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独立開業15年で顧問先200件年商1億円の税理士事務所を手放した私が今何をしようとしているのか

「簿記」と聞けば思い浮かんできたのは、地味なイメージでした。
経理職なんて、何色とも言い難い色あせたスーツを着て分厚い黒縁メガネをかけた中年男性が、袖が汚れないように腕カバーをしてそろばんをたたいている姿しか想像できませんでした。

19歳の春、失意の中、滑り止めで合格していた地元の大学に入学し、そこで出会った「簿記」を武器に、「税理士」という職業を目指すことになった経緯や、今も大切にしている考え方、下積み〜独立開業〜事業譲渡を経て経営コンサルタントとして活動を始めた現在に至るまでのご紹介をし、私のプロフィール記事とさせていただきたいと思います。どうぞ、お付き合いください。

少年の声は、風に消されても

「章弘くん?あーた落ちたんやってね。気にすっことなかとばい。うちん子は受かったんやけどね。あ、お母さんに替わってくれる?」

1982年。それは子ども心にも残酷な電話でした。当時の時代背景を考えれば、特に田舎となれば中学受験をする児童は決して多くありません。多くの児童が公立校へ自然と進学を決めていました。しかし、私の場合はそうではありませんでした。佐賀県で生まれ育った私は、12歳のときに中学受験をし、不合格となったのです。

私としては、それなりに頑張ったつもりでした。だから、受験の合否に関してはそれほど強い期待もなく、ここまでやって駄目なら、公立校に行けば良い。そんな心持ちでした。ところが、同じく中学受験をした幼馴染の母親から、1本の電話がかかってきたのでした。

記憶の片隅に消えそうになっていた小さな出来事。しかし、決して消えることのないこの出来事は、今でもたまに、私の脳裏に浮かんでは、「できることは全てやったか?」と、背中を押してくれるのです。

「税理士 公門章弘」の原点

私は物心がついた時からずっと、両親にある教えを受けて育ってきました。

誰よりも勉強をして、いい大学に入りなさい。
いい会社に入って、たくさんお金を稼ぎなさい。

両親が高卒だったことも、この教えに大きく影響していたのかもしれません。自分たちが受けたような苦労は絶対にさせたくない。そんな思いもあったと思います。

中学受験に失敗した私は地元の公立中学に進学し、努力の結果、中学校での成績はトップクラス。高校は、佐賀県でも進学校として名高い佐賀西高校に進学することになりました。やっと少し自信を取り戻しかけていたその時はまだ、高校での挫折の日々など知るよしもありませんでした。

佐賀県でも有数のトップ校に入学はしたものの、入学時の成績順位は450人中400番目。今まで生きてきた中で経験したことのない順位でした。見間違いかと思いました。

必死に勉強しましたが、周りの生徒の努力はそれ以上でした。結局、努力も虚しく、迎えた大学受験では第一志望の九州大学にカスリもせず、一浪までして行き着いたのは滑り止めで受験した地元の佐賀大学。失意のどん底、劣等感にまみれたまま、私のきゃんぱすらいふがスタートしたのでした。

周りを見渡せば、現役で入学してきた大学生の希望に満ち溢れた目。当時の私は一体どんな目をしていたのでしょうか。誰か教えてください。
そんなことより卒業するためには単位を取らなければいけません。佐賀大学の経済学部では、世界経済論と簿記論が1、2回生の必修科目でした。
簿記なんか絶対に面白くない。大体私は、黒か紺のスーツをバチっとキメるしイケてる眼鏡だってかけるし腕にカバーなんてしない仕事をするんだ。そもそも今どきたたくのはそろばんではなくてMacBookのキーボードだろ。

というわけで1回生で迷わず世界経済論を履修したので、2回生では簿記論を取るしかなくなったのでした。

しかし、この簿記論とその教授との出会いが、のちの「税理士 公門章弘」の原点になります。

簿記論との出会い

気が進まない中迎えた簿記論の授業初回。しかし、そこに現れた教授が、私の失われた時間を取り戻していくのでした。

授業開始時間、ひとりの金髪の若い男性が教壇に立ちました。ここは国立大学です。きっと何かの間違いでしょう。するとその男性は、

「日商の簿記検定を取れば、1年間授業に出なくていい」

と言いました。どうやらこの人が簿記論の教授のようです。さらに教授は続けます。

「合格者は試験も受けなくていいしレポートも出さなくていい。成績も優にしてやる。以上だ」

………いいんですね?

さっそく簿記3級の問題集を買い込み、6月の合格に狙いを定めて勉強を始めました。結果は見事合格。晴れて1年間の授業参加、試験、レポートの提出が免除となったのでした。

時を取り戻していく

簿記3級の合格は、これまで受験に失敗し続けてきた私にとって単純に嬉しく、それに、簿記2級まで取れば就職にも有利になると聞き、もう一度学ぶことを思い出した私はチャレンジをしました。結果、同年11月に実施された試験で簿記2級を取得することになりました。

私は実際に学んでみた簿記に魅了されていきました。
経済の流れを数字で表すということが、まるでパズルを解くように面白かったのです。

そして、自分にとって簿記とは何なのか?
簿記は自分の武器になるのではないか?

簿記に出会ってからというもの、私は自分の頭で物事をよく考えるようになりました。人生に主体性が芽生えたのです。
与えられる人生から、掴む人生へ。
自分は何を目指すのか?
やるべきことが明確になれば、他者との比較なんか気にならなくなります。
ひいては、自分は何者なのか?
そういった問いにもつながっていきました。
「自分について、とことん考えること」
これが重要だと気づくことができました。

なぜ、税理士を目指すことにしたのか

大学3回生になると、就職のことも考えるようになってきます。

いい大学に入りなさい。
そしていい会社に入って、たくさん給料をもらいなさい。

両親からの教えです。しかし、無意識のうちにその言葉に反発している自分がいたような気もします。小さい頃からその道を目指してきた結果、辛い思いをたくさんしてきました。そして、「自分はその道ではない気がするな」という思いが強くなります。会社に入らないなら、会社をつくるしかない。

社長になりたい。経営者になりたい。

その思いは、真剣なものに変わっていきました。
しかし、経営者にどうやってなるかわからないし、そもそも自分にその才能があるかもわかりません。それならまずは、経営者をサポートする側から始めよう。そう思って最初に思いついたのが、中小企業診断士でした。しかし調べていくと、中小企業診断士の資格だけで生計を立てるのは難しそう。そこで次に目をつけたのが、会社を経営するために必ず必要な税務や会社の資金繰りまで含めて経営者をサポートできる「税理士」という職業でした。

税理士になる。

これが、3回生の時に私が出した結論でした。

税理士免許と下積み

「税理士になるなら、5科目受験する正規ルートもあるが、大学院に行って修士論文を書くルートもある」

そう教えてくれたのも教授でした。修士論文を書けば一部試験が免除されます。税理士免許取得までに10年近く費やす人もいる中、確実に受かる方法があるならその方法を選ぶべきだと判断し、大学院へ進学しました。

大学院のゼミは社会人も参加します。しかも全員現役の実務家であり、それぞれの実務レベルを高めることを目的に学びにきています。この出会いも私にとってとても大きなものになりました。何かを追求するとか、もっと詳しくなりたいとか、できるようになりたいとか。そういう士業としてあるべき姿を見せてもらいました。

税理士試験では、大学組と試験組という言葉があります。私のように大学院を修了して資格を取ろうとすることは、時に試験組から「苦労をしていない」と言って批判されることもあります。しかし私が出会った実務家たちは口を揃えて言ってくれました。

「資格さえ取ってしまえば、あとは仕事で力を付けていけばいい」

この言葉がどれほど当時の私を後押ししてくれたことか。私は、この人たちの背中を見て育ったのかもしれません。今でも本当に感謝しています。

そうと決まればあとはやるだけ。佐賀大学の大学院を修了した後に、さらに福岡大学の大学院も修了し、28歳で税理士の資格を取ることに成功しました。

税理士として登録ができるまでには、実務経験を2年積まなければいけません。
私が最初に選んだのは佐賀ではなく福岡の事務所。その税理士事務所は経営コンサルティング業務も行っていました。「経営者のサポートをする」という自分の理想の税理士像にも近づけるかもしれないと考えたのです。

ところが実際に働いてみると、その事務所でのコンサルティング業務は全体の1割にも満たず、残りの9割は、記帳代行や決算申告といった、税理士が本来行うべき業務でした。当然、経験のない私の担当は一般的な税理士業務。…ですよね。いきなり理想に近づこうなんて虫が良すぎました大変失礼いたしました。
ありがとうございます。どんな仕事でもやらせてください。圧倒的に実力をつけさせていただきます。
かなり気合が入っていました。どんな仕事でも手を挙げました。昼でも夜でも関係ありません。早く実力をつけたい。2年が経過する頃、私は一通り決算申告まで自力でできるようになっていました。

次のステップに進もう。

決算申告もできるようになったし、今度こそコンサルティングができる事務所…?
と思いきや、次は佐賀にある、記帳代行が中心のコテコテの税理士事務所を選ぶところが私の良いところです(?)。
忘れてはいけないのが、私は大学組ですので試験が一部免除されたため、試験組が当然学ぶ税法科目(法人税や所得税)の学習経験がありません。一般的な税理士業務を一通りできるまでお仕事をさせていただいたことで、基本的な業務こそ重要であり、自分にはまだそこの知識が十分ではないことに弱みを感じていました。

新天地。所長は70代、昔ながらのやり方と考え方で記帳代行を中心に業務を行なっています。良いでしょう(?)。
ここでも2年。みっちり基礎を叩き込みました。

しかし、まだ足りませんでした。
税理士として独立するには、決算はもちろん、法人税や所得税、相続税まで幅広く経験しておくことが必要だと考えていました。そこでもう少し経験を積むために、成長著しい福岡の会計事務所へ転職。所長は40代半ば。そこで2年間、相続税や資産税を中心に、コンサルティング業務(←ついに!少しだけ。)や最先端の会計記帳業務など、あらゆる経験させていただき、計6年の下積みののち、34歳でようやく私は独立の許可を自分に出したのでした。

顧問先3件からのスタート と 成長 と 亀裂

独立時、顧問先は3件でした。前職からのつながりで、私に顧問をお願いしたいと言ってくださった方々です。
さらに、前職の同僚であり、現在の副所長である廣澤さんが私の独立を聞きつけ、「手伝いたい」と言って福岡から佐賀まできてくれたのでした。彼を正社員として迎え入れ、身の引き締まる思いで開業に踏み切ったのでした。

目標は、「顧問先を年間10件ずつ増やし、10年後に100件、従業員も10名ほど」。そのペースなら、顧問先に対して丁寧な対応ができるし、職員の教育もしっかりできるだろうと考えました。

しかしこの目標は、予想に反して、ハイペースで達成されることになります。そしてそれによって生じる弊害が、私に経営の厳しさを教え、私の経営スタイルを確立させていくのでした。

目標の達成のひとつの要因は、私が前職で顧問を担当していたクライアントさんが多数、私を求めて福岡から訪れてきてくださったことでした。
当時は、担当税理士としてかなり深いところまでクライアントさんのサポートを行ったり、資金繰りが厳しいクライアントさんがいれば、社長に付き添って銀行に出向き、融資の交渉をしたりと、独立を前提にしていましたから、懸命に業務に努めていました。それを評価していただいた結果でした。

さらに、インターネットでの集客もうまくいきました。
当時の佐賀において、集客に耐えうるホームページを持ち、運営し続けている税理士事務所はゼロ。はじめは手作りのホームページでした。それを見た人から問い合わせが来るようになり、気づけば開業して5、6年で、10年はかかると予想していた「顧問契約100件」に手が届くところまで成長していました。

仕掛けるなら今だ、と思い、インターネットマーケティングに全力を注ぎました。この戦略が大当たり。年間の新規顧問契約数が67件を数える年もあり、ついには開業10年で顧問先は200件、年商は1億円の規模に達することができました。

しかし、この急成長の裏で、組織は崩壊寸前まで追い詰められていました。人手が全く足りていなかったのです。

事務所総出でも対応しきれなくなりスタッフを増員するも、教える時間が全く取れません。ベテラン職員が激務の合間を縫って教え込んでも、戦力になる手前で疲弊して辞めていきます。税理士になりたいと夢を抱いて入ってきたけど、あまりの激務に「こんな仕事だとは思っていなかった」と言って去っていくスタッフもいました。

事務所の月の残業時間は120時間を超え、体力的にも精神的にも限界を迎えつつありましたが、顧客は待ってくれません。増水した濁流に飲み込まれ、流されていくような日々。ゆっくり顔を見ながらスタッフと話す暇もありませんでした。

そんな中、愚痴の一言も言わず、ただひたすらに働いてくれたのが、副所長の廣澤さんでした。彼は神戸で生まれて神戸で育って、家族の仕事の都合で福岡に来て私と出会いました。佐賀なんていう縁もゆかりもないところに、僕と働きたいというただそれだけのために移ってきてくれました。土日であろうが深夜であろうが、いつでも事務所には彼の姿がありました。

彼を見ていてふと思い出したことがありました。
開業当初に掲げたもう一つの目標です。

質の高い仕事をして、仕事をする仲間と楽しく笑い合いながら、いい事務所を作っていきたい。

顧問先100件という目標や、急成長の影に隠れて見えなくなっていた事務所づくりの理念を、副所長含め献身的なスタッフたちのおかげで改めて見つめ直すチャンスをいただきました。このままでは彼らに申し訳が立たない。私は彼らとともに、この生涯を、楽しみながら過ごしていきたい。これは経営者としての責任や義務というよりも、家族に対して抱く感情に近いものがありました。

そして私は、事務所の方向性を変える大きな決断をくだしました。

「ここまでの規模でとどめよう」

高品質、高収益の業務を中心に据え、仕事を選び、売上至上主義を捨てました。この事務所経営の方針は、事業譲渡する2019年まで一貫して続けることができました。

私が本当にやりたかったこと

一方で私個人はというと、税理士としての実務をしながら、毎週末東京や大阪に出向き、著名なコンサルタントや実業家が主催する勉強会やセミナーに参加し、コンサルティングについて学ぶという生活を送るようになっていきました。嵐のような成長期をすぎ、本当に自分の目指していた人生を手に入れようと動き始めたのです。
1ヶ月のうち、週末の出張を含めてコンサルティングについて学ぶ時間が半分、税理士としての実務が半分、といった生活が5年ほど続きました。

次第に組織も安定してきて、勤続10年くらいのスタッフが5名。現場実務はスタッフがしっかりやってくれるので、所長の私が自己投資で得た知識を付加価値としてクライアントへ還元する(コンサルティングのサービスを提供する)、という枠組みも確立しました。

そして2019年、独立開業して15年の総決算をすることになります。福岡に拠点を置く、弁護士法人 菰田総合法律事務所への事業譲渡が決定したのです。

「税理士 公門章弘」としての決意

今私には、ひとつの想いがあります。それは、日本の企業の99%以上を占めている中小企業の経営者を磨き上げることです。

中小企業のうち、赤字の会社がどれくらいあるか想像がつくでしょうか?
75%です。
会社を成長させるのは社長です。社長というと才能があるからなれるんだろうと思っていましたが、そんなことはなくて、誰でもなれます。私にだってなれました。でもその中で”経営者”になれる人は本当に少ないんです。それはなぜかというと、日本には”経営”を学べる場がないからです。

会社を立ち上げても社長は労働者の頃の意識が抜けきれず、経営ができない。戦略を練ることもできないし、数字の見方がわからず資金繰りもままならない。そんな社長が多いと、業務を通してわかってきました。そういった会社は付け焼き刃の外科的な処置では改善しません。東洋医学のように、時間をかけてでも、根本から体質を変えていかなければいけません。
税理士という資格だけではそれができませんでした。

目の前に座っている社長の目は血走っていて、まさに今、命をかけて会社を動かしている。それなのに決算書を見ながら「今年も厳しかったですね」と伝えるだけ。この仕事にいったいなんの価値があるのかとすら思っていました。

必死で働いている社長たちに、根拠のある数値計画の立て方を伝え、目先の資金繰りにあたふたせず、10年後も成長し続けることを前提に、同じ目線、同じ熱量で財務から戦略までなんでも相談できる強いパートナーとして、サポートを行っていくこと。これこそが、「税理士 公門章弘」のひとつの使命であると考えています。

そんな想いを胸に、現在、経営コンサルタントとして再起業をし、社長の皆様とともに、日々奮闘させていただいています。

中小企業を元氣に!

を合言葉に、今日も佐賀の地で、未来の”経営者”となるあなたにお会いできることを心待ちにしております。

***

noteでは、以下のようなコンテンツを無料のマガジン形式にて公開していきます。

特に、小冊子も含めた拙著はプロフィール記事では書ききれなかった私の15年間の経営の集大成であり、私が培ってきた全てのノウハウを凝縮したものとなっています。

①は、経営者として私が大切だと思う考え方をまとめたもの、
②は、損益計算書の影に隠れて見落とされがちだけど本当に本当に大切なキャッシュフロー経営を紐解いていく考え方(「お金のブロックパズル」という誰でも簡単に会社のお金の流れが読み解ける魔法のツールを活用します)、そして
③は、銀行や公庫などから借りたカネ( =融資 =借金 )は、ネガティブなんかじゃなくむしろ事業のために使うポジティブな資本( =他人資本 )と捉え直す、税理士であり経営者である私が実践してきた究極の理論「他人資本論」を解説しています。

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・小冊子『キャッシュフロー経営によろしく!』…②
・小冊子『借金経営によろしく!』…③

さらに、

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なども随時更新予定です。

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また、『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』などの著書で有名なベストセラー作家 小堺佳悦郎先生から引き継いだ「キャッシュフロー経営実践会」(上記の拙著の深掘りや、些細なご相談から本格的な財務・経営コンサルティングまで行っています)の会員限定ニュースレター会員限定特典:キャッシュフロー経営実践マニュアル

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※本プロフィール記事は、士業・コンサルタントの横須賀輝尚 先生にご協力いただいた書籍から一部引用しています。私以外の士業の先生方についても書かれていて、どれも興味深い上、士業という職業を今よりも身近に感じていただけると思います。

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