ソツなくこなせない自分に諦めて…。

欠点は誰にでもあるもので、俺もその例外なく欠点がある人間だ。
先週から引き続き、SEの俺はサーバを次々に停止させるという失敗をしている。(本番ではないが作業に影響)

昔はこんな時よく自分を責め、俺のこんなところが欠点!あんなところが欠点!と書き出して潰そうとしたものだが、ある時それを辞めた話をしようと思う。

1.当時は自分を潰すことばかり考えていた

なぜかといえば、ダメダメだから。
ダメダメな自分のダメダメな部分を潰していけば、いつかいい自分になれる気がしていた。

でも、それは辛い作業だった。

なぜなら、文字で見るとおり、「ダメダメな部分」を消す。ということは、自分を「ダメダメな自分」と思ってるうちは、自分を消さなければ解消されない。

いい自分になるには、もうこの世に存在してはいけないということになる。
それは、自分で自分の存在を否定することではないのか?
自分で自分に認められたいのに、認める前に消えなければならない。だってダメなのはその部分というよりも自分なんだから。

そんな思考を巡らせていると、

…え?死にたい。という気持ちになるものだ。
この先俺が生きていても、意味無くない?

そこから、

自分が嫌いで、ダメな部分を潰すというのは、
考えの順序としておかしいのではないか。

という考えに至った。

2.で、ダメな部分ってなに?

この記事は前から結論のないまま書き進めては止まっていた。

しかし、さっき自分が呟いた内容でようやく筆が進んだ。

そういうことだ。誰の目線のダメなのか。
そのダメというレッテルを自分で貼ってる訳じゃないだろう。
だって、「いい自分」の可能性を信じてる時点でどこかで「俺はダメじゃない!」と思っているだろ。

目標まで届かないのは、ただ届かないだけの自分だ。ダメな部分があるから届かないのではない。

例えば強くなりたい!と思った時に、「いや…でも…おれ…この部分がダメだから…ムリ…」ってなってたら、俺の場合は一生強くなれない。

告白するときも、付き合いたい!と思った時に、「いや…でも…おれ…この部分がダメだから…ムリ…」ってなってたら、俺の場合は一生彼女はできなかっただろう。

それでもいいから、そのまま俺の最大で突っ込む。
誰かの尺度のダメな部分を潰してたらキリがない。俺のダメなところなんて、人の数ほど…70億個くらいあるんだから。

じゃあ、サーバを潰していいのか?といわれれば、それはだめだ笑

3.冷静に考えて、気を落とさないこと

この記事はダメな人なんていないワヨという記事ではない。

俺は考えつめて、ある時自分をダメと責めないようにしよう!という変化が起きた。もうしょうがない部分は諦めて、やりたいことができるような自分を目指す方が、楽しいよって話。

俺はあと大体50年しか生きられない。

70億個の欠点を潰して終えるのか、
それともやりたいことを70億個やって終えるのか。

と、考えた時に、もう考えすぎたり人の尺度で生きてる暇がないなと思った。

俺はそれで楽しくなったから、とりあえず考え方のおすそ分け。

ここでわかっても、経験ためて腑に落ちないと意味は無いと思うけど、知ってるか知らないかだと知ってる方がいいだろう。

なにかの役に立てば。

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