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たとえジンクスは迷信だとしても

梅干しを漬けること。

それができない年は要注意。

それが私のジンクスだった。

ジンクスとは、いわゆる縁起担ぎ。

何か悪いことが起きそうなジンクスの場合。悪い結果が起きることが重なると、「これは〇〇したから悪いコトが起きたのだ」というジンクス思考へと繋がっていく。

仮に不運が重なっても、心を強く持てるなら悪い結果をもたらすジンクスなど存在しないはずだ。良くも悪くも信じる心がそれを「正しい」結果へと導くだけ。

一方、よい結果が起きるジンクスならば不安に打ち克つ心の支えとなり得る。〇〇をしたからきっと大丈夫だと自分を信じる助けとなる。縁起担ぎが弱気を払拭してくれるのであろう。

梅を漬けるということは、長年私の「健康で過ごすための」ジンクスとなっている。

親元で過ごしていた時期、祖母の梅仕事を手伝うのが習わしだった。「梅干しが好物だから」というのが一番の理由だったと思う。

自分の大好きな梅干しをたくさん漬けて欲しいという希望を出したとき、お手伝いを交換条件にされたことが、そもそもの始まりだったと思う。

最初からしっかりと手伝ったわけではない。梅仕事の周りでチョロチョロしているだけだったり、おつかいで塩を買いに行ったり、その程度のことから始めた。

祖母の梅仕事を見続け、徐々に梅漬けを覚えていった。一人暮らしを始めたとき、まずは1キロから一人で漬けるようになったのだ。

父も梅干しが好きだった。夏の帰省のときは、梅干しを小瓶にいれて持ち帰ることが習慣化されていった。

ところが、そのリズムが狂うときがくる。多忙を極める時期、梅干しの塩漬けをしたものの赤しそを漬けこむというところまでできなかった年があったのだ。

そして、その年を最後に、梅干しを漬けることをやめてしまった。

数年後、梅を漬けこまなくなってからの疲労がたまり、ついに体を壊す。

梅干し自体に意味はないのかもしれない。梅の時期というのは季節の変わり目で、その時期に、梅仕事ができないほどの多忙ではいけないという教訓のようなものかもしれないと思う。

そのため、私は梅仕事を再開した。

梅仕事を再開してから10年ほどの間、何があっても、梅干しを漬けることをしてきた。

だが、一昨年は漬けることができなかった。

昨年は、塩漬けのみできたが、赤しそを漬けこむまでできなかった。

そのため、この2年ほどジンクスを意識して、慎重に過ごしてきたつもりだったのだが、とうとう新しい病を抱えることになってしまった。

ただ、今ならまだ引き返せるという病状で病をみつけることができた。心の中で、昨年白梅の状態であったとしても漬けるだけはできたことが幸いしたのではと思った。

ジンクスは迷信でしかないのかもしれない。

だが、今の私にとっては梅を漬けたから大丈夫だと信じる支えだ。ここから好転していけるという希望の光でもある。

順調な回復を誓い、父の遺影に「今年漬けた梅干し」を供えた。

今年は好転のとき。

自分に言い聞かせ。

強く信じる心とともに。