見出し画像

人脈よりも、ご縁という言葉や感覚を大切にしたい

「人脈」よりも「ご縁(えん)」という言葉の方が好きだ。

これは、私が人付き合いが苦手なゆえ、人脈らしい人脈を持っていない「人脈コンプレックス」を抱えているせいでもある。

仕事をしていると「やっぱり最後は人脈だから」「人脈のつくり方」「成功は人脈しだい」なんて言葉をよく耳にする。

もう、人脈人脈って、怖いよー。と思うのは私だけだろうか。人脈という言葉には“圧”を感じるのだ。

そもそも人脈とは、

デジタル大辞泉の解説:じん‐みゃく【人脈】
《山脈・鉱脈などになぞらえた語》ある集団・組織の中などで、主義・主張や利害などによる、人と人とのつながり。「豊富な人脈を誇る」
大辞林 第三版の解説:じんみゃく【人脈】
〔「山脈・鉱脈」をもじった語〕姻戚関係・出身地・学閥などを仲立ちとした、人々の社会的なつながり。

やっぱり、純粋な人のつながりではなく、”何かが絡んだ”人間関係のことを指すようだ。

ビジネスに人脈を活かせというのは、やっぱり自分にとっての利が絡むわけで、私はこのあたりのニオイに敏感なのかもしれない。


対して「縁(えん)」という言葉も、人と人とのつながりを表す言葉である。その意味をあらためて調べてみると、以下の解説が出てきた。

デジタル大辞泉の解説:えん【縁】
1 《〈梵〉pratyayaの訳》仏語。結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して結果を生じさせる条件や事情。「前世からの縁」
2 そのようになるめぐりあわせ。「一緒に仕事をするのも、何かの縁だろう」
3 関係を作るきっかけ。「同宿したのが縁で友人になる」
4 血縁的、家族的なつながり。親子・夫婦などの関係。「兄弟の縁を切る」
5 人と人とのかかわりあい。また、物事とのかかわりあい。関係。「金の切れ目が縁の切れ目」「遊びとは縁のない生活」

「縁」はなんというか、自然発生的なつながり(厳密には違うかもしれないけど)のような。自分の力の及ばないところで結ばれたり、作用したりする、めぐりあわせのこと、と言っていいだろうか。

人脈は、つくる、使う、広げる、という使われ方をするのに対して、縁は、ご縁を結ぶ恵まれる深める、という使われ方がしっくりくる。

自分の意志で“目的をもって”人とのつながりをつくり、上手に利用する。それが人脈。悪いことだとは思わないし、必要な場面もきっとあるけど、ただ私の感覚とはマッチしないんだなと感じている。


昔、私が失恋した時、「縁が無かったとよ〜」と母がなぐさめてくれたことがあった。

誰が悪いわけでもなく、「ただ縁がなかった」だけ。それで離れることもあるんだと。そして本当に縁のある相手なら、一旦離れてもまたこの先いつか結ばれるようになっている…とも。


自分が“つくった”人とのつながりが全てではなく、もっと大きな感覚の中で、出会ったり別れたり。必要な時に必要な人に出会う気がしているし、ある時が来たら、ご縁が切れることもあるかもしれない。

私は人付き合いが苦手だからこそ、頑張って人脈を作ろうとして成功した記憶がない。だからこそ、ご縁というおおらかな流れの中で出会った人を、大切にしていきたいと思っている。

これを読んでくださっている方とも、何かのご縁。どうもありがとうございます、と感謝をこめて。

それでは、また。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。よろしければ「スキ」やSNSでシェアしていただけると、とっても嬉しいです! いただいたサポートは書籍購入など、今後のnoteに活かすために使いたいと思います。