美しく変身を遂げる✴︎遊学日記week6@CDMX, México
楽観的なわたしは、ころん、と楽しさを取り戻す。
5/20 アメリカ人考案の定番ストリートフード : gringas
○このまま沈んでいくんじゃないか
月曜日、家を出る時におなかのあたりをぐーっと押し込まれるような感覚とともに家を出た。あれは不安とは別の何か。
バス停までの道、ぶつぶつつぶやきながら最近の出来事を思い出す。バスの中でも私の中の重たいなにかの皮を少しずつ剥いて、軽くすることはできないかと思いを巡らす。
不安や悲しみといった暗くてずっしり重たいものだけではなくて、楽しさやもらった優しさといった、誰かとともに過ごすことで感じる離さずに留めておきたいものも、底に沈んでいる。
週末、たくさんの人と会って、わたしのことや日本のことを知りたいと質問をしてくれて、始めましてのわたしに向けられるたくさんの優しさに対する自分の振る舞いの乏しさにげんなりしていた。これが一つの要因。
変身を遂げる前の動物的な反応なのか。
もはや透明人間になりたいと思いながら学校に入った。
○"como la gringa" 賞賛か皮肉か
そんなときでも学校のお庭で休憩していると隣に座ってゆっくりとお話をしてくれる人や、学校終わりにご飯を食べようと誘ってくれる人がいる。嬉しいばかり。
授業終わりにお昼ごはんを食べにいこうとなった。大学近くの、フードスタンドが並ぶストリートに友人が連れて行ってくれた。
月曜日限定価格、6つで $55 (550円くらい)の tacos al pastor (メキシコシティ発祥のタコスで、パイナップルがアクセント)を友達と半分こ。
追加で gringas を頼む。
gringas はアメリカ人の総称。ナチュラルに使うこともあれば、少し皮肉っぽく使うこともある。なぜ「アメリカ人」という名前のストリートフードが当たり前のようにメニューに並んでいるのか。
頼み慣れていないわたしは、注文の時になんだか少しとまどった。知り合いが girngos という言葉を使ってアメリカ人を揶揄するのをみていたのもあってあまりこの言葉自体にいい印象を持っていなかったから。しかも gringos なのか gringas なのか頭がこんがらがる(文法の性の話)。
5/21 クリリンのことかー!
昼休みにゆっくりしていたら、初めましての人が「君と話さなきゃ」と言って隣に座っておしゃべりをしてくれた。
「彼氏はいるの」って聞かれていないと答えたら「なんで」と聞かれて「なんでってなんで」って思わず聞き返した後に、「遠くにいて会えないのは寂しいから」と答えてみた。
そしたら彼は「遠くにいてもお互いのことを思い合えるのは素敵なことじゃないか」と言っていた。
語学学校ではよく小さなイベントが開かれていて、大元のUNAMに通う生徒も何人か来て交流することがある。
この日は日本語を勉強する人たちが数人いて、アニメトークで盛り上がった。呪術廻戦、鬼滅の刃、僕のヒーローアカデミア、あたりが最近の人気。
ドラゴンボールはど定番らしく、20世紀終わりごろから流行り始め、『ドラゴンボール超』の最終話が広場でパブリックビューイングされたらしい。ドラゴンボールについて熱く語られることが多いが、わたしは一話も見たことがない。「クリリンのことかー!」がどんな流れのセリフなのかも知らない。
ちなみにアニメに加えてk-popも詳しいと盛り上がる率は更にあがる。
5/22 「おはよう」と一緒にハグ
日系メキシコ人のおじいちゃんおばあちゃんたちが集まる敬老会にお邪魔させてもらった。
○日系メキシコ人:Mexicanos Japoneses
明治時代以降、増加した人口に比する国内産業が乏しく国民を十分に養うことができないと考えた日本政府がは、海外の土地を購入もしくは借用し、農地開拓をする移住者を募集した。
メキシコへにはチアパスに1897年に国民が送られる。1906年までに9000人に及ぶ人々がメキシコに送られ、政府による集団移住は 1970年代まで続く。メキシコに限った話ではないが、日系移民は戦中は強制移住など厳しい生活を強いられた過去がある。戦後は農業から小規模経営へと収入源が移り変わっていく。
細かい歴史や現状に関しては、正確なことを学んでから改めて書きたい。
○おばぁたちのクリエイティビティ
敬老会では何かしらレクリエーションを行い、お昼を食べ、お話をして解散という流れ。
月に2回開催される敬老会はみなさんにとって友だちとおしゃべりできる大切な時間。日本語で話すグループとスペイン語で話すグループでなんとなく分かれておしゃべりを楽しむ。
日本語を話すグループも、相槌の「si」や「amarilloの紙取って」と簡単な単語はスペイン語を使う。
日本語のグループで盛り上がっていたのは、YouTubeで見た皇族の話。たわいのない話をしながらもみなさんの手は動いていて、かわいらしい作品を作っていた。
○こんにゃくは手作り
作業中にグループに混ぜていただき、お話をした。
「日系レシピ」を教えてください、と伝えたところ少しお話をしていただけた。
自分が生まれ育った地、ゆかりのある地から離れた、気候などの関係から手に入らないものがある中で試行錯誤をして「日本風」の食事を作る。この行為がとてもおもしろいと思う。ラテンアメリカ滞在の大きなテーマの一つ。
今でこそ、お金を出せばあらゆるものが手に入るようになったが、昔はそうはいかなかった。メキシコのこの食材が日本のあの食材と似ている、ある材料を足すだけでぐんと日本の味に近づく。こういう情報はあっという間に周り、「日本食」の有り様が変わっていく。
5/23 念願のDorilocos
学校の帰り道、ずっと気になっていた Doritos のストリートフード Dorilocos を食べた。日本でもバズっていたのを数年前に見ていた。
Dorilocos の材料を知らなかった私はとりあえず全部入れてもらった。
作るのを待っている間にスタンドのお兄さんとお姉さんとお話をした。
お姉さんも3ヶ月前にホンジュラスからメキシコシティにやってきたみたいで、お互いまだまだメキシコシティを知らないねという話で盛り上がった。Dorolicosをもらってバイバイを言って歩き出した30秒後、お姉さんに呼び止められて電話番号を交換しようと言われた。Dorolicosデビューを果たしたことより嬉しい。
5/24 お土産ショップから見始める友人たち
学校帰り、Museum Universitario Arte Contemporáneo (MUAC)に行った。
コンテンポラリーアートの美術館。学校終わりに見て回るのにちょうどいい大きさの美術館だった。展示は時期によって入れ替わるようで、今の時期は異なる3つの展示を見ることができる。
お気に入りはコロンビアのアーティスト、Beatriz Gonzálezの展示。
特に悲しみ、後悔など sorrow を表現した作品たちに惹かれた。色使いなのか、使う素材なのか、苦しさだけでなくじんわりとあたたかさを感じた。
5/25 踊れるとモテる理由がわかる
○わたし豚ちゃん
お昼ご飯に pozole を食べた。お昼ご飯といっても17時前。
La Casa de Toñoというお手頃に食べれる人気レストランでいただいた。
pozole にもいろんな種類があるが、この日は赤い、鶏肉が入ったもの。大きめのとうもろこし、鶏肉、スープが入ったお皿が届く。レタス、ラディッシュ、玉ねぎ、tostadas (torilla をあげたもの)、ライム、チリは自分で好きなようにかけていただく。やっぱりなんでも酸っぱく、辛く、したくなるみたい。
とてもおいしかった。pozole とタマリンドのジュースを飲んでお会計は1200円くらい。食事に関しては日本と変わらない、もしくはそれ以上の物価である。
日本は食べてすぐに寝ると「牛」になるという。
メキシコではお腹いっぱいの時の表現で「豚」を使う。英語も牛より豚の印象。
○ダンスダンスダンス
学校の友だちに誘ってもらい、ダンススタジオのオープニングパーティーに行った。
メインイベントはダンスのコンペ。その前後や間の休みで、用意されている飲み物と食べ物を楽しんだり、流れている音楽にのって踊ったりする。
もちろんダンスはラテンダンス。サルサ、チャチャチャ、パソドブレなどなど。
ラテン音楽とダンスに疎いわたしは、音楽を聞いてもどの踊りの音楽なのか全く区別がつかない。そしてそれぞれの踊りがどう違うのかも知らない。
ただ、踊れた方が楽しい、踊れる人には惹かれる、ということを実感した。
休憩時間が長く、自ずと自由なダンスタイムも長くなる。踊らざるを得ないし、せっかく自由に踊っていいなら踊って楽しんだ方がいい。ということで、少し踊った。
自分も相手も何も知らないと、リズムは一向に合わず、とりあえずニコニコしていたけど心底きまずかった(自分も踊れないくせに失礼)。上手な人が誘ってくれてノリで一緒に踊らせてもらったら、なんだか知らない間にくるくる回ったり、ステップを踏んだり、楽しかった。
5/26 元気の源
ここ1週間のうちにはじめましてをしたフルーツが3つ。
メキシコでお気に入りのフルーツは、guajava(グアバ)とpitaya(ドラゴンフルーツもどき)。
メキシコシティも、もうそろそろ雨季へ。
季節の移り変わりとともに、わたしも次へと動き出す準備をはじめなければ。
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