見出し画像

【エッセイ】僕の中の社会

社会人という言葉がある。大半の人は学生を終えると、企業に勤め、「社会人」とやらになっていく。

僕は企業に勤めず、1日の大半は読書や映画鑑賞、旅に費やす日々。一応、個人で請け負っている仕事もちらほら。

でも、社会人ではない気がする。

社会人はちゃんと朝早く起きて、日々の業務をこなし、また明日もしっかり仕事に取り組む。遅刻したり、気分によって行動をコロコロ変えたりはしない。そんな人々が「社会人」というのだろう。

僕は5人家族だが、なぜか平日から家で全員集合してしまう「非社会人」の集まり。平日から旅行することもあれば、夜な夜なボードゲームを楽しむ日もある。大学のサークルのような家族なのだ。

だから社会というものをあまり知らない。

僕にとっての社会は、僕の周りにいる企業勤めの友人たちからの情報だ。地元の友人や大学の友人はみんなバラバラの就職先。ITベンチャー企業からマスコミ、コンサルティング、メーカー、物流、インフラなどなど。

だから彼らの話を聞いて、ピースの1つ1つをかき集め、僕の中にある社会パズルを形成している。

どうやら、社会は厳しくて、めんどくさいものらしい。時間通りに行動しないといけないし、上司や同僚とのコミュニケーションを大切にしないといけないし、場合によっては自分の時間を奪われてしまうのだとか。

社会では当たり前のことらしい。

学生時代、イキイキしていた友人たちがそんな「社会」にそまっていく。身も心も社会に飲み込まれようとしている。立派な社会人だ。

学生時代、尖っていた友人たちは社会という激流に流され、気付けばまるくなっていた。まるい人々の集まりが社会なのかもしれない。社会で生きる残るには、まるくなった方がいいみたいだ。

僕はまるくなりたくないので、今後も「社会」の一員になることはなさそうだ。だから僕は社会人ではないし、社会人にはなりなくない。

そもそも社会なんて、僕の頭の中にある幻想にすぎない。あるようでないのだ。幻想の中で生きるのはごめんだ。

今後も友人たちの話を聞きながら、僕の中の社会はどんどん大きくなっていくだろう。僕は社会と距離をおきながら、今日も自分の人生を歩んでいく。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?