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公立高校で七種競技をするということ

原文:ひとりごと💭/Facebook投稿-2018/6/28


「高校生の頃の友達は大体競技場で仲良くなりました。」

高校の頃から私を知っている人ならご存知かと思います。
運動神経なんてものは皆無、そんなに強い選手ではありませんでしたが、私は高校時代のほとんどである2年半の間、『七種競技』に夢中でした。


そもそも七種競技ってどんなことするの?

七種競技(ななしゅきょうぎ)とは、二日間で合計七種の競技を行う陸上競技における混成種目である。

Wikipedia−七種競技


実施種目と私の気持ち、独特の戦い方

1日目:4種目

①100mH
☆そこそこ得意。ハードルが強い選手は七種競技でも活躍する印象。

②走高跳
☆七種の選手は筋肉マッチョなので、助走のスピードと踏切の強さで勝負。

③砲丸投
☆投げるのやだ。重い。

④200m
☆一部の選手がめちゃくちゃ速い。七種競技のための体づくりは200mの選手を参考にする。

2日目:3種目

⑤走幅跳
☆踏切位置がわからなくて50cmくらい損してる気がする。走るの速い選手はそこそこ跳ぶ。

⑥やり投
☆とりあえず地面にブッ刺せば0点は回避できる。なんでみんなそんなに飛ぶん!?

⑦800m
☆走る前は毎回メンタルやられる。みんな1歩目からしんどいから、前半ぶっ飛ばして後半どれだけ粘れるかで勝負。

勝敗の決め方−得点計算

七種競技は、七種目それぞれの記録を点数化して、合計得点で競い合う種目です。

点数の計算方法が超複雑なので、自分で計算できる人なんていないと思います。目安の記録と点数を覚えておいて、あとは感覚。計算してくれるソフトがWeb上にあるから、目標設定の時や試合中にはとてもお世話になりました。

参考までに点数の計算方法もシェアしておきます(こんな計算できるわけない)

①100mH 記録T(秒)のとき、
点数は 9.23076×(26.7-T)1.835

②走高跳 記録d(cm)のとき、
1.84523×(d-75)1.348

③砲丸投 記録D(m)のとき、
56.0211×(D-1.5)1.05

④200m 記録T(秒)のとき、
4.99087×(42.5-T)1.81

⑤走幅跳 記録d(cm)のとき、
0.188807×(d-210)1.41

⑥やり投 記録D(m)のとき、
15.9803×(D-3.8)1.04800m

⑦800m 記録T(秒)のとき、
0.11193×(254-T)1.88


私の肌感としては、
・幅跳びと投擲は点数稼ぎづらいイメージ(私が苦手なだけかも)
・苦手種目でも300点台後半は狙いたい
・600点取れるとうれしい
・800超えはバケモン強い
って感じだったと思います。

ちなみに私の自己ベストは3500点くらいでした(これ需要なさそう)


七種競技との出会い

中学時代、陸上部でいろんな種目にチャレンジしてみて、高校では走高跳をしたいなと思い、高校でも陸上部に入りました。

そこで出会った顧問の先生に、「高跳びできてハードルできたら七種してみたら?」ってオススメされたのが、私が七種競技を始めるきっかけです。


中学時代、四種競技(七種競技の1日目の四種目を行う)の経験があり、やり投はやったことないけど幅跳びはなんとかなりそう、800mはそこそこ得意と思っていたので、七種競技、いいなと思っていました。

それでも七種競技をオススメされてから二つ返事で「やりたい!」というわけにはいきませんでした。投擲種目(砲丸投とやり投)が全くダメだったのです。


高校での七種競技は中学の四種競技から苦手な投擲が1種目増えて、さらに砲丸の重さも倍近くになるため、大阪で戦うには高跳び1種目に絞るべきだと当時の私は考えていたのです。


ここで顧問の先生がもう一押し
「投擲はオレが教えてあげるやん」
顧問の先生はハンマー投げでIH出場した過去を持つ、投擲のスペシャリストだったので、ここで押しに弱い私はすっかり七種競技の沼に引き込まれてしまいました。


投擲の初練習で、予想以上に投げるのが下手だったみたいで(砲丸の飛距離3m)びっくりしてました笑


デビュー戦

年間で七種競技を実施する試合は、インターハイ予選(5月〜6月)と秋季大会(11月)の2回だけで、入学してすぐのIH地区予選には練習が足りなすぎたので、1年生の11月が私の初めての七種競技でした。


結果は6人中6位。上位の5人は地区で一番強い学校の人たちで、優勝したのが混成競技専門?の2年生、他の4人は1年生でした。


この4人のうち2人は、引退まで一緒に七種競技をして、2人ともめちゃめちゃ強かった(近畿大会とか全国大会とか出てた)です。


デビュー戦で分かったことは、

・ある程度の練習時間が確保できる、強豪校にしか七種競技の選手はいない

・強豪校の選手はそもそも走るのが速いため、七種競技も強い

・周りは強すぎるため、私はとりあえず3000点を目指す

ということです。


来年のインターハイ予選で大阪大会に出るためには、練習時間の確保と走力の向上が課題となりました。


戦線離脱

私は中学生くらいから足の調子が悪くて(有痛性外脛骨障害)、それが高校1年生の夏休みくらいに悪化してしまいました。


ある日突然、テーピングなしでは立つことも難しくなってしまい、今まで通っていたところよりも大きい病院に行くと「即手術」って言われるくらい状態は悪かったみたいです。


でもせっかく練習してたし、テーピング巻いちゃえば走れるし、捻挫さえ重ねなければ悪化することもないし、秋季大会までは手術したくない!!っていうワガママを聞いてもらい、秋季大会までは痛み止めと徹底的なケアでなんとか乗り切って、12月に手術をすることにしました。


両足ともボロボロで、手術をしたため、1ヶ月くらいは完全に車椅子生活でした。


復活! かとおもいきや

3月からまた走れるようになって、時間も体力もギリギリの中、5月のインターハイ予選で七種競技に出場することに決めました。


冬季練習丸々お休みしてしまい、体力がガタ落ちした中で、デビュー戦よりも記録は下がってしまいましたが、なんとか大阪大会に出場して、七種競技を2回ともやり切るることができてホッとしたのを覚えています。


夏休みの練習は、仲間が怪我などで離脱していく中、怪我には最新の注意を払って参加したためしっかり練習を積むことができました。


夏休み中にやっとパフォーマンスが回復して、いろんな種目で自己ベスト更新、足のことを気にせず陸上を楽しむことができました。


しかしその後夏休み明けくらいから、私の身体はバリクソ忙しい高校生活に悲鳴を上げて、自律神経失調症になりかけてしまいました…

まず、朝起きれなくなって、毎日通えていた朝練(6時10分の電車に乗ってた)はもちろん、1時間目にも間に合わなくなってしまいました。
授業に間に合わないと勉強も追いつかず、それがまたストレスになって悪循環…なんてことは避けたかったため、放課後17時までは勉強して、1時間だけ部活に行く、みたいな日々を過ごしていました。


足が完治したのに思うように走ることができず、フルで練習に参加できなくて部活にも居場所がなく、それでも秋季大会では七種競技をしたい。

「とりあえず7種目やり切ったら何か変わるんじゃないかな」

そんな期待を胸に、体調がすぐれない中でも自分ができることは全力で取り組んで、秋季大会の1ヶ月前からは苦手になってしまった早起きも頑張って、なんとかまた、7種目やり通すことができました。


気づけば1年生の頃の3000点取る!って目標もクリアしていた。
なんかランキングにも載った。走高跳は大阪39位タイ、七種競技は大阪20位
「強い選手」まではいかないけどこれでやっと「陸上してます」って胸張って言えるかな、手術受けててよかったな、と思いました。


次の目標は3500点、引退までに達成する。


気づけば引退!?

手術から1年、最初で最後の高校の冬季練を完走し、気づけば最後のシーズンになっていました。
冬季練をやり切ったことで自信がつき、体調もだいぶ回復。


最終学年

3年生になり、七種競技をやりたい!って言って陸上部に入ってきた後輩もできました。この後輩がめちゃめちゃ強くて、私は卒業するまでに記録を追い抜かれてしまい、彼女はその後近畿大会にも出ています。


3年生にもなると私は、「公立高校で七種してるヤバいやつ」って枠で微妙に有名になり、他校の友達も増えてTwitterのフォロワーも増えて、いろんな人が私の競技に目を向けてくれるようになりました。


身体も入学当初と比べて身長が+2cm、体重が+4kgと、かなりムキムキになりました。(当時の筋肉は現在全て脂肪に変わってしまいました…😭)


この時期(4月〜5月)が一番ご飯食べてたし、一番練習してた気がします。

当時の1日のスケジュール

6:00 起床、朝ごはん

7:30 朝練(砲丸投、やり投)

朝練後におにぎり

8:10 授業 

2、3限の間(15分休憩)に早弁

13:00 昼休みに校舎裏タータンでハードル練習(動作確認)

14:00 授業、終礼

15:30 部活(メインは短距離、状況次第で走高跳、走幅跳、ハードル)

18:00 部活終了 補食のおにぎり

19:00 長居のトラックが開放日は練習(走高跳、ハードル)

20:00 練習終わり、ダウンとストレッチ

21:00 帰宅、晩ごはん、お風呂、練習日誌記入

23:00 就寝


負けたら引退のインターハイ予選、開幕。

インターハイ路線には初のチャレンジとなる高跳びと七種競技で出場。
2年生までは体力面の問題で七種競技とハードルで試合に出場していましたが、私は走高跳がしたくて陸上部に入ったため、高跳びと七種競技で出場することにして、決めたからには絶対やり切ろうと思いました。


5月のIH地区予選では、人生初の2日連続で走高跳。2日目の体の重さはハンパなかったです。笑
それでも無事に七種競技、走高跳、リレーの9種目やり切って、全て大阪大会の出場を決めることができました。ちなみにこの時の七種競技は3351点で、目標の3500点には届かずでした。


そして迎えた大阪大会、私の競技力的で近畿大会出場はかなり厳しいため、これが高校最後の七種競技になります。


1日目 走高跳、4×100mリレー

直近の練習で走高跳の調子がとても良く、近畿大会出場を狙っていましたが予選敗退。悔しい結果となりました。

リレーではチームベストを叩き出し、準決勝進出を決めました(決勝進出ならず)。

2日目 七種競技1日目

・ハードルは自己ベストの16秒74で626点

・走高跳は1日目のリベンジをしようと挑んだが1m48(自己ベストは1m51)で599点

・砲丸投げでは私史上初となる7m越え、7m86で390点、入部当初3mだったのに、、顧問の先生の言葉を信じてよかったなと思いました。

・200mも自己ベストの28秒03で628点でした。

3日目 七種競技2日目

・走幅跳は、直近の練習でやっと跳び方を掴んだ気がしたため5mを目標に挑みましたが、風が読めず、助走が合わずで4m36で393点

・やり投は、地区予選で23mの自己ベストが出たにも関わらずこの大会では18m79で266点、残る1種目の800mを自己ベストで走っても3500点には30点足りず、やり投の競技終了から800mの競技開始時間までの緊張がハンパなかったです。

・800m、最終種目なので全て出し切ろうと思って挑みました。直前の3000mと100mの決勝戦での同期の活躍に感化され、1周目うまくスピードに乗れた結果、自己ベストを6秒更新し、2分34秒43で638点でした。

7種目合計で、3540点。2年生で立てた目標、3500点をついに達成しました。

ただしこれだけ自己ベストを量産しても大阪12位、周りのレベルの高さに圧倒されました。


七種競技の魅力

周りのレベルに圧倒された1年生、一緒に七種競技をした地区大会のメンバーは4000点を軽く上回り、全国大会への出場を決めるほどでした。
全国レベルの相手と7種目本気で勝負できるのは、競技人口の少ない混成競技ならではだと思います。

競技中は同じメンバーで7種目行うため、事前召集から競技開始の間や競技終了後に他校の選手と話せそうな機会が他の種目をするときよりも多かった気がします。

あとがき

私が2年間やり切ったのがたまたま七種競技だっただけかもしれません。

・不安でもとりあえずやってみなきゃ始まらない

・他の分野の人から刺激を受けて熱くなれる気持ち

・はじまりはコースが決められていて、スピードに乗った頃には走る場所を自分で確保しなきゃならない

・苦しくなってもゴールまでは粘り続けること

・速く走るために練習をどれだけ積んでも、最後は根性が必要

・妥協せず取り組めば、予想以上の結果が得られることもある

まだまだありますが、少なくとも上に挙げた6つは私の高校時代の青春であり、今も生きる教訓でもあり、これら全てが最後に走った七種競技の800mに詰まっていました。

青森に来て高跳びマットにありつけず、陸上競技からも離れてしまいましたが、この記事を書いているともう一度七種競技に挑戦してみたくなりました。

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