指導者たる前に永遠の学び手たれ #マイクレド

マイクレド 003
"指導者たる前に永遠の学び手たれ"


人は自分がまだまだ無知であると自覚することで成長する。

現在、私は二つの顔を持つ。経営者、そしてエンジニアだ。そして、それぞれの領域で尊敬するメンターを持ち、定期的に彼らに意見を求めることで、自分の視野にまだ発展の余地があることを日々痛感している。こうした経験は、自分が日々直面する多種多様な課題に対する異なる視点や新たなアプローチをもたらしてくれる。

人は役職が上がるほど、そして年を重ねるごとにアドバイスをいただける機会減少してしまう。経営者であれば尚のことである。自分の改善すべき点を面と向かって指摘してくれる人がいなくなってしまう。指摘されなくなるということは、裏を返すと自分の成長が止まってしまうということだ。

もちろん、自分だけの力でどうにかならないかともがく時間も必要だ。自分で試行錯誤をすることで人は成長するからだ。しかし、間違ったフォームのまま努力をしていても、それは結果として自分の成長速度を止めてしまうことになる。

エンジニア界隈には「車輪の再発明」という言葉がある。車輪という便利なものがすでにあるのに、それを知らずに(or 無視して)再度車輪を作るという行為はアホのすることだ、という意味だ。
経営者という職業もエンジニアという職業も、私が最初に始めた職業ではない。先人たちの成功体験・失敗体験が腐るほど存在する。ならば、その情報を適切にインプットしながら自分の成長を進めるべきである。

ここまで強く壁打ちについての重要性をとくのは、私自身がその重要性を痛感したからだ。起業をした直後はメンターを設けず、独学で突っ走った。その結果言われた言葉が、「あいらがやっていることは経営者ではなく、おままごとだ」という痛烈な言葉だった。経営者がどのようなことに気をかけているのか、どのようなことで意思決定していくのかを実際の業務を知らないまま、見よう見まねでやっていただけなのである意味当然の反応である。この言葉をかけてくれる存在がおらず、今も間違った努力を続けていたらと思うとゾッとしてしまう。

裸の王様になってはいけない。メンターからのフィードバックを得ること、先人の経験から学ぶこと、そして時には失敗から学ぶこと。これら全てが自己を成長させるための糧となり得るのだ。

無知であることを知ろう。そして、無知であるということはまだまだ成長余地があると喜ぼう。私たちは今も、そしてこれからも永遠の学び手なのだ。


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