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またね✴︎遊学日記week11@CDMX(たまに遠征), México

「またね」が言葉だけにならないように。

6/24 餃子ナイト

学校の任意で受けるテストをおさぼりして、ホストファザーと朝ごはんを食べにいく。といっても時刻は10:00、メキシコの朝ごはんは日本でいうブランチの時間帯。
これだけは食べないと帰せないと言われていた、tacos de canasta。

papa, adobo, chicharrón

・基本的に朝ごはんの時間に食べるtacos
・9:30ごろから売り出すお店(道で売ってる)が多い
・籠に青いビニールを敷いて、作ったタコスを入れ、油をかけ(玉ねぎ入りのことが多い)、ビニールを縛り、布を被せてお客さんを待つ
・定番の味はpapa(じゃがいも), frijol(豆), chicharrón(豚肉)
・一つ$7(70円)と安い

tacos de canastaについて
ビニールは絶対に緑でもピンクでも黒でもなく、青
tacos de canasta界の暗黙の了解

ホストファミリーと過ごす最後の夜。ありがとうの気持ちは夕飯作りで伝える。
いろいろ考えた末、餃子を皮から作ることにした。
作り始める時間帯は伝えたものの、一緒に作ってとはお願いしていなかったのに、みんなやる気満々でキッチンに集合してくれた。

薄力粉と塩とお湯さえあれば生地はできるのだが、問題は薄く丸い生地を量産すること。わたしも皮から作るのは2回目でほぼ初心者。
みんなで試行錯誤しながら作り切った皮の数は、なんと100枚。
生地を同じ大きさに丸くするのは tortilla も同じだよねという誰かの一声で、tortilla を作る道具を引っ張ってきてから作業効率がグッとあがった。結局めんぼうで最後に薄く伸ばすのだけど、その一歩手前の工程で大活躍だった。

餃子のタネは週末に市場で手に入れたものたち。たまたま出会った白菜と、ニラの代わりに葉玉ねぎの葉っぱの部分、にんにく、生姜。料理酒はないので白ワインで代用。ごま油と醤油はホームステイ先のものを拝借。

17:30ごろに作り始めて、21:00近くにようやくみんなでいただきます。ホストファザーが開けてくれたメキシコで作られている日本酒と一緒に最高の宴。日本とメキシコのフュージョンナイトだね、と盛り上がる。

水餃子用の包み方がハグしてるみたいだねって
水かけた時のジュワーって音に大興奮
フライパンにお皿を被せてひょいっ!
皮が余って急遽エビとパクチーの水餃子も作った
メキシコ産日本酒、波!

最後まで新しい体験をともにしてくれる家族。ありがとう。

6/25 既に溢れ出している荷物

朝一で洗濯物を回し、急いでパッキング。出発時からパンパンなバックパックは相変わらずパンパンで、圧縮ポーチのチャックの最後20cmを閉めるのに10分かかる。パッキングのストレスから逃れるために、いずれは捨てるものを決めなければ。
全部詰め終わるのに40分ほどかけて、最後のお礼を伝えてお別れ。わんこたちにも忘れずに。

ホストブラザーのお土産が最後のごはん
ベラクルーズのコーヒーはさっぱりしてた

大学の友人と1年弱ぶりの再会を果たし、ここからの5日間は思いっきり観光!
当たり前になって見落としていたいくつものことをはっと気がつかせてくれた。

カナダに留学をしていた友人は、メキシコは白人が少ないと驚いていた。メキシコについてから、リメンバーミーのおばあちゃんみたいな人が本当にいる、とは思っていたけど人種構成についてあまり考えていなかった。肌の色や血の流れは、メキシコやラテンアメリカではセンシティブな話なんだろうなと思っていて、聞けずにいた部分も大きい。

・ヨーロッパ系の割合が高いのはアルゼンチンとウルグアイ。イタリア人など、スペイン以外のヨーロッパ圏からの移民を多く受け入れていたことが背景にある。ブラジルも白人の割合が半数を超える。
・先住民系の割合が高いのはボリビアとペルー。ボリビアでは先住民系の政治家が多くいる。グアテマラ、メキシコも先住民の割合は少なくない。
・アフリカ系の多くはカリブ海の国々、ブラジルに暮らす。
・混血の割合が高いのはパラグアイ、メキシコ、中米のいくつかの国。

だいぶ大まかなラテンアメリカにおける人種構成の特徴

イギリスの中学校に通っていたときはどこの血が流れているかをよく話したけど、メキシコに来てからは一度も話していない。

@Museo de Arte Moderno

6/26 神々が集う場所へ@Teotihuacan

朝4時前に起きて軽く身支度をして、約束の時間ぴったりの4:25に車が迎えにきた。いざ、Teotihuacan 気球ツアーへ。

・メキシコシティとテオティワカン間の送迎
・気球40分と着陸後に赤ワインの乾杯
・自然洞窟の中で選べる朝ごはん
・プルケ、メスカル解説・試飲
・ピラミッドエリアガイド案内
・水1本とピラミッドの置物のプレゼント

30000円/1人のツアー

外は曇っていたけど雨は降っていなくて、迎えの車も時間ぴったりに来て、幸先がいいなと思っていた。ツアー会社のオフィスに着いた頃には外は薄明るくなっていて、これから見れる景色に胸を躍らせていた。

外が少しずつ明るくなっていき、オフィス内のお客さんも増えてきた。
外が完全に明るくなっても、気球に乗り始める気配がない。
中止なのかとそわそわし始めたらようやく乗る前の解説が始まった。

気球に乗って朝日を見るわけではなかったし、そとはあいにくの曇りだったけど、初めての気球からの景色は美しかったし、やっぱり空を飛ぶ体験は一番の非日常だと実感した。Teotihuacan はnopal(食用サボテン) と tuna(サボテンのフルーツ) の輸出地域らしく、地面には均等な間隔でサボテンがたくさん並んでいた。風向きの関係でピラミッドの真上を飛ぶことはできず、上空から遠く眺めるだけだった、雨女二人だったので、飛んだだけよしとしよう。

全部サボテン
農地に着陸、地主にばれたらお金を払うシステムらしい。
地主だったらこの時間帯は絶対見張る。

サボテンの一種、maguey が昔は紙、糸と針、石鹸として使われていたらしい。そして根っこの部分はお酒になる。無駄になるところが少なく感動。

花をこすりつけて着色する

ピラミッドもなかなかおもしろかった、登れないのは本当に残念だけど。
月のピラミッドの前の広場で20mくらい離れた場所に立つ人が手を叩くと、こちら側ではあひるの鳴き声のようなくわぁっくわぁっと音が聞こえるのである。自分が叩くと、反響はするもののパンパンと乾いた音が聞こえる。
マイクがない時代に、ピラミッドや広場周辺に集まる民衆らに声が届くように計算されているらしい。すごすぎてよくわからない。
4~7世紀に栄えたというこの土地。まだ調査が及んでいない土地が多くある。考古学者だったら一目散に調査したいだろうに、いろいろ複雑な手続きがあるんだろうな。今後も新しいことがわかると思ったらロマンがある。

地面で解説
月のピラミッド
死者の道
太陽のピラミッド
裏側が青々しくてかっこいい

14時に全てのスケジュールを終え、市内へ戻った。

泊まらせていただいているお家へお礼にカレーライスを作ろう、ということでサトウのごはんもどきを買いに日本食スーパー Súper Mikasa へ。友人が全部カナダより高い!と驚いていた。歌舞伎揚が1000円するなんて、びっくりだよね。

お買い物を終え、憧れの cantina へ。
イギリスでいうパブ、日本でいう居酒屋みたいなもの。お酒を頼むとおつまみが付いてくるのだ(お店によって1杯につき1つか、お通し感覚で1人1つかは違うらしい)。

少し調べて、Zócalo から程近く歴史ある La Faena に行くことにした。
GoogleMap では着いているはずなのにお店が見当たらず、周りのお店に聞いて看板のない入り口から、怪しげな人気のないホールを抜けて店内に入った。水曜日の17:00ということもあってか空いていて、店員のおじさんらはみんなテレビで闘牛を見ていた。1954年に闘牛協会の会員らが集まるためにできた場で、壁に飾られる様々なオブジェは由緒正しい感じがするけど、店全体の雰囲気はゆるっとしていてちょうどいい。
とりあえずビール。おつまみはChicharrónとピーナッツ。追加でワカモレを頼んだ。2杯目はピニャコラーダ、これがおいしいけど濃くてびっくり。ゆっくり飲みながら、たくさん話してたくさん笑った。せっかくの cantina でテキーラは飲まずに終わったけど、愉快な夜。

盛りだくさんの一日、疲れとお酒の気持ちよさでお風呂に入りたくないと騒いだけど、結局は入ってさっぱり一日を終えた。

6/27 天使の町へ@Puebla

メキシコシティの大きなバスターミナル TAPO から2時間ほどバスに揺られて到着したのは Puebla。

街並みはまるでヨーロッパ。

カラフルな壁、窓の外に少し張り出すバルコニー。
なんかもったいないね、と呟く友人に同意。これがメキシコらしいよなとも思う。

窓に色褪せた広告がぺたぺた

なんでこんなにもヨーロッパっぽいのか。歴史を辿ってみる。

HとかEとか飛び出してるのが、まるでヨーロッパ

1531年に先住民の領土の境界にスペイン人の植民都市として建造された。先住民都市とは別に、スペイン人が都市計画に基づいて新たに開発を行ったまち。道路は直線で、建物の色合いとバルコニーがちょこんとでているのが、なんともスペインらしい。

まちの全体像
青と白が鮮やかな、タラベラ焼きのタイル
ここにも!

Templo de Santo Domingo (サント・ドミンゴ教会)が、今までに見たことない教会で圧巻だった。
16世紀にイタリアで生まれたバロック様式は、スペインにてモザイクやアラベスク紋様、タイルを用いるイスラム様式と混ざりユニークなスペイン・バロックができる。そんなバロック様式がここ Puebla ではさらにユニークさを極めるのだ。ウルトラバロックといわれるメキシコのバロック様式は、先住民らの部的感覚が混ざり、装飾を極め出す。

礼拝堂の中はこれでもかというほど細かい金の装飾がなされている。中心部から足を伸ばして Cholula までいくと、鮮やかな色のタイルが特徴的なウルトラバロックを楽しめるらしい。今回は時間が足りず断念。

入り口正面もすごいけど
曲がった奥が
すごい
タラベラ焼きのタイルはここにも

19世紀後半から20世紀前半にかけて、スペイン、イタリア、ドイツ、フランス、レバノンの移民らが Puebla に住むようになった。
レバノンからの移民の影響でできたのが taco árabe 。tortilla の代わりにピタパンをつかったタコス。タコスよりもずっしりしていた。

どんっ

6/28 VIVA LA VIDA

Museo Frida Kahlo に行った。
やはり Frida Kahlo はとんでもなく美しい女性だなと思った。Diego Rivera の作品は好きだけど、女をたぶらかしているところに胡散臭い親父感を感じずにはいられない。
言葉や写真、絵で表現される互いへの愛、再婚した二人がここに暮らしていたということ、部屋に足を踏み入れるたびに感じた。Frida Kahlo が認めたってことは本当にいい男だったんだろうな、と少し納得する。

言葉にして、態度にして、愛を伝えることをどう思うかと聞かれ、メキシコらしいよね、と答えた。わたし自身が愛を言葉にして伝えられるかと尋ねられ、悩んだ。よくよく考えると、人へ「好き」を伝えることは少ない気がする。大きな「好き」の気持ちより、「好き」につながるその人の行動や思いを「いいね」「すごいね」と伝えることのほうが多い。あとは「好き」を感じることができている自分が、いかに「幸せ」かを熱弁する。わたしなりの少し曲がっているかもしれない愛情表現。

二人の愛

6/29 雨季だから、最終日の夜は雨

メキシコシティを離れる日。予定もなく、朝からまーったり過ごした。

どこにも行かないわたしを見かねてか、泊まらせていただいている家族が中心部から少し離れた Tlalpan に連れ出してくれた。まったりした雰囲気の地区。紀元前200年ほどから人が住んでいたという、メキシコの中でも長い長い歴史を持つ。

ここで初めましてをしたのは、とんでも甘々ギルティーお菓子 buñuelo。
小麦粉、卵、バターで作ったどでかいサクサクの生地(A3サイズくらい笑)を、いい具合の大きさに砕き、砂糖、グアバ、シナモンが入った温かいあま〜い汁にひたす。甘いけど、シナモンとグアバのアクセントでやみつきになる。

この後ホットチョコレートを飲むという、甘々攻撃をくらい、メキシコシティの生活は終了した。

kahoなんだけどなぁ
cajoじゃなくてよかったねって友達に言われた、たしかに

行ったことのない、食べたことのないものと出会わせてくれる、あったか家族にありがとう。

6/30 特技はのび太と一緒

11:45発のバスは12:15ごろに出発をした。

追いついていなかった手書きの日記をすぐに取り出せる場所に入れた自分を裏切り、即座に就寝体制に入る。寝付きがいいのが取り柄なので、気持ちよく眠った。途中にトイレ休憩は置いていかれないように急いですませ、また寝る。

気がついたら外は明るくなっていて、目的地に着いた。


「またね」が叶った日にたくさんのことを話せるように、言葉を肥やしていこう。

@Museo Frida Kahlo

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