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「脱北者」と呼ばれるのが好き♡#46

これまで記事を読んでくださった方はご存じだと思いますが、私は北朝鮮で生まれ、今は日本で暮らしている脱北者です。

韓国では「脱北者」や「脱北民」という言葉は差別用語だといわれ、「北朝鮮離脱民(ブッカンイタルジュウミン)」や「新敷地民(セトミン)」など多くの呼称が存在します。

ある言葉が差別用語として認定されると、代替案がいくつも誕生するものの、定着せずに元の言葉が使われ続ける…というのは、どこの国でも似たような傾向があるのかもしれません。
今でも、韓国で一番通りが良いのは「脱北民」だと思います。

韓国での扱いはさておき、私は「脱北者」という言葉に特別悪いイメージを抱いておらず、むしろ気に入ってます🤓

なぜなら、私は北朝鮮で暮らしているのが死ぬほど嫌で、「北朝鮮」を「脱出」した「者」だからです。
「脱北者」ほど私の歩んできた道のりを的確に表現できる言葉は、この世に存在しないとすら思っています🤓

北朝鮮では、日本からの帰国者を「在日帰国同胞」を短くして「在胞(ジェポ)」もしくは「在日帰国者」を短くして「在者(ジェチャ)」と少しバカにする言い方で呼ばれていました。
(日本から北朝鮮への帰国者については以下の記事をご参照ください)

それに対抗するように、帰国者たちも北朝鮮で生まれ育った人たち(以下、”現地の人たち”と表現します)のことを「アパッチ」や「げんちゃん(現地の”げん”+ちゃん)」などとからかって呼んでいました。
(これらは、もちろん帰国者同士でこっそり呼んでいました)

北朝鮮で暮らしていた当時、ここまで挙げてきた言葉が会話で飛び交っているのは自然なことだったので、それが”差別”にあたるのかどうか考えたこともありませんでした。

しかし…
これらはいずれも”差別用語である”と今の私は思います。

差別という用語を、国際連合は

「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である」

Wikipediaより

と定義しているそうです。

当初はお互いを区別するために作られた用語だったはずです。
しかし、時が経つにつれて互いが嫌で嫌でしかたない存在になり、相手を見下して侮蔑の意味を込めて呼ぶようになっていったのだと想像します。
私が北朝鮮で聞いたそれらの言葉は間違いなく「差別用語」として使われていました。

言葉が通じず、円滑なコミュニケーションが難しかったのも、差別が生まれた理由の一つでしょう。

帰国者側から見た場合、「地上の楽園」といわれて帰国したら、現地の人はとんでもなく貧しい生活をしているわけです。豊かな日本の生活に慣れている人が多かったため、不満を覚えたり、小馬鹿にするような言動が生まれたりするのは、ある種の必然といえるかもしれません。

一方で、現地の人たちは日本に対して植民地時代の悪いイメージが残っています。国が目を血走らて取り組む教育や情報操作によって、洗脳も途切れることなく続いてきました。敵対国で暮らした人々に良い印象を持つわけがありません。

北朝鮮という国家は、こういった差別を政策面からもバックアップします。
帰国者は要注意人物として、監視の対象にしていされます。身分階級の中で一番下に位置づけられており、仕事で成果を出しても出世をすることは叶いません。現地の人と恋人になっても結婚できないなど、たくさんの制限を付けたのでした。

こういった事情で互いに差別しあう風潮はあったものの、その中でも生きる道は「共存」だと考え、仲良くする人も多くいました。
帰国者の家にいって家事を手伝ったり、現地の情報を教えたりする代わりに、食糧や日本の古着をもらうなどといった交流がありました。

中にはスパイも含まれていて、あえて友好的に近づいてきて監視するパターンも多くありましたが…💦
(昔、旅行好きの友人に聞いたことがあるのですが、インドでは旅行者に向かって親しげに日本語や英語で話しかけてくる人は”よくて商売人だし、たいていは悪い人”だそうです。やけにフレンドリーな人はひとまず警戒しましょう😉)

また、生活が苦しい帰国者は、日本で食べていたいなり寿司や海苔巻き、ケーキやクッキー、せんべい、あんぱんなどを作って売ったりしていました。特にケーキやあんぱんなどは、帰国者の家庭で好んで食べられています。生まれたときから現地で暮らしてきた人たちでは、いまだに知らない人が多いと思います。

しかし、その中で「いなり寿司」は北朝鮮の一般庶民の味覚に合わせた「ドゥブバブ」という料理に生まれ変わり、広く愛される一品になりました。

ご飯には味をつけずに、ご飯の上にヤンニョム載せます

ピリッとした辛味が食欲をそそります。見た目もおいなりさんの要素を残していますよね。

ここまでいろいろと書いてきましたが、この地球で人間として生まれた限り、だれかを「差別」するということは、巡り巡っていつか自分に返ってくる「自分の指で自分の目を指す(朝鮮のことわざシリーズです✨)」ような愚かな行為だと思います。

北朝鮮のような「差別」や「人権」といった概念がないところで、国が与えた地位や階級などを真に受けて(表向きだけでも受け入れないと処罰されるのですが)、生きている場合であっても「共存」を選ぶ人はそれなりにいましたから。
(全員が全員という訳にはいきませんでしたが…)

はじめの話に戻ってもう一度だけ繰り返しますと、私は「脱北者」という呼び方が嫌いではありません🤭

「障害者」という言葉のように、”障る(さわる)”とか”害(がい)”とか、明らかにマイナスの意味がある場合は別として、呼び方どうこうよりも、そこに付いてくるイメージや呼ばれた人がどう感じるかが大切だと思います。

最後に一つ、私はこのように「脱北者」として生きてこれたのは、やはり私を受け入れてくれた「日本社会」があったからです。

自分を証明するもの一つもなく脱北してきた私に、国籍やパスポートを与え、夢や希望を持てるようにしてくれたのは、間違いなく日本であり、広い意味ではこの記事を読んでくださる方々も含まれます。

日々の生活をしていく中で慣れてしまい、忘れがちではありますが、この場を借りて言わせていただきます。

私はこの国にしっかりと根を張り、家族を支え、仕事を通して医療に貢献することで、少しでも恩返しがしたいといつも思っています。

ありがとう、日本!

そして、私を支えてくれた全ての人へ感謝の気持ちを送ります💐

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