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そしてエジコは消えていった…

 エジコとは漢字で嬰児籠と書き、文字通り赤ちゃんをいれる籠です。私はベビーチェアのようなものと思っています。一般に藁で作られるもので、生後1ヶ月ぐらいから使用します。今は博物館などでしか見られません。

ある文化人類学者の話

 40年以上前のことです。文化人類学の先生が
「エジコっていいものなんですよ」
と話しはじめました。エジコに入っている赤ちゃんとそばに座っているおとなとの目線が合いやすい、という話でした。まとめると下記のようになります。

  • 赤ちゃんはそばにおとなが見守っているのがわかるので安心する

  • おとなは赤ちゃんの表情や顔色で赤ちゃんの状態がすぐにわかる

  • 顔を合わせることでおとなと赤ちゃんの関係性が密になる

 そんなに良いエジコですが、高齢者である私でもエジコで育っていませんし、実生活で使用されているエジコを見たこともありません。

 なぜでしょうか?

 その答えとなる論文を見つけました。

エジコに関する文化人類学的研究

 1957年に発表されたこの論文は、副題が「宮城県のエジコ使用地域における調査」です。発表者の須江ひろ子氏は、東北大学医学部小児科と宮城県衛生部(当時の名称)が行った宮城県のある町での乳児検診に参加して、0歳児と1歳時の母親に面接調査をしました。

序論において書いてあったのは

  • 宮城県では1948年から毎年乳児検診を行っている

  • 母子衛生、離乳の方法、くる病(日光にあたらないためにおこる発育不全)などの早期治療に関する指導を行っている

  • 必ずしもエジコ使用がくる病の罹患を高めているとは考えられないが、エジコを使用することで乳幼児の運動を制限し、日当たりの悪い部屋に放置する事態が生じ、発育に悪影響を及ぼすのでエジコ使用を廃止する方向で指導している

 なぜエジコが使われなくなったのか?
それはエジコを使用することが赤ちゃんの健全な発育を妨げることになるから、県や大学の小児科では育児にはエジコを使用しないようにと指導していたから。それがこの疑問の答えです。

 それではどのようにエジコを使用していたのでしょうか。須江氏の面接調査の結果を読んでみました。

おかあさんは忙しい

 調査した町は宮城県内でもエジコの使用率が高いところです。それでも町全体がエジコで赤ちゃんを育てているわけではありません。
 乳幼児のいる家庭でのエジコの所有率は70%ぐらいで、そのうちの50%がエジコで赤ちゃんを育てていました。農業を営んでいる家では割合が多く、60%ほどでした。

 一般的に農家では、母親が午前7時〜8時頃から午後5時〜6時頃まで農作業をして、午前10時頃と昼食時に家に戻り子どもの世話をしていたようです。

 その間、赤ちゃんが家に1人でいたのかどうかはわかりませんが、おばあちゃんが家にいても、エジコを使用していたようです。さらにおばあちゃんはご飯の世話はするけれど、オムツ交換はしないというご家庭もあったようです。

 オムツ交換だけではなく、入浴をはじめとしてさまざまな赤ちゃんにかかわることをすべておかあさんが行っていることが多かったようです。理由は論文では明らかにされていませんが、特にエジコを使用している家庭でそのような傾向にあったと書いてありました。

 おかあさんは農作業、掃除、洗濯、食事の用意、そして育児をしていたわけです。なんて忙しいのでしょう!

 家庭に家電製品が普及していったのが1960年代。農作業も機械化されていなかった時代の話です。
 そんな中で赤ちゃんに手をかけずに安全にしておけることと、暖房設備の充分でない構造の農家で保温性の高いことがエジコの利点でした。
 さらに、家のどこにエジコが置かれたかということでは、どうも「ネマ=寝室」「ダイドコロ」といった日当たりの悪い部屋に置かれたことが多く(須江氏が長野県で調査)、ビタミンD不足によるくる病の原因にもなっています。

まとめ

 冒頭に述べた文化人類学の先生の言葉どおりにエジコが使用されていれば、エジコは理想の育児用品だったと思います。けれども、残念ながらそういう子育てができなかった時代でありました。

論文出典 J-STAGE
参考資料 株式会社北陸電設ホームページ  家庭電化の歴史
画像は弘前藩のエジコ。平良野貞彦著『奥民図彙』1788(天明8)年 宮崎清著『図説藁の文化』法政大学出版局1995年より



 

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