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草鞋(わらじ)切れても粗末にするな 藁はお米の親だもの

 琵琶湖の西岸、滋賀県高島市に朽木というところがあります。この朽木では
 草鞋切れても粗末になぁするな
 藁はお米のなぁ稲親じゃもの
という唄があります(『ものと人間の文化史55-Ⅰ 藁(わら)Ⅰ』宮崎清著 法政大学出版局)。田の草取り唄です。
 草鞋が擦り切れてボロボロになっても
 すぐに捨ててはいけないよ
 藁はお米をつくる稲の肥料になるのだから
こういう意味です。

①田の草取り唄からもわかる持続可能な米づくり

 乾燥した稲藁はものづくりの材料になるのをはじめ、いろいろ利用されてきました。田の土に混ぜて肥料にもなります。肥料となって再びお米を実らせる稲を育てます。米づくりは持続可能なかたちで行われてきました。

 肥料としての藁も優秀で
「田の草取りした草も肥料に使うけど、肥料に一番いいのは稲藁」
と断言する農家さんもいました。40数年前に岩手の農家さんから直接聞きました。

②ブラタモリで紹介された朽木のこと

 ところで、話は朽木のことになります。
 NHKで2023年11月11日に放送された『ブラタモリ #254「鯖街道・京都ヘ」』では、朽木のことを紹介していました。
 朽木は福井県敦賀市と京都を結ぶ鯖街道の中間ぐらいに位置(びわ湖高島観光ガイド)しています。それで歴史に残る話もあります。

 織田信長が福井の朝倉氏を攻めていたときのこと。信長の妹が嫁いだ浅井氏が裏切りハサミ打ちになるとわかったとき、信長は単独で鯖街道を京都まで走りぬけます。このエピソードはNHK大河ドラマ『麒麟がくる』『どうする家康』でも放送されていました。

 また、弱体化した室町幕府の将軍を、朽木を治めていた朽木氏が保護していた時期もありました。12代将軍足利義晴と13代将軍足利義輝のころです。

 都での争いを避けて将軍が朽木までくるのですが、将軍のお引越しとなると幕府の役職についている人たちも一緒に引越してくるので、幕府そのものの引越しで「朽木幕府」のような感じであったみたいです。京都からそれほど遠くない場所で争いから逃避できるのは、将軍にとって理想の場所で、朽木氏は頼りになる存在だったのでしょう。

 朽木を治めていた朽木氏はその後も続いて、ブラタモリに現在のご当主が出演していらっしゃいました。

 足利将軍一行が京都へ戻るとき、朽木の人々が作った草鞋を履いて帰ったのでしょうね。

図は朽木の草鞋(『図説 藁の文化』宮崎清著 法政大学出版局)

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