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九州弾丸ツーリング

 2018年の春、僕は息子と九州ツーリングに行く事にした。この春大学を卒業して社会人となる息子との卒業ツーリングという名目である。
 息子が学生のうちに北海道に行ってみたかったがそれも叶わず、今回は3月下旬という事で行き先を少しは暖かいであろう九州は阿蘇にしたのだが、調べてみると弾丸ツアーというフェリーの割引プランがあり、それを利用しての船中2泊の3日間の行程で予定を立てた。

 初日
 朝静岡を出発して岡崎まで高速で移動。国道1号、23号、25号と繋ぎ天理から再び高速に乗り大阪南港に予定通り17時過ぎに到着。さんふらわあ号をみて息子も
「デケェ!」
と驚嘆。ちなみにたった6年前だがこの頃はまだ「デカ!」という言い回しは流行っていない。写真を見返してみると普段写真に入りたがらない息子もご機嫌な笑顔である。
 乗船後は旅装を解きバイキング形式のレストランで乾杯。これから始まる旅への高揚感でプラカップに注がれたビールの味も格別である。
 ところで乗船手続きからずっと感じていたのだがフェリーの乗客というのは皆押し並べて明るくおおらかだ。それもそのはず、仕事上のトラブルや退っ引きならない事情でわざわざフェリーに乗る人はいない。子供は無邪気に笑い、大人はそれを優しく見守る。そんな感覚で船内が満たされているのである。
 夕食後は大浴場で風呂に浸かり、貸切となった4人用コンパートメントでゆっくり休むことが出来た。瀬戸内の穏やかな海を進む船内で、柔らかな時間がゆるりと過ぎていった。

さんふらわあの夕食バイキング

 2日目
 船内アナウンスで気持ちの良い目覚め。船は予定通り6時55分、別府観光港に着岸。これも予定通りの雨に少々肩を落としつつの九州1dayツーリングのスタートである。
 雨の温泉街を抜け、まずは狭霧台(さぎりだい)を目指すが、展望台から霧の向こうに見える山肌が黒い。
「ん?」

狭霧台の展望台から


実はこの時期阿蘇一体は野焼きの直後でどこも山肌が黒く焦げているのである。この歳になってそんな事も知らなかったのかと後悔しきりであるが、ここまで来たら行くしかない。続いてやまなみハイウェイに入ったが霧が濃くて視界が開けず、加えて雨と低温でかなり過酷な状況になって来た。雄大な超ロングワインディングロードもこうなるとエンドレスの我慢大会である。
 必死に走って辿り着いた大観峰も濃霧と冷たい雨で感動も何もあったもんじゃない。外輪山から降りてようやく雨、霧、寒さから解放された。
 昼食はお楽しみ、阿蘇名物の赤牛を頂くとする。下調べ済みの「いまきん食堂」に到着するとすでに長蛇の列。普段は食事の行列なんて絶対に並ばないのだけれど今日は仕方あるまい。名前を記入して店の付近で時間を潰していたら不在の人を飛び越して思いの外早く席に通された。こんな日にも小さな幸運は訪れるものである。初めて食した赤牛丼は噂に違わぬ美味であった。

赤牛丼

 すっかり気を取り直し阿蘇山を目指すが標高を上げるとまたもや濃霧が。阿蘇山も草千里もすべて霧の中で、仕方がないよ、と帰路につくが復路のやまなみハイウェイも案の定五里霧中。途中まではインカムで励まし合っていたが、こんな時親子というのは遠慮がないもので、次第にふたりとも不機嫌になっていくのだった。

阿蘇山も霧の中


 別府市内に戻り乗船前に市内の温泉に入ってみたものの、一度沈んだ気分が晴れることはなく僕らふたりはフェリーに乗り込むのだった。
 不機嫌な息子を見て「せっかくここまで連れて来てやって、なんだその態度は」などと思っていたものの、客室のベッドに無造作に放り投げた息子のウエストバッグからお守りが三つも転がり出て来たのを見て、初めての船旅に対する息子の期待と不安に気付いて父親の胸はキュンとなるのだった。

 3日目
 やはり予定通り大阪南港に到着したフェリーから下船した僕たちは一路静岡を目指した。フェリーで一晩過ごしても息子の疲労と悪天候に期待を裏切られた気持ちは回復することなく、2台は淡々と高速道路をひた走るのであった。
 途中、ルートの確認や昼食をどうするかといった問いにうんともすんとも言わない息子に腹を立て、僕はインカムの電源を切ってしまったのだが、もう間も無く我が家という掛川のS/Aで息子のインカムが電源ONなのに気がついてまたもや親父の胸はキュンとなるのだった。一体何やってんだ、俺は!

 バイクの旅は気候や風土の変化をリアルに感じることが出来る。その変化はバイクのスピード感とシンクロしていて、自転車や徒歩のようにゆっくりじわじわ感じるものではなく、またクルマのように到着してドアを開けて初めて気がつくといった鈍さもない。ツーリングにおけるその変化の切り替わり方が僕には性に合っていると思うのだが、今回のツーリングはライダーとしての資質を試されたような気がした。
 こんな失敗も経験しながら、息子とのオートバイライフは続くのだった。




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