茶袋

思い出の傍にあったバイク、クルマのことを綴っています。時々見出しに使うイラストは自分で…

茶袋

思い出の傍にあったバイク、クルマのことを綴っています。時々見出しに使うイラストは自分で描いたものです。

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  • オートバイ小説

    ツーリングの記憶を私小説風にまとめています。

  • オートバイのある風景

    思い出の傍にはいつもオートバイがあった。

  • イラスト

    バイクや車のイラスト、水彩画などをまとめてみました。

最近の記事

北へ 1 プロローグ

 深夜の高速道路で50wの心細いヘッドライトがぼんやりと前方を照らしていた。その視界の下ではスピードメーターとタコメーターの間、板ガムほどの大きさのインジケーターの一番下で赤いランプが瞬いている。  僕は軽く舌打ちをして、出発前にスピードメーターの軸にグリスアップし忘れた事を後悔していた。  今僕が乗っているのはヤマハのSR400という、1982年式のバイクだ。 このバイクの装備のひとつで時速80kmを超えると点灯する速度警告灯というものがあるのだが、肝心のスピードメーター

    • オートバイのある風景19 GSシリーズと税務署

       商売がうまく行き、羽振りの良い自営業者を落とし穴が待っていたというのはよく聞く話である。僕の場合も御多分に洩れず、調子に乗っていたところで落とし穴に落っこちた。  ハーレーに乗って二度目の東北旅の最中、白神山地へと入り込む林道にアプローチ出来なかった事から僕はアドベンチャーバイクに興味を持ち始めていた。ちょうど前年にBMWのR1150GSに初めてアドベンチャーモデルが登場したという頃だった。  チョイ乗りでの機動性や扱いやすさよりも高速性能と走破性という、年に一度のロング

      • オートバイのある風景18 ハーレーと女将

         バイク便の仕事が順調な訳には、前職の人脈をはじめ名古屋と大阪の比較的大手のバイク便業者との提携などもあったが、バイトのまとめや大事な決定事項に関わる有能なマネジャーがいた事も忘れてはいけない。  Yというその男は横浜出身で言い方は悪いが「流れ者」的な風情でウチにやって来た。いや、もちろん職安からの紹介ではあったのだが僕の中ではある日フラっと現れたというイメージなのだ。彼が乗っていたバイク、ショベルヘッドのハーレースポーツスター、いわゆるアイアンスポーツも彼のそんなイメージ

        • オートバイのある風景17 バイク便と8時25分のマドンナ

           バイク便を起業してから3年ほど経っていただろうか、気がつくと僕は20名ほどのライダーを抱え、シフトで日に10名ほどのライダー、ドライバー(軽四貨物も走らせていたので)を事務所から送り出すほどになっていた。  朝一番、早番のライダーとドライバーは定期便や予約の仕事がメインのために7時半から8時くらいまでには皆事務所を出発する。 日中の緊急対応に待機するライダーは9時くらいからポツポツ出社するので、それまでのほんのわずかな時間が僕のリラックスタイムだ。 僕は決まってコーヒーを

        北へ 1 プロローグ

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          3本

        記事

          イラスト3 天浜線遠江一宮駅

          イラスト3 天浜線遠江一宮駅

          オートバイのある風景16 バイク便と黄色いモンスター

           念願のドゥカティM900とのオートバイライフに加え、第二子の長男も誕生して順調な生活を送っていた僕は、第三子の次女が生まれて来ると言うときに脱サラしてバイク便を起業した。  さらっと書いているけれど、我ながらどうかと思う行動である。 まぁ、手に職があるからとこんな時にも 「どうぞ、おやんなさい」 と言えるカミさんもカミさんだが…。  静岡でバイク便が成り立つかどうか確証はなかったが、とにかく僕は動いた。 まずは営業車としてVTR250の赤を新車で1台購入。 モンスターと並

          オートバイのある風景16 バイク便と黄色いモンスター

          イラスト2 五能線とバイク

          イラスト2 五能線とバイク

          オートバイのある風景15 真っ赤なドゥカティM900

          ドゥカティである。 僕らの世代だと「ドゥカッティ」と発音したくなるイタリアはボローニャの名車だ。ボローニャがどこにあるかは知らんが。 オートバイに乗り始めた頃の僕にとってドゥカティはそれほど魅力的なメーカーではなかった。しかし、その印象をひっくり返すバイクが1992年に発表された。 M900、モンスターである。 1992年ケルンのモーターショーで発表されたモンスターに僕は衝撃を受けた。 ドゥカティとしては珍しいカウリングの無いネイキッドのデザインに加え、スーパーバイクで力

          オートバイのある風景15 真っ赤なドゥカティM900

          イラスト1 スペンサーのCB900F

          オートバイのある風景の見出しにも水彩画をいくつか使っていますが、僕はイラストも描きます。 せっかくなので少しずつ掲載していこうと思います。 まずはフレディ・スペンサーのCB900F サイドカバーには750Fとありますが、900をベースにレギュレーションいっぱいの1000ccにスープアップしたワークスマシンです。 シルバーにブルーのストライプのこのCBはスペンサーレプリカとしてとても人気のあるバイクです。 市販車の面影を強く残していますが、エンジンは背面ジェネレータをはじ

          イラスト1 スペンサーのCB900F

          オートバイのある風景14 新婚と新車のゼファー750

          大学4年に上がる直前に事故で大怪我を負ったりしたものの、彼女の協力で無事に卒業した僕は地元の印刷会社に就職した。入社式の前、卒業と同時に彼女と入籍したので、就職早々扶養家族が増えた申告をするという、ちょっと変わった新入社員ではあったけれど。 そして社会人2年目の春、いよいよ初めての新車を購入する決意をした。 候補は前年に発表されたCB750(RC42)、ゼファー1100、そして発売から2年経過したゼファー750だった。 ゼファー1100は発表されてすぐに幼馴染みが買ったので

          オートバイのある風景14 新婚と新車のゼファー750

          オートバイのある風景13 卒業とCB750F

          限定解除をして手に入れたナナハンだったが、その翌年に僕は事故を起こしてGPZを廃車にしてしまった。起こした、というより遭った、と言って良いくらいの事故ではあったけれど。 書いても読んでもあまり気持ちの良い話ではないので詳細は割愛するが、相当派手な怪我も負ってしまった。1月に事故に遭って、またバイクに乗れるようになったのがその年の11月頃だったのだから相当な怪我だったとご想像頂けるだろう。 さて、そこで僕がライムグリーンのGPZの次に選んだバイクはホンダのVFR750Fだっ

          オートバイのある風景13 卒業とCB750F

          オートバイのある風景12 第三京浜とライムグリーンのGPZ750

          無事限定解除を済ませた僕を静岡のバイク屋で待っていたのは、1983年式のカワサキGPZ750だった。 このバイクは僕がリクエストしたのではなく、また店の在庫でもない。Sさんの先輩Oさんが持っていた要はお下がりバイクなのだが、レースメカの経験もあるOさんが仕上げたかなりの上物なのはもちろん、何よりその色、ライムグリーンがカッコよくて一発で気に入ってしまったのだ。 このGPZ750には元々ライムグリーンという車体色の設定はない。それをOさんがカワサキ純正色のグリーンで全塗装し、

          オートバイのある風景12 第三京浜とライムグリーンのGPZ750

          オートバイのある風景11 北海道とみっちゃんのGPZ750

          話は前後するが、僕が限定解除するきっかけのひとつになった先輩ライダーがもう1人いる。 CBX400Fの車検切れ最後の年、僕と彼女は2人で北海道ツーリングに出かけた。 実はこの年、僕は三鷹市深大寺の安アパートで彼女と一緒に暮らし始めていた。言うまでもなく、度重なる留年に痺れを切らした彼女が上京して僕の生活を立て直すという目的のためである。 そのために、あと2年地元の病院に勤めれば免除される奨学金の返済を、彼女は自費で前倒しして完済して来たのだった。こんな時、どこでも働ける看

          オートバイのある風景11 北海道とみっちゃんのGPZ750

          オートバイのある風景10 府中のホライゾンとFZX

          大学に入ってすぐに買ったCBX400Fは、途中一回車検を受ければ卒業まで4年間乗れる事になる。就職したら新しいバイクに乗り換えよう、漠然とそう思っていたのだが、CBXが2回目の車検を迎えた時、僕は何故かまだ2年生だった。 海外留学や休学をしていた訳ではない、ただただ遊び呆けて留年していたのだ。その間学費を納め続けてくれた両親には申し訳ないと思っている。いや、本当に。 そんな話はさておいてCBXの車検である。お金も無いのだから継続車検を受ければ良いのだが、愛車CBXは改造し

          オートバイのある風景10 府中のホライゾンとFZX

          オートバイのある風景9 Y田のスズキとO倉のKP61

          うちの大学のキャンパスはこぢんまりとしていて駐輪場も狭いため、バイク通学生同士で何となく顔見知りになる。 その中でY田という学生とよくつるむようになった。 彼はひと学年上だが現役生なので同い年。福井出身で、北陸独特のイントネーションが妙に耳に心地良かったのを今でもよく覚えている。 最初に会った時、Y田はスズキのRG400ガンマに乗っていて、小柄な身体にもかかわらず大柄な2スト4気筒のバイクを上手に操っていた。 そのY田と、実家に帰った時に使う家のクルマについて話をしていた時

          オートバイのある風景9 Y田のスズキとO倉のKP61

          オートバイのある風景8 E尾のCBR400Fと星型コムスター

          学生時代、僕は彼女に会うため頻繁に静岡に帰っていたのだが、さすがに毎週とはいかず何週かおきに帰って来て、ついでにというわけでは無いけれど幼馴染みでもあるバイク仲間と地元の峠道を走り回っていた。 その週末もそんな感じで実家に帰っていたのだが、寝坊でもしたのか早朝の峠には行かず、昼過ぎに行きつけのバイク屋に顔を出した時の事である。 駐車場の隅に見慣れたバイクがある。 しかも壊れているようだ。 「E尾のCBR?!」 店の人に聞くと間違いなく幼馴染みのひとり、E尾が今朝峠で転倒したら

          オートバイのある風景8 E尾のCBR400Fと星型コムスター