少年の妹は、わずか四つでこの世を去った。 死というものがまだよく理解出来なかった少年だったが、この先自分が生きていく中で、あの小さな足で追いかけて来る愛らしい瞳が映す世界に、もう関わることができないのだということを漠然と感じていた。 妹が冷たくなった日の早朝、湿った空気に悲しみが注がれて、朝日は美しくきらめいた。白い布に包まれた少年の妹は、父親の太い腕に抱かれて葬列の先頭を遠く進んでいった。葬列は村中を粛々と歩き回り、村の三方を囲む山々に何度も礼拝を捧げる。 やがて虚
悲しみを鮮やかな花で飾りたて、誰かが好きだった歌を歌う。 涙は笑い声から生まれて、海へ還らずに、あたたかいまま橙色の大気にとける。 大きな音で太鼓を鳴らし、笛の音を高らかに濁った空へ捧げ、雨乞いのように祈る。 失ったものばかりに目がいかぬよう、あなたが残してくれた世界はこんなにも美しいんだとありったけの声を上げる。 やっぱり生きていくのはどうしたってつらいから、ぼくはつい斜にかまえて世界を見てしまう。傷ついたときに、ああやっぱりこの世界はクソだなってすぐに諦められる
ぼくらは、あなたたちの言葉と感情の中にいるから、ぼくらの姿は、形は、色は、香りは、あなたたちの望むとおりになる。 だから望むように、ぼくらの姿を変えて、たくさん愛してほしい。 生きる意味も、生まれた理由も、ほしいままにして、あなたの感情でぼくらを縛ってほしい。 でもぼくらの愛され方は、あなたたちのとは少し違うから、それだけ覚えておいてほしい。 ぼくらはあなたたちに居場所をもらわないと生きていけない。あなたたちの中の、最も根底にある感情は恐怖だ。わからないもの、理解
今は文字を考えながら、たくさん絵を描いています。おかげで絵はけっこうかけるようになりましたが、文字を書く時間が激減しました。戻ったと啖呵を切ったくせに何というざまよ……と思いながら起きました。
早く独りになりたい。 誰もいないところへ行きたい。 自分以外の体温を忘れて、ようやく自分の冷えた体を思い出したい。誰かの言葉に揺れない景色を、自分だけの目で見ていたい。遠雷も、夾竹桃の鮮やかさも、街灯に惑わされて夜に鳴く蝉も、茉莉花の香り、髪に絡まる湿度、博物館の床、空調の唸り、古い古い紙の匂い、言葉にしなくてもよかった景色。 そこには悪意も惨めさもない。体内で膨れ上がるそれで、誰かを傷つけなくていい。不完全であることを恐れたくない。誰も傷つけないで生きたい。 誰
「馬鹿と煙の反対はなんだろうか」という質問に対して、彼は「賢人と灰」と答えた。 「灰は、空に上っていかずに、いつまでも地面を這いずり回っているから」 その時彼は背もたれにもたれて窓の外を見ていて、質問をしたこちらを見ようともしなかったのだが、それが何だか拗ねているような、軽蔑のような態度に見えて、その話はそこでおしまいとなった。 彼が亡くなったのはそれから数年後の初夏だったのだが、彼の遺体はよく燃えたらしく、灰も残らず骨だけになっていた。 6月の湿り気と生ぬるい風
仲の良かった彼女が捧げられてしまう。腹には彼女が愛した人の子供だって宿っているのに。村の老害どもは、それもろとも柱にしてしまおうとしている。 彼女は歌った。 古い歌は神々の機嫌をよくしてくれると信じられている。氷の浮かぶ海上に身を躍らせた彼女の口から古い歌が聞こえる。 脳天を割るような音が轟く。 彼女が歌ったのは献歌ではなかった。 それは村の中で氷の歌と呼ばれる、どこかから生まれてきた不思議な歌だった。古い歌によく似た旋律で、だが酷く拙く聞こえる、ちぐはぐな音の羅
遠くへ行くと思います。 人の少ない電車に射し込む斜陽、知らない大通りの喧騒はいつまでも心を捉えて離しません。降りなければならない駅でいつまでも座席に身を預けて、夜が空の端からやってくるのを、窓から眺めていたい気分になります。 遠くへ行くとき電車は必ず、どこかの田舎を走ります。鎮守の森へ通じる畦道、水の入った田んぼが映す晴天、夏を待つ若葉。私は私が知らない小道を歩くことを想像します。 木陰のにおいはどんなだろうか。梅雨の蛙は喧しいだろうか。遠く稜線にかかる白雲は、発達し
ここで再開しようか、新しいところにしようか、まだ決めあぐねています
お久しぶりです 見ている人がいるかは分からないですがまた書き始めようと思いましたので、一応書き記しておこうと思いました。 とても鈍ったと思います。でも何かを感じたり作り出したりしようと、したいという思いからは逃れられないんだなと分かりました。ここは居心地がとてもいいです。
「冬だし、クリスマスの話でも書こうかな。どんなのがいいかな。」 「あたしは夏が舞台のゲームしたせいで、ずっと心が夏に囚われてて思いつかないな~。」 「確かに。寒いし夏の話でも書くか。」 どんなに寒くても、蝉の声だけで夏がぶり返すね。真冬に夏のことを話すのは、なんか痛快だったよ。
対の話 後味の悪い夢のような正午だった。 人が住んでいるのかも分からない、萎びた住宅街で声を掛けてきた子は、俺のことを「百治さん」と呼んだ。だから俺も、自分は「百治」という名前なんだと思い、それらしい振る舞いをしようと思った。 「私のことを、覚えていませんか。」 その子は恐々と言葉を話す。伏し目がちになりそうな目線を、必死で持ち上げて俺を見る。その仕草が、ひどく俺を苛々させた。そんな目で見るなと、引っ叩いてやりたい衝動に駆られる。でもたとえ本当に手が出ても、多分謝る
私の吐いた息が、朝焼けに白くほどけたとき、あの気高い人が最期に吐いた一息も、こんな風だったのかと思う。 夜の抜けきらない灰色の雲を、朱い金色に染めていく太陽はまだ黒い山の向こう。 朝焼けはきれいだ。 しんとしていて、悲しくてきれいだ。 きれいすぎて、あの気高い人の命が散る様すら、きれいになってしまうのが悔しい。 生き様も、生い立ちも、胸に抱えた重たい心も、「きれい」で終わらせることのできる人ではなかった。何もかも燃やし尽くした心の虚ろに、守るべき言葉と叶わない
霜月十日 周りはたくさんの、楽しげな人で溢れていた。彼らも私も、巨大な水の流れの中にいた。 温い水の中で私たちは流れに身を任せ、隣り合う人と浮わついた気持ちで話し合ったり、時に足のつかない深みに嬉しい悲鳴をあげたりした。流れる人のざわめきは、遥か上にある鼠色の天井で反響し、増幅してまた降ってきた。 水は灰がかった青色で、川の水のように透けていた。においはなく、目を開けても痛くはない。ただ温かくも冷たくもなかった。 私はそこで一人の女性と仲良くなった。彼女は、流れの中
十三歳の今日、久しぶりに開いたゲームの中で、陽気な登場人物は私に不思議な言葉をかけた。 「 」 よく出来事そのものより、それによって引き起こされた感情だけが時を経て体の中に残る。幼い私は、その言葉によってゆっくりと心をぐちゃぐちゃに、引っ掻き回された。もうその言葉は、形を留めていないのに、消えない傷跡は触れれば今も鈍く痛い。 困る。彼の言葉は十三歳の私には、大人すぎた。 自分以外の誰かの、シーツの匂いなんて知らなかったのに。仄めかしたのだ。軽い言葉だったから、それが毒
桜を食んで生きるものは、桜の花が散るのと一緒に消える。 金木犀の花が落ちるとき、それもまた何かが消失したことを意味するのでしょう。音無く、触れることもできずに。 金木犀の花を食む。 両手で頬を掴まれて、強引に引き寄せられるような可憐で不遜な、強い香り。 百合よりあどけなさの残る甘い香りが鼻に抜けて、夕日が染みた蜂蜜色が舌へ溶けだす。 そうしてその甘味が恍惚と、おもむろに咽へ流れていく感覚に忘我と眩暈を覚える。 法悦を飲み下すころ、夏を偲ぶような、草の青い香りが