旅人のエゴ
旅がしたくてたまらない。僕自身、高校野球部を引退して以来、何かと旅を続けてきた。数ヶ月旅することもあれば、ふと1日旅に出る日もある。
しかし、このご時世である。生活の一部である旅ができない。
最近は、旅ができない分、友人たちとあんな場所行きたいよね〜こんなことしたいよね〜と妄想トークを繰り広げ、旅エッセイを読み込み、旅映画をみて、ハンモックにゆられながら旅ソングを聞いて妄想に浸る日々を送っている。
自転車で世界一周した人、ギャンブルで勝ったお金で旅している人、お笑い芸人、サラリーマン旅人、旅作家、ダンサー、歌手、美容師、学生バックパッカー、ユーチューバー、いろんな人が綴った旅本を読んだ。
文章の上手い下手はあれど、それぞれの旅の形があり、旅を通じた心境の変化があり、そのどれもが興味深い内容だった。
ただ、気になる点がひとつ。旅本の多くは「日本での変わり映えのない日々はつまらない。世界に飛び出すと面白い」といった持論を展開している。僕もそう思っている時期はあった。けれど、いまはこうした考えには賛同できない。
「旅人のエゴにすぎない」かと。
一見変わり映えのないような日々でも、心のあり方次第で、楽しい日々に変わる。思えば、いまでは定期的に海外や秘境を旅するようになったものの、小学2年生から高校3年夏まではひたすら野球漬けの日々。行く場所と言えば、家と学校の往復で、やることと言えば野球の練習かテスト勉強くらい。
つまらなかったと言えば、そんなことはない。大好きな野球をやっていたし、興味のある教科の授業も友達とのおしゃべりも楽しかった。いまも同じ。旅はできないけれど、やっぱり生きることは刺激で、楽しいことが盛りだくさん。
一見変わり映えないような日々だけど、変わり映えある日々。
かの幕末の志士・高杉晋作も「おもしろきこともなき世をおもしろく(この世界が面白いかは、自分の心のあり方次第だぜ!)」という言葉を残している。
いまが楽しくないのは、楽しく感じる心がないから。楽しいことがないのではなく、楽しいと思える心がないのだ。旅をせずとも、心のあり方で「日常は旅」になる。
家にいながら旅はできる。この世界は楽しいことがいっぱい。旅エッセイを読み漁った結果、こんな考えに至ったのである。
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