年に一度の親族の集う年始の会合がなくなった。当然、巨大マネーロストのお年玉もなくなっ…え!?
お正月といえばお年玉。
子供のころ、楽しみだったお年玉という風習に、大人になってからこれほどまでに悩まされる日が来るとは夢にも思わなかった。
ボクには姉が1人。妻は4人兄弟。
他にも親戚づきあい諸々で、お年玉の対象となるそれらの子どもの数は10。
気持ちだけ〜とは言いながらも、小学生と高校生を同額にするわけにはいかない。
結婚が最遅で幼い子しかいないボクが、inとoutが違いすぎるとブーブー不満を抱えようとも
「アンタの子もいずれは高校生になるのだからギブ&テイクで」
と言われると、グーの音も出ない。
いずれにしても親族に未就職の子を多くもつ今、年に一度の巨大マネーロストは、
カクカク・シカジカ大人たちにとって悩める大イベントである。
まあそれでも、思春期となって愛嬌の欠片もなくなった子たちが、
親に強制連行されてイヤイヤ来たのは丸わかりだけれども、
ポチ袋を手にした瞬間くらいはニコっとして「ありがとう」と言ってきて、
それはまんざらでもなかった。
平凡なボクが、大人として
“やるべきことをやった感”を得られる
数少ない瞬間だから。
しかし。
今年は少し違った。
我が子を除くお年玉対象の子は、中学生以上。今年は、部活やら受験やらで、みんなで集まるのが困難…という理由で
妻側の親族から
「今年は、ペイペイでお年玉の受け渡しをやろう」
と提案されたのだ。
義理の兄姉と、それらの子。会う必要がなければ、気を遣う必要もこれといってなく、
ボクからしてみれば、“あー、いいんじゃね。ゆっくりできるわ”、と内心は思う。
しかし、今まではお年玉目的であろうとも、
年に1度会って、
「頭良いみたいやねぇ。何が得意?」
「部活楽しい?」
「うちの子にもイロイロ教えてやってよ。」
なんて他愛もない会話が体裁的にはあった流れでのお年玉だった。
でもそれがなくなって、
お年玉文化だけは切り抜かれてしっかり残るのであれば、ボクは入金を期待されるだけの存在であり、
それはつまるところ、
子たちにとってのATMでしかないのだ。
ま、それも時代の流れかな。
ボクは強制的にそう納得し、妻に言われるがままお年玉ペイペイを決行した。
受け取った子側からは、
自身の近況を伝えることも
他愛ない話もなく、
スマホ上でお礼のコトバを二文程度。
たしかに書留郵便でポチ袋が届けられたのなら、LINEでお礼を言ってしまうと失礼な気もするが、SNSで届けられたものにSNSで返答することに失礼はない。
むしろネットリテラシーとしては、これが正解な立ち居振る舞いであろう。
そう。
ペイペイお年玉は、
思春期の子にとっては、めんどくせーおっさん、おばはんとのウザったい話をワープして
資金調達を可能としたコスパ抜群のコミュニケーションツールとなったわけだ。
ITの発達に伴い、サンタさんの設定も難しい
ボクは、1990年前半の初期の頃のパソコンをイジっていたこともあり、大人になっても俗に言う“ITアレルギー”ということは特になく、都度、世の中に合わせてアップデートしてきたつもりではあった。
が、
ここ数年の世界の進歩のスピードにはついていけていない。
先日のクリスマス。
スマホをもつ長女は“骨伝導イヤホン”が欲しいと手紙に書いた。聞くと、よく遊ぶ同級生のお友達からその存在を知り得たようで、
どうやらそれは耳を塞がずにスマホからブルートゥースで音をとばして電話したり、
音楽聞いたりのできる代物のようで、便利すぎていま一番欲しいモノと熱弁してきたのだ。
“骨伝導イヤホン”
ボクも一応存在くらいは知っていた。
けれども他で代用が効くし優先度が低すぎるので電器屋でサンプル視聴すらしたことがない。
そんなものを小学三年の子どもが知っていて、周りがもっているからと欲しがる時代。
ボク自身はある程度、遅れをとらまいと勉強をしてきてはいたが、
こういった子どもたちの「デジタルネイティブ」っぷりを前にすると、
アメリカの子どもの「ネイティブ英語」には、いくらしっかりと勉強しようとも日本人の勉強法では適わないのと同じような気分にさせられる。
◇
末っ子は、サンタの設定を根本から覆してきた。彼はSwitchの「スーパーマリオオデッセイ」が欲しいと手紙を書いた。
こちらは一見すると、ボクの時代と変わらない程度の希望にみえる。
が、
そんなにうまく事は運ばない。
今の時代、ゲーム屋に行ってソフト(パッケージ版)を買うのは、よっぽど安いか、
欲しい特典があるときにのみで、基本はソフトを入れ替えするのが面倒くさいから、
購入するのはダウンロード版。
そうなると、これをどうやってサンタから届けられたプレゼントにするかを
考えること小一時間。
そういえば、あったな。ふと一年前のなかじさんの記事を思い出した。
これだこれ。
ITの進化によって世の中の製品、商品は、使いやすく安全性が高くなったのは間違いないが、それと共に、ボクらおっさんの「身につけてきた」ことは、進化に併せてアップデートするのに苦労と苦悩を伴う。
ボクが子どもの頃に備わった価値観と、現ITが発達した世の風潮の違いには、いくら変化に順応しようとしても、いまだに戸惑って愚痴を言いたくなってしまうのだ。
そんなこんなの古臭いことを言いながらも、2024年が始まりました
今年の個人的な目標は、
特にない笑
丹後100㎞にチャレンジするかも決まっていないので、強いてあげるならば新NISAの枠を夫婦分確実に埋めることと、北海道の東部を満喫することくらいかな。
それよりも、昨年「目の下のクマ」を除去した記事で書いた
この“他の理由”とやらを今年、ここで明らかにするとともに、もしかしたらこの内容が多くなるかもしれない、なんて思っている。
そんな謎めいた意味フのフラグをしっかり立てて、エンジンのかからない新年一発目の更新にしようと思います。
ご挨拶遅れました。
明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。