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ひとそれぞれ、ベストなタイミングがある

今回は、タイミングについて思うことを書いてみたいと思います。

あなたには、「あれをやった方がいい/やめた方がいいと思ってるんだけど、なかなか実行できない」ことってありませんか?

私にはいろいろあります。

頭ではわかっているつもりでも、何故かできないこと、、、それはただ単に「まだタイミングではない」ということかもしれません。




ゲームに時間を溶かしていた頃


スマホゲーム中毒


ある時期、私はかなりひどいスマホゲーム中毒でした。

無料なので、お金が減ることはないのだから、と思っていましたが、お金よりもずっとずっと貴重な「時間」をかなり浪費していました。

そうですね、スマホゲームが第一で、あまった時間で仕事をし、さらにあまった時間で食事と睡眠をとっていた、と言う具合です。時間にすれば、日に15時間くらいはゲームをしていたのではないでしょうか。

ゲームの方でもある程度規制?を設けていて、ゲームができるライフがなくなると、一定時間(30分とか1時間とか)は無料ライフが復活しないようになっていました。

その間に、仕事をして食事をしていたというわけです。


キャンディクラッシュ


有名な「キャンディクラッシュ」というゲームは、一気に7000ステージ以上をクリアした後、さすがにこのままではいけないと、ある時ゲームをスマホから削除しました。

ゲームにはまっていたのは半年だったか、1年だったか。スマホから削除する決心をした頃には、夜、夢にキャンディの画像が出てきたり、日中、「チャンス」がキャンディの絵柄で感じられるようになっていました。



通販サイトの無料ゲーム


キャンディクラッシュからは卒業できたのに、次に通販サイトの「ショッピー」(フィリピンの大手通販サイトです)が無料提供するゲームにはまってしまいました。

少しでも時間があるとショッピーを立ち上げ、ゲームをしていました。

いつも一緒にいる友達がさすがに嫌そうな顔をするので、友達が見ていないところでだけやっていたつもりでしたが、それでも相手にはわかっていたようです。



辞めなきゃダメだろうけど。。。


ゲームに時間を奪われている間は、あいた時間は何も考えずゲームに没頭していました。

ゲームの中で得られる小さな達成感で、他の何かをごまかしていたのです。


考えなければいけないこと、向き合わなければいけないことから逃げるために、すぐゲームをしていました。


大切な時間を、いったいどれくらい捨てていたのでしょう?



師匠の師匠の教え


いま、私が師匠として沢山学ばせていただいている「松下恵さん」。

その松下恵さんが「ボス」と尊敬していらっしゃるのが、たくさんの起業家を育てていらっしゃる「北原孝彦さん」です。

北原さんが、ご自身の人生を変えて来たお話をされた時に、「それまでやっていたゲームも全て辞めて」とおっしゃっていました。

その言葉を聞いてから、ずっと「私もゲームをやめなきゃだめだろうな。。。」と心にひっかかっていました。

それでもやめられないまま1年くらいはたったでしょうか。


やめられない自分を「ダメなやつ」と評しながら、それでも決断できずにズルズル時間は過ぎていっていました。


ある日、突然その時は来た


2023年12月29日、突然、「あ、もういいや。自分のビジネスが形になるまでゲームはやめよう」と思ったのです。そして、その瞬間から今日まで、まったくゲームをやっていません。


最初は、手が勝手にアプリのボタンを押しそうになりました。
なるたびに「あ、ゲームやめたんだった」と自分に言い聞かせていました。


いつの間にか、そのアプリに指が伸びることもなくなっていました。

まだ、たかだか45日程度ですが、前述の友達に「そういえば、最近全然ゲームしていないね」と言われて、「あ!本当だ。私、やめられてる!!」と気づいたのです。



出来た時間で


ゲームをやめたことで出来た時間で、毎日の日課を確実にこなすようになりました。

それまでは、「まぁいいか、明日で」と先延ばししていたことも、ゲームをやめて有り余った時間で、他にやることがないので、「じゃあ、あの日課をやっておくか」に変わりました

本当はもっと脳みそに汗をかかせて、自分のビジネスに本腰を入れないといけないのだと「うすうす」感じてはいるのですが、まだそこまでには至っていません。


ただ、これまではゲームをすることで無為に浪費していた時間を取り戻し、もくもくと「積み上げること」に時間を転用できるようになった、そこを自分で褒めています。


タイミング


頭でわかることと、身体が動くこと

どんな自分もOKで、
どんな出来事も必然で、
どんな経験も無駄なことはないので

辞めなきゃ、と思いながら続けた時間にも意味があるのです。

周りからみれば「本当にもったいないことをしていた」のだとしても、あくまで私の学びの一環なのです。

いつだって、なんだって、ベストなタイミングがあるのです。


自己評価が厳しいのは、ただの逃げ


ゲームを止められなかったころは、「自分って駄目な奴」と考えていました。

でもそれは、自分を厳しく評価していたわけではないのです。

自分のことをダメだ、ダメだというのは、逃げなのです。それは楽をしていることなのです。自分に厳しくしているのとは真逆なのです。

これに気付くのにだいぶ時間がかかりました。


まず必要なのは自己受容


本当の意味で「自分に厳しくある」ということの前には、
現状の自分をまるっとそのまま認めてあげる、自己受容が必要なのです。


本当の意味で「自分に厳しい」とは


自己受容ができた後で考えること。それは、
 ー 大切な自分にどんな経験をさせてあげるか
 ー どんな人生を歩ませてあげるか

そして、そのために、地味で面倒なことを、コツコツ努力させ「てあげ」る。それこそが自分に厳しいということなのではないでしょうか。

それでも、コツコツ積み上げた先には、自分が本当に望んでいる未来、人生が待っているのだとすれば、そんなワクワクすることってないんじゃないでしょうか。


私に関わる全ての人に元気と勇気を!
そしてその人の変化を有形無形で応援していきます!!!

タイミングがあうと、思わぬ力が湧いてくるんですよね。自分でも知らなかった底力。
ちか (2024.2.12)


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