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北朝鮮の万能薬ーピンドゥの正体 #50

以前、北朝鮮の薬(医薬品)についての記事を書いたことがあります。

そして、今回は北朝鮮の“クスリ”について書いていこうと思います😎

私が生まれ育った地域は化学工業地域で、そういった関連の仕事に就く人が多くいましたが、1994年金日成が亡くなった後に「苦難の行軍」が始まり、街にはコチェビ(孤児や浮浪者全体を意味)や餓死する人が溢れるようになりました。
(苦難の行軍に関しては以下の記事をご参照ください)


北朝鮮当局は当時のデータを公開していません(そもそもデータがあるか疑問です)が、私が住んでいた地域の死者が最も多かったといわれていました。

工業地帯であったために田畑が少なく、重大な食料不足に陥ったのが原因だと思います。

そういった大変な状況が10年ほど続いた頃のこと。私が平壌の大学に行って1年ほど経った2004年頃、奇妙なことが起こりました。
夏休みや冬休みに里帰りをすると、久しぶりに会う知人(以前は生活が苦しかった)の中に「ドンチュ」と呼ばれるいわゆる成金の人が目立つようになったことです。

ある日、暇つぶしに散歩をしていると、どこかで私を呼ぶ声がしました。

「ジヨンじゃないの?久しぶり!」
声がする方を見ると、高等中学校(北朝鮮は中学校と高校が一体化になっています)で体育を教えてくれた女性の先生が立っています。

私が授業を受けていた当時、その先生は若く、とても気さくな性格であったため子供たちに人気がありました。私もその先生に対して良い印象を持っており、笑顔で挨拶をしました。

しばらく先生と立ち話をしている中で、結婚をしたことや小さい息子がいることを話してくれました。
私も大学に行った話や夏休みで暇だという話をすると「私の家に遊びに来て。家で夕飯でも食べよう」と何度も言うのです。
(ん?夕飯?)と思い、あまり気が進まなかったですが、好意で誘ってくださるのを断りきれず、遊びに行く約束をしました。

数日後、約束通り私は先生が教えてくれた自宅を訪問しました。

当日の記憶は鮮明に残っており、忘れられません。

先生の自宅は6階建てアパートの2階で、ハーモニカの鍵盤ように横一列にならんだ中の一番奥の部屋でした。私がノックをするとドアが開き、先生が顔を出し「入っておいで」と笑顔で招き入れてくれます。

中に入ると6~7畳くらいの薄暗い部屋で(当然停電しています)オイルランプが点いていたのですが、なぜか少し煙っぽく変な匂いがしました。

(オイルランプの煙かな?)と思いました。

そして、部屋には1歳くらいの赤ちゃんと旦那さん、知らない男性がもう一人座っていました。

気まずい雰囲気を感じた私は、挨拶をしてこのまま帰ろうか迷っていると、キッチンで先生が夕飯の準備をしながら「座って」「座って」と何度も言うのです。

仕方なく座って待っていると、旦那さんと男性が私の顔をチラチラ見ながらアルミホイルと「ガラスでできた小さいやかんのようなもの」を取り出しました。

アルミホイルを細長くして先に粉のようなものを乗せ、オイルランプの火で炙るとそこから煙が出てきます。ガラスのやかんのようなものを鼻につけその煙を吸っているのです。

私はその様子を見て、お部屋に漂う変な匂いの原因を悟りました。

その後、先生が入ってきて「ジヨン、オルム(氷という意味)知っている?」と聞くのです。「オルム知っていますよ」と言うと、先生は笑いながら「そのオルムではなくて、ピンドゥのことよ」と言うのです。

そして続けます。
「ピンドゥを使うと肌は綺麗になって、スタイルも良くなる。体の痛みが消えて、気分は良くなるし、これは本当に万能薬だよ。やってみる?」と。

私は当時、ピンドゥというものの正体を知りませんでした。しかし、なんとなくマズイものだと直感で分かりました。

ピンドゥとはメタンフェタミンと呼ばれる覚醒剤の一種です。
ヒロポンという名称に聞き覚えがある方がいらっしゃるでしょうか。日本でも戦後に嗜好品として蔓延し、社会問題化した歴史があるそうです。
現在は医薬品として、厳格な管理のもと以下のような効能を持つ治療薬として処方されています。

効能または効果
○下記疾病・症状の改善
ナルコレプシー、各種の昏睡、嗜眠、もうろう状態、インスリンショック
うつ病・うつ状態、統合失調症の遅鈍症

○手術中・手術後の虚脱状態からの回復促進及び麻酔からの覚醒促進
○麻酔剤、睡眠剤の急性中毒の改善

【重大な副作用】
依存性(頻度不明)
反復投与により薬物依存を生じるので、観察を十分に行い、用量及び使用期間に注意し、慎重に投与すること。

GenomeNetより参照

先生は好意ではなく、覚醒剤を私に売りつけるために呼んだということです。その場で断り、ご飯も食べず逃げるように家に帰ってきました。

数日後、この件を母に相談したところ、母は泣きそうな顔で「そういうものは絶対にやってはいけない。あれをやったら死ぬと思いなさい」と言われました。母は医学を学んでいたため、その正体を詳しく知っていました。

それからしばらくして、友達や知人からピンドゥについての情報をたくさん仕入れることができました。

前述の通り、私が住んでいた地域は化学関連の大学や研究所、工場などが軒を連ねているような地域でした。”苦難の行軍”における食糧不足の時代にあっては、当然、生活が苦しくなります。

そういった形で追い詰められた人たちが止むに止まれず、覚醒剤の密造に手を染めるという状況があったようです。
そして、それを中国で売り捌いて儲ける人たちもおり、その中に成金になるぐらい成功した人も出てきたという。状態が悪いものは国内の消費となるらしいです。

そして、中国からピンドゥを使うための道具(上記で登場した「ガラスでできた小さいやかんのようなもの」)を買い付け北朝鮮で高く販売しているらしいです。

その事実を知った上で周囲を見てみると、本当に多くの人がピンドゥと関わっていることが伝わってきました。

北朝鮮の覚醒剤の使用率に関する韓国の信頼できる情報を探してみましたが、20%とか、30%とか、60%などと、かなりばらつきがあったためここで紹介しないことにします。

当時、私が住んでいた地域では、約5人中1〜2人は常用、一度でも使った経験があるという人はたくさんいました。ピンドゥを知らない人はほとんどいなかったように思います。

ピンドゥを自ら使い、かつ商売をしている知人は言いました。
「これはタバコよりやめやすい。うちの母は腰痛と膝関節痛が治ったよ。いつも元気が出て最高だよ」と。

ピンドゥを常用している人の特徴は、寝なくても食べなくても元気だということです。私の友人を例に挙げると、スタイルが良く、目がキラキラして、肌も白かったです。食欲もあまりないように見えました。

当たり前ですね。覚醒剤ですから。
しかし、何日か経つと気絶するように深い睡眠に入り、1日まるまる寝てしまうこともあるようでした。

私が先生の家に招かれてから1〜2年経った頃、大小さまざまなトラブルが起こるようになっていました。ピンドゥを買うお金をくれない親を子が包丁で刺す事件が起こって、恐ろしさに震えたことを覚えています。

ピンドゥを定期的に使っていた友人は心臓発作が起こるようになり、白くて綺麗な顔は血色がなく、唇はチアノーゼのようになりました。
それでも彼女は「いつでもやめられるけど、今はやめない」と言っていました。

私自身の経験を振り返ると、友達に一緒にピンドゥを使おうと誘われた回数は1回や2回ではありません。もしそこで手を出していたら、今の私はなかったでしょう。絶対に使わないようにキツく注意してくれた母に感謝です。

私が北朝鮮で暮らしてい当時、ピンドゥに対する取り締まりはそれほど厳しいものではなく、薬物の乱用によって命を落とす人がかなりの数に上っていました。

しかし、さすがに北朝鮮当局も危機感を覚えたのでしょう。ピンドゥの取り締まりに精を出しているようです。ずっと放置しておいて、いまさらな感じは否めませんが…

一つ疑問なのは、ピンドゥを販売する人に対して厳しい取り締まりをしている一方で、その恐ろしさについて国民に周知する活動はどれくらいしているのかという部分です。

「いつでもやめられる」と豪語していた友人は今も生きているのでしょうか…思い出すと複雑な気分になります。

北朝鮮が1日で早く正常な国ー本当の意味で民主主義国家になる日を願いながら、この記事を終わりにしたいと思います。

ありがとうございました。

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