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今振り返ると予兆があったと気づけるのに

体調不良になるときには予兆があるのだけれども、実際に、そのタイミングで気づくのは難しいものだなぁと思う。

自戒をこめて、体調が悪化していったときのことを備忘録的に記してみたい。

お風呂に入るのが面倒になる

個人差はあるかもしれないのだが、お風呂に入るのが面倒になるというのが真っ先に現れるような気がする。

もちろん、たんなる多忙ゆえ入浴を簡単に済ませてしまうということもある。だから、必ずしもとはいえないのだが。

たいてい、体調不良の予兆として現れる「お風呂入るのは面倒くさい」という事態は、次のような傾向を伴っている。意識してお風呂に入ろうとすると、入浴後に大変な疲労感を感じるというものだ。

寝ずに長距離をドライブしたとでもいうような疲労感。まともな食事をせずに仕事に明け暮れた3日目の朝の疲労感。それらに似たものをお風呂上りに感じるときは要注意だ。

時間の感覚がズレていく

個人差もあるかと思うが、私にはコレが顕著に現れる。

今回の場合は、時間の流れがゆっくりに感じられた。まだこんな時間なんだと思うことが幾度もあったのだ。

普段は、時間が足りないと感じてハラハラどきどきで過ごすタイプの人間である。それなのに、まだこんな時間なんだという感覚になるのは、普通では到底アリエナイ。

仮に、まだこんな時間なんだというようなケースがあったら、反射的に「じゃぁ何を詰め込める?」と予定していなかった「何か」を空いた時間にねじ込もうとする性質だからだ。

それなのに、あぁ、まだこんな時間か......として間をおいてしまうのは、行動力の勢いが落ちてきている証拠なのだろう。

普段と違う時の流れ方を感じたら要注意だ。

周りとの関係がストレスになる

普段からストレスになっている人は、このバロメータは使えないかもしれないのだが。

私の場合は、他人は他人、仕方ないと割り切ることを訓練で身につけてきているため、普段なら周りとの関係を割り切ることができる。

けれども、体調が悪化してくると、もともとの性質である、なんとなく気に病んでしまうの傾向が顔を出す。

これは前から知っていることではあったが、今回は、周りの迷惑のレベルが高かったため、これほどのストレスでは、さすがの私も無理なのだろうと思ってしまっていた。

「どれほどのストレスか?」という値は、自分が同じ状態という条件が揃えば比べようもあるのだが。それが実現できないという前提で、今後は、注意深くみていこう。

過信は禁物なのだ。

毎日の習慣にしていたことが続けられなくなる

1年以上前から、英語のブラッシュアップを再開していた。

英語のブラッシュアップといっても、Amazonプライムを英語で聞く&字幕は分からないときにチラ見するというやり方。

「単にAmazonプライム見てるだけなんじゃないの?」と夫にも疑われるほどの楽々な習慣ではあるのだが。

その楽々な習慣でさえ、すっかりやる気を失っていた。

英語の海外ドラマを見る気力がないというのか。英語を聴くのが面倒に感じるとか。40分程度の集中が苦痛になっていたのだ。

仮にAmazonプライムを見たとしても、とりあえず10分が限度。単語1つは覚えた。それでヨシとして画面を閉じることが精一杯だったのだ。

今振り返ってみると、この変化に自分が気づけなかったのはなぜかなと思うほどの不調だったと思う。

それでも、体調不良だとは思わなかった。

それは、なぜか?

ジワジワと体調が悪化していったからだった。

車線変更が億劫になる

車を運転しない人には、関係のない話ではあると思うが。

私は、もともと車の運転が苦にならない性質で、かつ、周りに迷惑をかけないように車線変更ができるスキルを十二分に持っている。

その前提で、車線変更が億劫になったタイミングを振り返ると、体調の悪化の兆しが最初に現れたのは2月10日頃だった。

つまり、1ヶ月以上前から体調は悪化し始めていたのだ。

急な悪化なら、これは大変と気づくと思う。

けれども、ジワジワとゆっくりと体調が悪化していくと、その変化には気づきにくいのだろう。

とはいえ、こんなに悪化するまで放っておいた自分を、今は叱ってやりたい気持ちだ。

早期に気づいてたら、ここまで大ごとにならなかったのでは?

そう思う反面、早期の場合は、ここまで一気に休養をとるという選択をとることも難しかっただろう。

だから、今回の選択&結論を全て否定する気はないのだが。

やはり、もう少し自分の変化に敏感になりたいものだ。

自分を大切にすることを意識していこう。

自戒をこめて。