『幼児教育』ジェンダー論
去る2021年の6月LGBT法案は見送られました。1年ほど前からLBGT法案の行方が注目され、それだけ世の中に浸透してきた証拠だとも言えますが、まだまだ議論が続いて行くところだと思います。
世界では男女平等という意識が当たり前のようになりましたが、親から名前を授けられた所から始まり、様々なところで男女間の差異や性別の違いが出てきてしまうのもまた事実です。
LGBTの意味
さて、LGBTという言葉は聞いたことがあってもではLGBTがどのような意味の言葉なのかというのは具体的に知らない方も多いのではないでしょうか。LGBという言葉は性的指向の事であり、Tというのは性自認のことです。
もっと細かく説明するとLGBはそれぞれレズビアン、ゲイ、バイセクシャルのことです。これは自身の性自認と同じ人に好意を持つ方のことです。一方Tはトランスジェンダーの訳であり、身体的性と性自認が不一致であるセクシャリティです。さらにトランスセクシュアルという言葉もあり、これは身体と性の自認が不一致であり、それに対して違和感や嫌悪感を抱き、外科的にも手術を望んでいるセクシュアリティなのです。
セクシャリティは4つの観点があり、前述した性的指向と性自認の他に、身体的性と性表現が存在します。この4つの観点からセクシャリティは決定されて行きます。世間一般的にはセクシャルマイノリティという言葉はLGBTの方を指していたり、そういう認識の方もおられるかもしれませんが、セクシャリティというのはそう簡単ではありません。そもそもLGBTという言葉だけはセクシャルマイノリティの方たちを全て含んではいませんし、LGBTの言葉で括れない方たちもおられます。例えばXジェンダー(性自認が男性とも女性とも言い切れないセクシャリティ)やクエッショニング(自分の性自認が性指向がわからない方)もおられます。そこにトランスヴェスタイト(身体的性とは違う服を身にまとう方)、そもそも身体的に男性にも女性にもなり切れていない方(性分化疾患)もいます。このように4つのセクシャリティが複雑に入り組んでセクシャリティが決定されていきます。
おそらくですが、セクシャリティが定義され始めたのは最近で学術的に体系を構築されているわけではなく、新しいセクシャリティの始まりはセクシャリティの違和を抱える方が声をあげ、認知されていくという方法しかないのだと思います。4つのセクシャリティが繋がり合うので多数のセクシャリティが存在し、その多さにより定義づけられないということになるのだと思います。
幼児教育におけるジェンダー
さて、幼児教育のところで見てみますと、どのような状況と言えるでしょうか。幼児教育の場面では保育中に男女というカテゴリーを分けてしまうことはあります。例えば「男の子集まってください」という言葉で班分けをします。大切だと思うのはその後です。もしその言葉に反応しない子がいれば、その子がトランスジェンダーの可能性があり、その可能性を踏まえた保育や人権の確保をしなければなりません(もちろん男の子、女の子を理解していない場合もあります)。幼児期はあくまで発見期だと考えます。未就学期においてジェンダーの違和感に気づいている子どもは数%いるという調査もあります。実数はわかりませんが、何年も何十年も保育を続けていればLGBTQの子どもたちと必ず関わることになります。そのための準備を職員と一緒に知識として備えて行きたいと思います。メディアの報道では包括的に男女差をなくしていく、何がなんでも平等にという論調を感じるときもあります。当園では先ほども記述したように男の子、女の子でグループわけをすることがあります。その中で男女の括りに違和感を感じている子がいるのであれば、保育教諭の中で話し合いをしてみたり、必要であれば保護者の方と相談していく、というスタンスです。何度も言いますが、幼児教育の現場は違和感を持つ子どもを発見する役割があると考えているからです。『全員を君付けで呼ぼう!』、『全員を性差なく扱おう!』ももちろん大切な議論ではあると思いますが、私たちは何よりもまず違和感を持つ子どもが居たときに横で寄り添える保育教諭でありたいと考えております。日本人口におけるLGBTの割合は、「1.6%から8.9%」(100人に1人から13人に1人)といわれています。調査機関・会社によって割合が違いますが、当園に来てくれている子ども達の中にいてもおかしくない割合です。少し前には私と幹部職員でLGBTの理解を深める研修も行っています。ものごころがつくころから苦しむ子がいるのが現実なのです。その子の人権を守るための知識を現場での対応が今求められています。