茶袋

思い出の傍にあったバイク、クルマのことを綴っています。時々見出しに使うイラストは自分で…

茶袋

思い出の傍にあったバイク、クルマのことを綴っています。時々見出しに使うイラストは自分で描いたものです。

マガジン

  • 丁寧な暮らし

    50代親父の丁寧な暮らしごっこ

  • オートバイのある風景

    思い出の傍にはいつもオートバイがあった。

  • オートバイ小説

    ツーリングの記憶を元に書き起こした小説です。

  • イラスト

    バイクや車のイラスト、水彩画などをまとめてみました。

最近の記事

九州弾丸ツーリング

 2018年の春、僕は息子と九州ツーリングに行く事にした。この春大学を卒業して社会人となる息子との卒業ツーリングという名目である。  息子が学生のうちに北海道に行ってみたかったがそれも叶わず、今回は3月下旬という事で行き先を少しは暖かいであろう九州は阿蘇にしたのだが、調べてみると弾丸ツアーというフェリーの割引プランがあり、それを利用しての船中2泊の3日間の行程で予定を立てた。  初日  朝静岡を出発して岡崎まで高速で移動。国道1号、23号、25号と繋ぎ天理から再び高速に乗り

    • 北海道親娘ツーリング

       タイトルの通りである。  知らなというのは良くも悪くもいい事かも知れない。年末に免許を取得し、年明けに公道デビューを果たした娘が 「北海道に行きたい。」 と言い出した。21歳大学3年生、末っ子という事もあり随分甘やかして育てた子である。やりたい事と出来る事の判別がまだ曖昧なある意味いい時期なのだろう、免許を取ればオートバイに乗れる、オートバイに乗ればどこまでも好きなところに行ける。ならば最北端の地に自分の足で行ってみたいという事である。  今までの流れと同様、いきなり北海

      • モロヘイヤを茹でる

        「プチッ、プチッ」  キッチンに野菜の茎を千切る小気味良い音が響く。モロヘイヤを茹でる前の下ごしらえの音だ。  元々料理が好きだった僕はサラリーマン時代後半の数年間、家族5人分のお弁当を作っていた。その後子供達は社会人となり家内の職場も給食を取るようになりお弁当の出番は無くなってしまったが、脱サラして自営業者になってからというもの、僕が夕飯の準備をする事が多くなった。  当初は揚げ物や中華といった親父飯、たまにイタリアンなイケおじ飯などが中心だったが、家族の食の嗜好、自分自身

        • オートバイのある風景 25 娘のエストレヤ

           息子が限定解除(とは言わないんですね、今は)してスポーツスターに乗り始めた翌年の春、大学3年生になっていた次女がバイクに乗ると言い出した。運動もあまり得意ではなく、家族で一番バイクには縁がないと思っていた彼女がバイクに乗りたいと言い出した事に僕は嬉しいというより正直驚いた。ここから先は息子の時と同様、おとーさんはダメと言い、おかーさんがオッケーを出すという我が家お約束の流れで彼女も無事教習所に通い出した。  バイクに乗りたいと思ったきっかけが僕の影響だったらまだしも、彼女は

        九州弾丸ツーリング

        マガジン

        • 丁寧な暮らし
          1本
        • オートバイのある風景
          25本
        • オートバイ小説
          7本
        • イラスト
          3本

        記事

          オートバイのある風景 24 息子の883R

           このシリーズの21に登場した息子のSRV250は元々希少車(不人気?)のおかげか、我が家オリジナルの「Dorton」のエンブレムをはじめとするカスタムのせいなのか、車種不明で割と目立つバイクに仕上がっていったが、何しろ走りが元気で(雑ともいうが)度々の転倒に見舞われた。それは峠道だったり、街中の交差点だったり昼夜ところ構わずといった具合だった。時には親指を骨折したり、派手な裂傷で救急車を呼ばれた事もあった。しかし幸いどれも怪我は大した事はなく命に別状は無かったものの、さすが

          オートバイのある風景 24 息子の883R

          北へ 7 いつもの朝に 〜北海道ツーリング〜

           日高沙流川キャンプ場で北海道最後の夜を過ごした僕は、朝8時前には撤収を終え荷物を積んだSR400で走り始めた。今日は17時小樽発新潟行きのフェリーに乗船する予定だが、途中で夕張に立ち寄る事にしていた。夕張を訪ねる目的は、清水沢のズリ山に登る事と炭鉱住宅の街並みを見てみたいと思ったからだ。  夕張と言えば映画「幸福の黄色いハンカチ」を思い浮かべる人も多いだろう。実際僕も前回の北海道ツーリングでは同映画の「想い出ひろば」というロケ地を保存した施設に立ち寄ったりもした。最近もBS

          北へ 7 いつもの朝に 〜北海道ツーリング〜

          北へ 6 会いたかった人〜北海道ツーリング〜

           上士幌航空公園で迎えた北海道4日目のこの日、僕はある人に会いに行く事にしていた。以前ツーリング雑誌で見かけて以来気になっていたお店のオーナーである。美味しいハンバーガーを提供すると評判のお店なのだが、目的はハンバーガーというよりお店のオーナー自身である。  どんより曇った空の下、今日も連泊するという福山のアフリカツイン乗りのキャンパーさんに昨夜のお礼を言い、キャンプ場を出発した。士幌町の道の駅でお土産を発送する間に洗濯を、と立ち寄ったコインランドリーでは軽キャンピングカー

          北へ 6 会いたかった人〜北海道ツーリング〜

          オートバイのある風景 23 ドートン883

           SRV250とSR400という組み合わせで走り始めた僕ら親子は、この年濃密なオートバイライフを満喫する事になった。走り始めた春から初夏にかけては日帰りのショートツーリング、夕涼みライドからの夜走り、鈴鹿8耐観戦とバイク漬けの日々となり、夏休みには5日間の東北ロングツーリングに出掛けた。秋には紅葉の信州キャンプツーリング、年明けにはまだ寒い伊豆でのキャンプツーリングと本当に良く走った。  そんな1年が過ぎようとしていた頃、仕事でお付き合いのある人からハーレーのカスタムショッ

          オートバイのある風景 23 ドートン883

          オートバイのある風景 22 やっと出会えたSR

           息子のバイクデビューが着々と進む中、僕のバイク選びも進んでいた。バイク便を経営していた頃と違ってお小遣いの範囲内で、という制約があるのでバイク選びは一進一退していた。しかし乗りたいバイクを次々と乗り換えていた以前と比べ、一定の制約がある中でのバイク選びはこれはこれで楽しいものだった。  その中でゼファー750、W650といった候補を押し退けSR(400or500)が最終候補となった。理由はいくつもあるけれど、SRは以前代車として乗った時の印象が良かった事、メンテナンスが自分

          オートバイのある風景 22 やっと出会えたSR

          北へ 5 タウシュベツの出会い〜北海道ツーリング〜

           別海町のキャンプ場で静かな夜を過ごした僕は、次の目的地である上士幌町に向かって走り出した。今日はこの旅のメインイベントと言っても良いタウシュベツ川橋梁見学ツアーに参加する予定なのだ。予定といっても地元NPOが主催するツアーに申し込んであるので、何は無くとも時間までに集合場所に行かなくてはならない。朝ゆっくりした事もあり、昼食もセイコーマートで済ませ休憩もそこそこに僕は走り続けた。  何とか予定通り上士幌航空公園キャンプ場に辿り着いた僕は無人の管理事務所の前で考えた。プレハ

          北へ 5 タウシュベツの出会い〜北海道ツーリング〜

          オートバイのある風景21 息子のSRV

           バイク便を廃業して再びサラリーマンに戻った僕は、しばらくの間バイクを持たない時間を過ごした。このエッセイのスタート時に「バイクを切らしたことはない」などと綴っているけれど、すみません暫く乗っていない時期がありました。言い訳ではないけれど、その間ずっとネットで次のバイクを物色していたし、自分がバイク乗りであるという自覚は持ち続けていた。問題はいつ乗るか、タイミングだけだった。ちょっと長い乗り換え期間と言っても良いかもしれない。  そんな僕に転機が訪れたのはある年の冬、年が明

          オートバイのある風景21 息子のSRV

          北へ 4 フレシマ湿原にて〜北海道ツーリング〜

           北海道上陸初日の夜を阿寒丹頂の里キャンプ場で過ごした僕は2日目のこの日、霧多布岬に向かった。途中、霧多布湿原の駐車場でセルフポートレート的な写真を撮っていると赤い乗用車に乗った観光客と思しき親娘連れに声をかけられた。 「良い所ですなあ」 70代くらいだろうか、お父さんが思わず声を上げる。 「そうですねぇ」 二言三言言葉を交わし、では良い旅をと別れたのだが案の定、その先の霧多布岬でも一緒になった。父親の方はスタスタと岬の突端に向けて歩き出してしまい、娘さんがその後にゆっくり続

          北へ 4 フレシマ湿原にて〜北海道ツーリング〜

          オートバイのある風景20 機材としてのバイクと愛すべきライダー達

           会社の将来性や仕事のやりがい、自分らしい暮らしについてそれなりに考えた上で始めたバイク便の仕事だったが、時代の変化と自分自身の環境の変化などから廃業という決断に至るまで、約7年に渡って営業する事が出来た。  その間、僕が仕事の機材として使ったバイクとライダー達の事を少し思い出してみたい。 まずは何と言ってもこれ ホンダVTR250 トータルで5台使い倒した。うち1台は10万kmを超えた時にアルバイトの中でも1番のメカ好き、自動車系専門学校に通っていたK谷にエンジンをオーバ

          オートバイのある風景20 機材としてのバイクと愛すべきライダー達

          北へ 3 人と関わる事〜北海道ツーリング〜

           フェリーは定刻通り午前4時半、小樽港に着岸した。 この時期の北海道は日の出が早く、日本海に面した小樽でさえ辺りはすっかり明るい。僕がお盆休みではなく7月初旬の北海道を好むのはフェリーの運賃が安い事以外に日の出時刻が早いというのも大きな要素になっている。さらに今回は6月という事で最安期間の運賃が適用されるというのは嬉しい誤算だった。  今回のツーリングは道東を五日間で周る予定だ。サラリーマンでは無いけれど、全くの自由人でもなく代わりに仕事をしてくれる部下もいない僕にとって、

          北へ 3 人と関わる事〜北海道ツーリング〜

          北へ 2 現実との境界線〜北海道ツーリング〜

           オートバイに乗ると良くあるのだけれど、特に夜の高速道路や雨のバイパスなど景色を楽しんだりすることの少ないシチュエーションでは、たびたび僕の意識は内に向かって行く。今夜は特にメンテナンスしたての愛車の内部へと深く入り込んでいた。そしてキャブレターからエンジン内部に入り込んだ意識が排気ガスと共にマフラーから吐き出されるように、ある瞬間にふっと我に帰る事もよくある。決して上の空で運転しているわけでは無いのだけれど、そんなフワッとした感覚が僕は嫌いじゃない。  気がつくといつの間

          北へ 2 現実との境界線〜北海道ツーリング〜

          北へ 1 プロローグ〜北海道ツーリング〜

           深夜の高速道路で50wの心細いヘッドライトがぼんやりと前方を照らしていた。その視界の下ではスピードメーターとタコメーターの間、板ガムほどの大きさのインジケーターの一番下で赤いランプが瞬いている。  僕は軽く舌打ちをして、出発前にスピードメーターの軸にグリスアップし忘れた事を後悔していた。  今僕が乗っているのはヤマハのSR400という、1982年式のバイクだ。 このバイクの装備のひとつで時速80kmを超えると点灯する速度警告灯というものがあるのだが、肝心のスピードメーター

          北へ 1 プロローグ〜北海道ツーリング〜