能力は与えられるモノなのだろうか?
「与えられた能力を生かして世の中に貢献する」ということを信条としていた時期があった。
私以外からも、それに類した言葉を見聞きする。
だから、それほど珍しい発想ではないと思う。
だが私は今、この発想に疑問を感じ始めている。
◇
そもそも、能力は与えられるモノなのだろうか?
このような疑問に対して、次のような返答が聞かれることが多いように思う。
「能力はつかみ取るものだ!」と。
けれども、果たしてその返答は「このような疑問」を払拭するものなのだろうか?
◇
能力とは与えられるものだと思いたい。
能力をつかみ取るものと捉えてしまうと、努力が報われないことの説明がつかない。
どれだけ努力をしても得られないことは世の中にはたくさんある。その説明のために、何か外的な理由があると思いたいのだ。
では、どう考えたらよいのだろう。
自分の中で疑問を繰り返し反芻し、しばらく時間が経った。
◇
能力は与えられる。だが、能力は自然と身につくのではない。
生まれたときから持っている才能という意味で、天賦の才という表現がある。「天賦の才」のような能力であっても、天から降ってくる「能力」を受け止めるためには、自分自身で「手を出す」必要があるのだ。
つまり、「能力は持つことを許される」と考えたほうがよいのだろう。そして、能力を持つことが許されるかどうかを確かめるために努力をするのだ。
能力を持つことが許されるよう努力を重ね、それまでの道のりに起きるさまざまな試練を乗り越える。
きっとそういうことなのだ。
◇
今、自分には欲しくてたまらない「能力」がある。
そのための努力を惜しまないつもりではあったが、その能力を持つことを許可してもらえるまでの道のりが長すぎて気が遠くなりそうだ。
結果として持つことを許されないかもしれない。能力を持つ前に死を迎えるかもしれない。仮にそうであったとしても、やはり諦めたくない。小さな努力を重ねていこう。
今、心から欲しいと願う「健やかな体」のために。