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見たい世界だけを見る魔法のツール

SNSアカウントを増やしてみた。目的に適った使い方を期間限定で行いたかったからだ。

目的が決まっていれば、同じ目的の人と容易に繋がることができる。

フォローしたりフォローバックをしたりの動きは比較的早い。自分のポジション的なものをプロフィールに書きさえすれば、大抵の人はフォローバックしてくれる。また私も同じくフォローバックするので、繋がる人数は一気に増えた。



その人たちは、それぞれが好ましいというエピソードをSNSに記載したり、ニュースを話題にしたりする。

要するに、同じような考え方の人だけがSNSで繋がるという現象が起きるだけだ。

そういう繋がりであるから、私から書く内容はほぼほぼ決まっている。

何の動きもなくなれば、このアカウントは休眠するのだろうなと疑いもせず、アカウントを運用する。まさに期間限定、内容限定でのSNSアカウントだ。

このような使い方をしていると「自分が世の中の中心にはいない」ということがよくわかる。

新しいアカウントのタイムラインは、旧来使ってきたSNS アカウントのタイムラインとは、「違う内容」だけで埋め尽くされていくからだ。



要するに「見たいものだけを見ることが可能」で、かつ、「自分の好ましいと思う内容だけを見ることが可能」。新しいアカウントはそういうものなのだ。

新しいアカウントでも、時折、悲しい内容がある。けれども共感しやすい悲しみだ。タイムラインは、よいことばかりではない。だが、何かすべてが想定内に収まる感覚なので、あたかも人生がコントロールされているかのような錯覚を覚えてしまう。

「自分は何を求めているのか?」「何をしたいのか?」という目的がロックオンされると SNS は自分が見たい世界をはっきり見せてくれる。

自分が好ましいと思う世界観が広がっていくのだ。



自分と似たような考えの人が集まっているわけだから、ストレスも少ない。悲しい出来事ことも嬉しい出来事も深いところで容易に共感できる気がする。それだからか、私って結構シンパシー強い人、思いやりある人なのではないかとすら思ってしまう。

しかしながら、古くから使っているアカウントに戻ってみると、全く違う世界が広がっている。

とても共感できそうにない「否定的な意見」がうようよと湧いているのだ。自分が新しいアカウントにどっぷりに漬かっている間には想像もしなかったような出来事がたくさん起きていると知らされる。



SNS とはそういうもの。

自分の見たい世界だけを見せてくれる魔法のツールである。

みんな同じ。みんな同じ。

そのことがどれほどの安心を与えてくれるのか、想像するのは容易である。

「自分の見たいものだけを見せてくれる魔法のツール」がSNSだと理解した上で、どっぷり使うのはアリだと思う。

そのことがSNS の存在意義でもの一つでもあるのだから、否定はしない。

しかしながらその世界が「全てではない」ことは決して忘れてはならない。

SNSで偏った世界を見すぎたがゆえの結果として、自分の意見に合わないものを懐疑的に見てしまうことは避けなければならないのだ。



どれだけSNSが平和であっても、共感に溢れる世界であっても、実際は自分の意見に否定的なものも世の中にはたくさんあるし、自分の意見とか違う意見もたくさんある。

それらの違いを全てを受け入れて「違う意見」と相対していくのはなかなかストレスフルだから。

ひととき気を休めたくて、見たい現実をみせてくれるツールとしてSNSを活用する。そのこと自体に全然問題はない。

だが、時々は思い出してほしい。

これは自分が見たい現実だけ見せてくれ魔法のツールなのだと。

実際は、自分の意見とは違う人も多くこの世に存在しているのだと。

それさえ忘れなければ、SNSの可能性は広がるものだと思うから。