ちゃちゃころ

好奇心旺盛な高齢者です。いろいろ調べることが好きで、調べてわかると誰かに教えたくなりま…

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好奇心旺盛な高齢者です。いろいろ調べることが好きで、調べてわかると誰かに教えたくなります。それでブログを書くことにしました。

最近の記事

4月22日は「アースデー」なので藁のことを考えた

 4月22日は「アースデー」だそうです。当日のラジオで知りました。  地球のために活動する日。地球のことを考える日。つまり環境について考えたり活動したりする日なのでしょう。  初めて聞いた言葉ではありませんが、意味をキチンと理解していませんでした。  私はこの日を「藁のことを考える日」にしました。 生活のなかの藁  現在の生活で身近な藁細工はしめ飾りです。年末になるとスーパーの店頭に並び、それを見ただけで「歳の瀬だな」と感じます。  それ以外には何があるでしょうか。

    • 花見客 子犬に酒を振舞って

       小学3年に進級する春休み、子犬を飼いはじめました。親戚からもらった生後3か月の白い雑種の子犬でした。 つぼみの桜の木の下で  新学期が始まって1週間ぐらいたったころのことです。  桜並木のある川の土手に、子犬を連れて散歩に出かけました。土手から河原に降りていくと、桜の木の下でゴザ(当時はピクニックシートではありませんでした)を敷いて輪になって座っているおとなたちがいました。  まだ桜は咲いていないのに、今日はふつうの日(平日のことを当時の私はそう言っていました)なのに、

      • そしてエジコは消えていった…

         エジコとは漢字で嬰児籠と書き、文字通り赤ちゃんをいれる籠です。私はベビーチェアのようなものと思っています。一般に藁で作られるもので、生後1ヶ月ぐらいから使用します。今は博物館などでしか見られません。 ある文化人類学者の話  40年以上前のことです。文化人類学の先生が 「エジコっていいものなんですよ」 と話しはじめました。エジコに入っている赤ちゃんとそばに座っているおとなとの目線が合いやすい、という話でした。まとめると下記のようになります。 赤ちゃんはそばにおとなが見守

        • 思春期に見たソビエト映画『チャイコフスキー』のこと

           好きな音楽は何ですか?と聞かれたらチャイコフスキーと答えます。ジャズやボサノバも好きだし石川さゆりさんの歌に心が震えることもありますが、やっぱり1番はチャイコフスキーの曲です。  それは思春期にソビエト映画『チャイコフスキー』を見たからです。 中学生の映画鑑賞  もう半世紀ほど前になります。洋画の面白さに目覚めたころ、新聞にチャイコフスキーの伝記映画の広告を見つけました。  チャイコフスキーのことはバレエ『白鳥の湖』『くるみ割り人形』の音楽を作曲した人という認識しかな

        4月22日は「アースデー」なので藁のことを考えた

          うれしいひなまつり

           4歳から小学1年まで住んでいた家のお隣は、三姉妹のいるお宅でした。  ひな祭りが近づくと 「おひな様を飾ったから見にいらっしゃい」 と三姉妹のお母さんから声がかかり、母と見に行きました。  6畳間の和室の半分を人形たちが占拠していました。赤い布がかけられたひな壇に内裏びなと三人官女、五人囃子、右大臣、左大臣、そしてお道具が並べられていました。  私の家には内裏びながあるだけでしたから、歌や絵本に登場する三人官女、五人囃子、右大臣、左大臣はそこで初めて見たのでした。

          うれしいひなまつり

          寝心地を試してみたいワラ布団

           現在はベッドで寝ていますが、子どものころは畳の部屋で布団を敷いて寝ていました。布団、特に敷布団の中身は綿と決まっていますが、中身に藁を使用しているワラ布団というものもありました。  私はワラ布団を使ったことがありませんし、見たことすらありません。両親や祖父母たちからもワラ布団に寝ていたという話を聞いたこともありません。  私にとって全く見当のつかないワラ布団ですが、案外優れものらしいのです。 ワラ布団とは  麻や木綿の布団皮に、乾燥させた藁の葉などをたたいて柔らかく

          寝心地を試してみたいワラ布団

          納豆の匂いに惹かれ犬がくる

           数年前まで飼っていたメスの赤柴のワンコは食欲旺盛な犬でした。私がなにかを食べていると足もとにやってきて、ワタシにもチョウダイ!という顔をします。  特に納豆やヨーグルトとなると目がキラキラと輝き、鼻が光速でヒクヒクと動きました。  納豆もヨーグルトも私が食べたあとの容器を舐めさせていました。時々、納豆2〜3粒とか、ヨーグルトはスプーン1杯分とかあげましたけど。ワンコにたくさんあげたくなるのですが、たちまち体重が増えてしまうので、心を鬼にしていました。  空の容器でもワ

          納豆の匂いに惹かれ犬がくる

          納豆の食べかた…父の流儀

           実家に里帰りしたとき、納豆を持っていったことがありました。そのころの私がとても美味しいと思っていた納豆でした。その納豆にまつわる思い出です。  朝食にさっそく私のおみやげの納豆を食べることになり、私は器に納豆をあけて添付されていたタレとカラシを入れて混ぜました。どうぞと納豆を差し出すと、父がご飯に納豆をかけてひと口食べました。  すると父の表情がみるみる変わり、 「納豆に何を入れた!」 と大声で怒鳴られました。 「朝ご飯は食べない」 と父は箸を置き食卓を離れました。

          納豆の食べかた…父の流儀

          父方の曽祖母は納豆作りが上手だったらしい

           もう40年以上前のこと。父方の祖母と話していたら曽祖母の話になりました。 「あなたのお父さんのおばあさんは納豆作りがうまかったんだよ」  曽祖母は祖父の母。祖母からすればお姑さんにあたります。お嫁さんがそう褒めるのだから曽祖母は本当に納豆作りが上手だったのでしょう。 納豆の作り方 「おばあちゃんも納豆を作っていたの?」 「作っていたけどあんなにうまくは作れなかった」 「どうやって納豆を作るの?」 「豆(大豆)を煮て藁のツトに入れるんだよ。そしてムシロでくるんでコタツのな

          父方の曽祖母は納豆作りが上手だったらしい

          煮大豆と藁が出会い納豆が生まれました

           ほぼ毎朝、納豆を食べています。私のように納豆をよく食べる人と納豆は大嫌いという人がいます。この個性的な食べ物の起源の記事です。 後三年合戦の伝説  かなり前のことですが、納豆は後三年の役(後三年合戦)で誕生したという話を知りました。  後三年の役、あるいは後三年合戦とは1083年~1087年に現在の秋田県横手市で起きた合戦です。当時の地元の有力者清原氏の内紛に、陸奥国守だった源義家(八幡太郎義家)が介入して起こった戦です。  源義家軍の兵糧として煮大豆を農家に差し出

          煮大豆と藁が出会い納豆が生まれました

          サザエさん一家はムシロをいくらで購入したのでしょうか

          サザエさん一家の引越  数年前、クリニックの待合室の本棚に『サザエさん全集(長谷川町子著 朝日新聞出版)』があったので、さっそく1巻を読みました。福岡時代のサザエさんが描かれていました。東京に引越をするところで1巻は終わりました。  その最後の4コママンガには、サザエさん一家の家具がムシロにくるまれて家の前に並べられ、それを見た近所の人が 「まあこんなにたくさんムシロを」 「高かったでしょうね」 と話す様子が描かれていました。  それからムシロの値段が気にかかっていまし

          サザエさん一家はムシロをいくらで購入したのでしょうか

          干し柿が好きです!

           干し柿が好きです。無性に食べたくなるときがあります。水分少なめのころ柿も多めのあんぽ柿も好きです。 母と干し柿  母も干し柿がとても好きでした。私の干し柿好きは母の影響なのだろうと思います。  母は自分でも干し柿を作っていました。渋柿の皮をむいて軸にビニールひもを巻きつけ、ベランダの手すりにつるしていました。時々、 「カラスにつつかれちゃった」 と苦笑いしていました。  それでも干し柿を作っていましたが、 「ハクビシンに持っていかれた!」 と話してくれた時からは、干

          干し柿が好きです!

          相撲の神さまと埴輪と鎮魂と

          1 野見宿禰神社  両国国技館の近くに野見宿禰(のみのすくね)神社があります。この神社は明治17年(1884)高砂浦五郎氏をはじめとする相撲関係者が創建したものです。  野見宿禰を祀る神社は大阪府高槻市や鳥取市にもあります。 2  日本書紀  野見宿禰は古墳時代(3世紀末〜7世紀)、11代天皇の垂仁天皇(すいにんてんのう)に仕えた人で出雲の出身と日本書紀に記されています。  大和の當麻蹶速(たいまのけはや、たいまのくぇはや)という力自慢と相撲を取り勝ちました。  野

          相撲の神さまと埴輪と鎮魂と

          地震の記憶

           令和6年能登半島地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。  元旦の大地震はお正月を寿ぐ気分をなぎ払いました。お正月のひとときを奪った大地震。胸が詰まる思いです。そして自分の地震の記憶もよみがえりました。 初めて遭遇した大地震 ①地震にあったとき  小学校入学前でした。隣の友だちの家に遊びに行っているときに地震がきました。  揺れがきてすぐに 「早く外に出て!」 と友だちのお母さんが叫びました。勝手口から外に出ましたが、出るときに私は靴がなかなか履けずにモタモタして

          草鞋(わらじ)切れても粗末にするな 藁はお米の親だもの

           琵琶湖の西岸、滋賀県高島市に朽木というところがあります。この朽木では  草鞋切れても粗末になぁするな  藁はお米のなぁ稲親じゃもの という唄があります(『ものと人間の文化史55-Ⅰ 藁(わら)Ⅰ』宮崎清著 法政大学出版局)。田の草取り唄です。  草鞋が擦り切れてボロボロになっても  すぐに捨ててはいけないよ  藁はお米をつくる稲の肥料になるのだから こういう意味です。 ①田の草取り唄からもわかる持続可能な米づくり  乾燥した稲藁はものづくりの材料になるのをはじめ、いろい

          草鞋(わらじ)切れても粗末にするな 藁はお米の親だもの

          稲は私たち日本人の生活を支えてきました

           お米を作るために稲が栽培されてきましたが、稲はお米以外の部分も利用されてきました。(以下は『ものと人間の文化史55-1・藁(わら)Ⅰ』宮崎清著 法政大学出版局 参照) 稲を刈り取ったあとの根…田起こし、荒起こしで土に混ぜられ肥料になる 脱穀後に生じる籾殻…保温材、緩衝材、燃料、飼料、肥料 精米時に除かれる糠…漬物の糠床、食用油、工業用油、飼料、肥料 稲の茎や葉(藁)…燃料、飼料、肥料、そしてさまざまなものの材料  4.の「さまざまなもの」というのはいわゆる藁細工で

          稲は私たち日本人の生活を支えてきました