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日本の美意識 10

こんにち「日本の文化」と認識されているものの多くが、もとは外国からの渡来品であり、それをリノベーションしたものである。唐絵からやまと絵、漢字から平仮名、点茶から茶の湯、五節句にみられる催事など、日本の文化は、実に多くの渡来したものを自分たちに合うように変えて受け入れてきた。そして、そのリノベーションの際に材料として注入された感性こそが、日本文化の根本であり、「日本の美意識」なのである。


 

自然をもとにした日本の美意識

我々の自然をみる眼は、古代には生死を左右するような、環境を観察する目であり、そこに崇拝が生まれた。
やがて、自然は客観的に愛でられ、歌に詠まれたり装飾として身の回りにあるようになった。そして、自然を主観的にとらえ、心情を投影させて表現した。
平安期、表現のひとつに、「あはれ」としたしみじみ感じる心情があらわされるようになった。このころあはれと感じるものは、満月や満開の花のような、その美しさや良さの理解が容易なものが好まれた。
中世の武士の世となると、死が身近にあり無常観が広まった。そこでは、散る花や欠けゆく月など、消滅や滅びにむかうものや不完全なものに心をよせる傾向がみられ、自然へ投影させた心情は、儚さや虚しさ、寂しさのような消極的なものであった。
俊成は、目には見えないしみじみと感じる心を「幽玄」とした。仏道に身を置く心敬は心の内に無常観も具えており、幽玄とされる心のあり様の一端に清らかな澄んだ「冷え」があると述べた。
「わび」は無常観でみる消極的なものに価値を見出したものであり、そこに感じる冷えた情緒が「さび」である。



文中に挙げたキーワードは、ほんの一部でしかない。そして、それらは、決して一過性のものではなく、それぞれが複雑に絡み変化をしている。また、キーワードとして今日認識されているが、当時の人々がそれらの語句を日常的に意識して使っていたのではなく、後にそう呼ばれるようになったものもある。加えて、その内容分析は、後世の者が行ったものであることも踏まえて、美意識といわれるものが、どの程度当時の感覚と合致しているかは不確かな部分も多い。また、それらを意識していたのは、全ての民衆が共通に感じていたことではなく、都市部や地域、身分や生業などの環境によって差異があるだろうことも考えるべきである。

ともあれ、「日本の美意識」には、自然の万物が深く関わっており、それは常に我々の身近にあったものである。自然のとらえ方、あるいは、向き合う姿勢には、時代や背景により違いがあるが、自然の微々たる変化をも感情の糧にするという日本人の姿がみられる。自然の変化から、目に見えない己の記憶や過去未来といった時空をこえたものまで見出そうとするものは、世界でも奇異なものかもしれない。しかし、そのような感性こそが、「日本の美意識」のひとつであり、文化の一部であろう。

そしてそれらは、大きな四季の変化がある日本列島という環境が幸いし、我々が感覚をとぎすませ、強く感じてきた賜物であると考える。

また、自然に対し、恐れや脅威を感じるよりは、肯定的にとらえていた姿勢もプラス要因であったのだろう。

自然を取り込むとは、それ自体に敬意を示していた証であり、造形表現にも変化する自然を積極的に導入した。日常として自然そのものを室内で愛で、移りゆく自然を室礼としてたのしんだ。西洋では建造物のようなランドマーク的なものが景観の中心となり、それをモニュメンタルなものとする傾向が強いのに対し、日本は山や景色など、自然のものを景観の中心とする。そのようなことからも、日本の、自然をみるちから、たのしむちからというものは、歴史においても地域においても、独特の感性がうかがえ、それこそ日本のアイデンティティのひとつといえるだろう。


ジャポニズムの風潮や、1964年及び2020年の東京オリンピックを契機に日本文化は世界から注目されたが、我々は注目された文化を表現し発信するのにはどのようにすればよいのだろうか。これまでにできあがってきた日本文化をなぞるだけでは、いつか果てがきてしまうだろう。

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