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地上の地獄 - 北朝鮮の真実 #6

北朝鮮では帰国者(元在日朝鮮人で北朝鮮に帰国した人)のほとんどが日本からの仕送りで生活していました。

なぜ、自分の力で稼いで生活しないのか。
なぜ、仕送りを送ってもらわないといけないのか。

北朝鮮では働いてもほとんど給料が出ません(1ヶ月分の給料は靴下一足買えない金額です)。

北朝鮮は工業や農業など全ての生産活動を国が管理しており、個人が商売をすることは公式に禁じられていて、厳しく取り締まっています。
国が指定した場所で働くと、わずかな賃金とともに食品や日常品を現物支給される仕組みで国民の生活は成り立っていました。

また、税金や病院代、学費、家賃がありません。
これだけ聞くと天国のように思えます。
これらの誘い文句に騙された約10万人の在日朝鮮人が故郷でもない北朝鮮に渡りました(帰国者のほとんどが韓国出身)。

▼配給制度について

配給制度についてもう少し詳しく説明します。

冒頭で書いた通り、北朝鮮で稼働能力を持つ者は国に指定された職場で労働に従事します。対価として受け取れるのが、わずかな賃金と現物支給を受けるための“配給チケット”です。

高級官僚など国の中枢に近いほど配給の質は上がりますが、工場で働く労働者や外国からの帰国者、犯罪者の一家のような低い身分の人は必要最低限のものしか手に入れることができません(身分制度についてはまたの機会で)。

日本で長く暮らしていた帰国者らは北朝鮮の仕組みに慣れるのが難しかったため生活が苦しくなり、やむ終えず日本にいる親戚に仕送りを頼んでいました。

配給といえば思い出すのが、幼い頃、お店に母と行き、父の職場で配られたチケットで食用油や少量お米、トウモロコシ、洗濯固形石鹸などと交換したことです。

お店は配給が行われる数日間のみ開かれるため、その期間に同じ地域の人たちがいっせいに並びます。ほとんどが知り合いで私の同級生も多くいました。
待ち時間が長いので、子供たちは近くで遊んで時間を潰していました。

このような配給システムは国の経済力の低下でどんどん質が悪くなっていきます。
例えば、主食に関していえば、米の配給はなくなり、麦やトウモロコシ、雑穀に変わっていきました。量も1日3食から2食分に減ってしまったため、少しでも量を増やそうと、水を足す家が多くなりました。

日本では美容や健康のために白米を避け、あえて雑穀などを食べる人がいると思いますが、毎日毎日、必要性に迫られてそういった食生活を送っていると、雑穀など見たくもなくなります。

1960年代から経済状態は悪化の一途をたどり、金日成は生前に「国民が白米と肉を食べる姿を見るのが自分の願いだ」という発言を残しています。金日成の願いは半世紀が経った今も叶っておりません。
北朝鮮では昔も今も白米は貴重なものになりました。

日常品は全く配給されなくなり、イワシの油を使った手作り石鹸が出回るようになりました。このイワシ石鹸は製造技術が低いため、洗った洗濯物に強烈な魚の匂いが残ってしまいます。その匂いは貧しい家の象徴になりました。

しかし、1994年、金日成が亡くなった後、北朝鮮の国民は雑穀だけの食事やイワシ石鹸すらも贅沢であったと知ることになります。

全ての配給がぴたりと止まって、食べるものが無くなったからです。石鹸を作るためのイワシなど手に入らなくなりました。

そして餓死者が大量に出始めます。

日本からの仕送りがない帰国者らも多く飢えて亡くなりました。

北朝鮮政府は当時の状況を「苦難の行軍」(1994ー1999年)と名付けています。
「苦難の行軍」の5年間、人口約2000万人の中で100万人以上が餓死したと言われています(namu.wiki参考)。

街に出れば飢え死にした人の死体が横たわっており、殺人や強盗、空き巣などが起こるのは日常茶飯事。食人事件まで発生する有り様で、外出するのが怖いほどでした。

何より悲惨だったのは、弱者である子どもと老人が被害を一番受けたということです。

この写真のように、手足が枝のように細くなり、お腹だけがぽっこりと膨らんだ栄養失調の子供たちが街に溢れていました( ;  ; )



そして、軍は民間より食料の供給があったと言われていたものの、栄養失調で働けず帰宅させられた軍人も数多くいたようです。
同級生の中でも、やせ細って骨と皮だけになり、別人のような様子で故郷に戻る人が増えてきました。

兵士達は痩せ細っているせいか幼く見えますが、
栄養状態としてはマシな部類に入ると思います。


今、振り返っても悪夢の様な経験でした😓

そのような中、金正日はテポドン1号というミサイル発射の契約書にサインをしました(1998年)。
テポドン1号発射には最低3億ドルがかかります。3億ドルで国際市場のトウモロコシを買えば約350万トンになり、それだけで北朝鮮全国民の1年分に近い食糧となるといいます。(wikipedia参考)

(今回の記事を書くためにwikipediaでこの事実を知ることになり、湧いてくる怒りを抑えることができず、手が震えました。当時、亡くなった不運な方々を思うと胸が締め付けられます。)

恥知らずな政府は、新年になる度に“国は大変な状況であるけど全国民が一丸となって乗り越えよう”と呼びかけていました。

当然、国民のほとんどは政府が言ってることを信用しなくなります。多くの人は配給制度を諦め、禁止されている商売を始めました

私の家でも、仕送りでもらったお金で(またいつ送ってくれるか分からないので)母が平壌と地元を行き来しながら特産品を販売する商売をし、少しずつお金を増やして生活をしました。おかげで私は一度もお腹を空かせることなく暮らすことができました。

街には大きな荷物を持った人々が国中を行き来しながら商売をしました。その人たちは「ダルリギ(走る人 )」と呼ばれました。

市場は中国の品物が溢れかえっていて、「市場には猫の角以外はなんでもある」と噂になるほどでした。

商売以外でも、工場で働く人は機械の部品を盗み、病院で働く人は薬を盗み、運転手はガソリンや車の部品を盗み、農民は農作物を盗み、電気線などを切断して盗む人まで現れました(ほとんど電気は来ません)。
当然、工場や病院は全て操業停止です。

そして、公権力を持つ人々は堂々と汚職を働くようになりました。安全員(北朝鮮の警察)は市場で商売をする人を見逃す代わりに賄賂を要求します。

学校の先生も昼は授業をして、夜間は市場で料理を売ったりしていましたし、比較的、経済状態が豊かな生徒の親に援助を要求するようになりました。
私も授業中に先生に呼びだされ食料品や現金、薬などを求める手紙を持たされて帰宅した経験が数多くあります。(学校生活はまたの機会で)。

誰もが生きるために必死でした。


▼税金について

ここに来て少しだけ税金について触れていこうと思います。

北朝鮮は税金はありません。
来日して税金について理解するまでしばらくかかりました。給料明細を初めて見たとき、働いて稼いだはずのお金がなぜか減っていてびっくりしたのを覚えています😂

これだけ聞くと「北朝鮮も良いところあるしゃん」と思う方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、そんな甘い話はなく、お金の代わりに別のものを納付する必要があります。現物です。

現物?     なにそれ?

現物はあらゆる資源のことです。
収める機会が多かったものをざっくり挙げると、古紙、ガラス、銅・アルミニウム・亜鉛などの金属、ビニール、布などが思い浮かびます。

ウサギの毛皮という現物が求められることもあります。軍人たちの防寒服や帽子を作るためです。

これらの資源は一定量を定期的に納付する必要があります。子供たちは学費の代わりに、地域では町会費の代わりに、職場でも配給券をもらう代わりに、現物を納付するのです。

ウサギは多くの家で小さい頃から育てて、皮を取ることが多いです…詳細は割愛しますが、言うまでもなくとても大変な作業です。

日本のように資源が豊富であればいいのですが、北朝鮮は全ての資源を集めるのは容易ではありません。例えば、古紙を考えると日本では本が溢れていたりスーパーに行けば古い段ボールも貰えます。
北朝鮮では一番多く出版する金一家の歴史や活動についての本や新聞で金一家の写真が載っている部分は古紙として出せません。一般の本はとても少なくてなかなか手に入りません。、

     提出しないとどうなるか

子供たちは学校で先生に怒られ、同級生からも非難を浴び、最終的には家に返されます。
大人の場合もかなりの期間、怒られて辛い思いをします。

そのため、市場では資源を販売するようになりました。
その資源は集められたところから盗まれるか、そこの人が賄賂をもらって横流しをすることが多いのです。
結局、資源を回収しては横流ししての繰り返しです😭

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