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『衝動のみつけかた』で読書会3回したらピカソと脱ハングリー精神に出会った

あなたは読書会に参加したことはありますか。

「本にめちゃくちゃ詳しい人しか参加してなさそう」
「本は好きだし、気になるけどいったことない」

濁音(ド!)の強さと怖さ(ドク=毒?独?)を連想するのネーミングからか、多くの人にとって気になるけどなんだかこわい存在になってる読書会

会ったことのない人たちが何人か集まり、感想を共有して解散というのがよくある読書会ですが「知らない人たちと話す」が苦手で「それぞれ話したいことを話す」ととっちらかり消化不良になることも。。

そこで「知り合いがいるコミュニティ」で「お題を決めながら話す」読書会を3回やってみました。


3回読書会をした書籍とコミュニティ

毎回4~5人Zoomで集まって計3回の読書会をしたのはこちらの本。

「はみだして、ためそう。」をかかげる社会人の実験コミュニティ4th place labで2回。関西でイノベーションに取り組むIt's Staで1回ずつ開催。どちらも本書のタイトル「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」にぴったりな集まりということもあり、開催案内をだしてすぐ参加者が集まりました。

『衝動』とはいったい何なのか

次は「お題を決めながら話す」準備。と、その前に。そもそも本書の『衝動』とはいったい何なのか。ここで紹介させてください。

「衝動」とは 引用元:人生のレールを外れる衝動のみつけかた

著者である京都市在住の哲学者 谷川嘉浩さんは、本書の1章と2章で「衝動は何ではないのか」「衝動とは結局何ものなのか」を丁寧に説明します。

『将来の夢』『本当にやりたいこと』や『モチベーション』といったよく使われることばとどう違うのか、どんな特徴があるのかをひとつひとつ知ることで『衝動』の輪郭が捉えられ、衝動について語り合う準備が整いました。

著者に質問したいこと

話すお題のひとつとして開催前に「著者に聞いてみたいこと」を参加者になげかけたところ、こんな質問があつまりました。

  • 人生のレールを外れる衝動が起こる時期や年齢はいつ頃が多い?

  • 衝動が起こらない、または頻繁に衝動が起こる人はいる?

  • ヒンメルの思いを継いだハイターのように亡くなった友人の思いが乗り移り衝動になる他に、人はどんな他人から影響をうけやすい?

  • 日本人は他者の衝動を自分に同期してしまいやすい気がする。その場合、いいレールの外れ方にならないような。見極め方ってある?

  • レールから外れる一歩目のコツを教えてください etc.

せっかくなので谷川さんに直接質問をご連絡したところ、ありがたいことに事前に回答いただけました。(谷川さん。お忙しいところほんとうに有難うございました!!!)。読書会ではその内容を順番に共有しながら、ひとつひとつ話をしていきました。

谷川さんのnoteにQ&Aが掲載されているので、ぜひ覗いてみてください。

お題①:衝動を人生でどう使いたい?

読書会当日。

谷川さんのQ&Aをひととおり共有して話をしたあと。参加者から「衝動がどんなものかわかったけど、みんなは衝動を人生でどう使いたい?」という問いかけが飛び出しました(いい問いすぎて、なんかくやしい!)。

「同じ作品を何十回もみるくらい映画が好き。じぶんには映画の偏愛がありそうだし衝動もあるかも。けどそれを見つけてどうするの?」とのこと。

その問いにある人が「衝動のカードをいますぐ使いたい」と話し始める。「ロマンに突き動かされることに憧れる。埋蔵金を見つけるのに人生をかけた人と同じように、わたしも温泉を掘り起こしたい!だから衝動がほしい

衝動のコントロールできない非合理に突き動かされる。そんな感覚の訪れを待ち望んでいるけれど、招き入れられていないもどかしさ。

冒険こそが、わたしの存在理由である

パブロ・ピカソ

この名言に(ほかのワークショップで)最近であい、ピカソに強く共感したその人に、衝動が訪れ、新たな温泉が湧くことがたのしみで仕方がない。


お題②:あなたのそれは衝動なの?

別の会で。

普段よく彫刻をつくるひとに「彫刻をつくるのは衝動?」という問いかけ。

「昔から好きなわけじゃなくて、ある日突然やってきたんです。数年前から始めて、うまくなりたい気持ちがあって続います。自分でも「え?これ?!」という感覚があるんですよー」という、まさに衝動(または偏愛)といえそうなお話。

それ自体が楽しくて取り組む。ただ楽しくて没頭する。<趣味>の没頭には、注意の分散に抵抗する拠点となるような楽しさがあります。この本で取り組んでいた「衝動」というテーマは、この特殊な意味での<趣味>の背景にある意欲に相当しています

人生のレールを外れる衝動のみつけかた p.228

趣味という言葉には「すきでやっていること」「暇つぶし」という少々ネガティブなニュアンスが漂います。けれど本書ではそんな抑圧されがちな趣味を肯定し、それを生活の中心に置くことすらおすすめします。

けれどそれでも趣味をたのしむ人は後ろめたさや、説明できなさ、共感してもらえなさにもやもやを抱える。だからこそ、自分の偏愛を生きる自分のためにもその言語化が必要なのでしょう。

何かを言語化するとは「細かく」「詳しく」語ることです。「鳥が好き」「野鳥観察が好き」「鳥を識別するのが好き」といった理解は、まだまだ解像度が低い。もっと細かく、詳しく語らねばなりません。そうでなければ、偏愛の延長に想定される衝動の姿を垣間見ることもできません。

人生のレールを外れる衝動のみつけかた p.74

おまけ:ハングリー精神と衝動

他にも「レールにのって生きていきたい、って思ってる?」とか「ひとが集まるイベントやコミュニティで衝動が生まれるようにするために何ができるんだろう?」などなど、たくさんの衝動トークができました。

印象的だったのはお題①の問いをなげかけた人が最後に「ハングリーでいるために衝動を使ってみようと思います」といったコメント。

その人は推しに弱くて巻き込まれやすい、本書で言う多孔質な人。これまでも衝動に取り憑かれたようなキャリア選択(大手不動産デベロッパー⇒リノベーション会社広報⇒スタートアップ広報)をしてきて、映画やアート鑑賞の趣味も十分に楽しんでいる一方で「趣味だと強制力がないから、(人を巻き込んで)動けない。。」というモヤモヤがある様子。

本書で度々紹介される『葬送のフリーレン』の魔法使いフリーレンは役に立たない魔法をあつめることが趣味。それをひとつの指針として日々を過ごし、長い年月を生きる彼女の姿は、この本が伝えたいひとつの生き様です。

しかし「温泉を掘り起こしたい」という際立つ衝動をもつ人がいたり、趣味を強烈にたのしみ大きなプロジェクトを動かす人がいると「じぶんだけのための、なんでもない趣味や仕事で満足していてはダメなのかも。。」という迷いが生じることもあります。

スティーブ・ジョブズも「Stay hungry, stay foolish(ハングリーであれ。愚か者であれ)」と2005年のスタンフォード大学の卒業式辞で語ったといいます(もう20年近く前!!)が、これからは脱ハングリー精神こそ必要なのかもしれません

衝動はひとつでなくてもいいし、ひとから共感されなくてもいいもの。かんたんに共感できる面白さよりも、じぶんにしかわからない偏愛と衝動をみつけることのほうが長い人生をかけるべきことのように感じます。

「社会的に成功したい」「後世に何かを残したい」「他人よりも幸福になりたい」という競争と比較の世界線の中にいる間は、いつまでもハングリーで満たされることはないのかも。じぶんだけを満たしてくれる何かが見つかる日を願って、繰り返し実験をしながら、衝動探しを続けていきたい。