さえよければ進学にも支障ない。つまり社会的に無敵である。この無敵相手に説法かましたところで時間と労力の無駄である。

だから現実問題の解決には、被害者に目を向ける必要があるのだ。
もし、このnoteをたまたま見た中に悩んでいる子どもがいるのであれば君たちよりも少しだけ長く生きている僕は一つだけ言いたい。はっきり言って奴らと付き合うのは人生で「一瞬」である。僕は中学時代も高校時代も断片的にしか覚えていない。おそらく多くの大人がそうだ。それは人生というのはその後に沢山の出来事があって常に新しい思い出でアップデートされていくからだ。

そりゃ卒業後も面白いこともあれば挫折することもあるし理不尽なこともある、悔しすぎて涙することだってある。でも確実に過去の記憶はリアルタイムでアップデートされていく。

今はイメージが沸かないと思うけど、僕だけでなくて大半の大人がそうであるから普遍の事実である。だから今は「長いお休み」だと思って携帯を物理的に見れないように解約する。これが一番手っ取り早い。学校辞めたっていい。大学に行く方法なんていくらでもある。行かなくたって良い。君が人生勝負しなければならない時は先にいっぱいあるのだ。

「あるじゃん。何やっても、うまくいかないとき。やっても、うまくいかないとき。そういうときは、なんていうかさ、神様がくれたお休みだと思って、無理に走らない。あせらない。がんばらない。自然に身をゆだねる。長いお休み。」
ということだ。あ、「ロンバケ」のキムタクの台詞パクりました。キムタクの声で脳内再生願います。

我が家は「みんな持ってる」禁止令を発動しようと思う

子どもが「みんな持っている」からSwitchがほしいと言った。
ここまで色々考えてきたけど僕はなんと回答するのが正解なんだろう。Switchくらい何かのご褒美として別に買ってあげてもいいと思う。 だけど「みんな」って言うのが嫌いだ。「みんな」というのを撤回させた上で、どれだけSwitchというのが楽しいのかプレゼンテーションしてもらおう。「私は○○がやりたいので、絶対にほしい!ゲームやる日は1時間以内と決めてその日は必ず英語もやります」と高らかに自分の意思として宣言してもらおう。
携帯を買ってほしいっていう時期もくるだろうし、お小遣いの話が出てくる時期もそう遠くない未来であるだろう。これからもそうしよう。周りではなく自分の意思を表明してもらおう。

なぜなら、
もともと特別なオンリー1なんだから。
あっ。

育児から教わったこと

みんな一緒が心地良いのはとっくに時代遅れである。考えていることをどんどん発信して自分の居場所をつくるのだ。配慮は必要だが遠慮は無用である

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