福島県南相馬市のある幼稚園を思い出しています 2012年11月のこと

画像1 震災から1年8ヶ月後、南相馬市原町区のある幼稚園で私はこの写真を撮りました。
画像2 ちょうどこの1年前にもこの幼稚園にいました。その時は福島第1原発事故の影響で、休園していた幼稚園が震災から7カ月ぶりに再開したところでした。
画像3 再開直後は2〜30人の子どもたち、その1年後のこの時には80人ほどまで増えていました。そしてパフォーマンス中のみなさんの絵顔が印象的でした。
画像4 しかしアンパンマンの向こう側にはロープが張られていて、除染作業として土の入れ替えを行った場所で子どもたちが遊んでいました。この時、笑顔を見せてくれた子どもたちは、今何処で何をしているかな?
画像5 この時、親御さんや先生方はどんなお気持ちだったかな? もうすぐ私の息子は4歳です。 私だったらどうするだろう?(震災から8ヶ月後に撮影、上記とは違う園で、この時は3つの園を合併させて再開していた園でした。)
画像6 福島第一原発から20キロ付近の南相馬市原町区は、震災から5ヶ月後も(2011年8月30日撮影)立ち入り禁止区域でした。
画像7 その1ヶ月後(2011年9月30日)、区域指定が解除されました。
画像8 正直、考えると着地点がわからなくなります。
画像9 それでも笑ってくれたり、涙を流しながらお話してくださった方々、町の風景、海岸
画像10 様々なことを振り返りながら、また寝ている息子を見つめながら、あの時を思い出しています。
画像11 私の大好きな親友です。彼女がいたから私はこうしてアウトプットできています。そして福島のみなさんとお会いできたからこうして今も考えるのだと思います。仮設住宅で泣きながら震災の記憶を思い出しつつ、「また来てね。こうして希望を見つけて生きるんだよね。」と言ってくださったおじいちゃんもいらっしゃいました。みなさんの健康と幸せを願いつつ就寝します🌙

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