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文披31題:Day25 カラカラ

 胸の奥で音がするんです、と訴えられたので、診察しますので椅子にかけてくださいと返した。
 椅子にかけた自称患者殿は、胸に手を当て、音がするんですと繰り返す。
 それは誰にでもわかるのかと尋ねると、手を当ててみればわかると思うのであててくださいと言われた。半信半疑で手を伸ばし、言われた場所に手を当てる。
 確かに音がした。患者が呼吸をするたび、声を発するたびに、カラカラと、乾いた音がするのだ。
 成長期の青年の薄い胸に、そんなものが入っているとは思えない。体の構造上、音がするようなものが入っていて触れるだけでわかるような状態であれば、体に異常が起きているどころの話ではない。
 だから、ここに来たのだなと理解した。普通の医者では話になるまい。
 手を離し、よくわかりましたと答える。この音は何でしょうかと患者が尋ねた。
 音がするんです。音を聞くとなんだか虚しく、悲しい気持ちになります。どこかに行きたいような、どこにも行きたくないような。誰にも会いたくないし、誰かに会いたいと、そんなことばかり思ってしまうのですと患者は続けた。
 それは、と一呼吸置く。患者が顔を上げてこちらを見ると、カラ、と音が聞こえる気がする。
 自分の胸に手を当てて、それは虚無の音ですよと伝えた。
 虚無の音ですか。患者は答える。
 誰にでもあるのです。けれど、普段は誰にも聞こえない。ふと、虚無に囚われたとき、その音は鳴るのですよ。
 どうしたらいいのですかと患者は重ねて尋ねてくる。
 笑いましょうと返す。
 虚無は消えません。あなたとずっと生きていくものです。けれど、それは悲嘆も歓喜も憤怒も同じ。全てはあなたとともにあり、あなたの心の音として生きているものです。
 だから、気になるのであれば笑えばいいのです。そうしたら、聞こえるのは笑顔の音だけでしょう。
 そういうものなのですか。
 ええ、そういうものなのです。だから、虚無の音が聞こえたら笑えばいいのですよ。
 そうですか、ありがとうございます。少し楽になった気がします。これからは、音がしたら笑うようにします。

「……私の仕事ってこれでいいのかしら」
 カルテを置いて一つ息を吐く。先ほどまでのカウンセリングを思い出す。
 胸の音がする、とカウンセリングを希望した少年。はじめは強ばっていた顔が、ゆっくりとほぐれ、緩んでくる。最後は笑って出て行った背中は、少し延びていた気がする。
「いいんじゃないでしょうか。心の悩みを聞くカウンセラー、なんですから」
 アシスタントが茶を差し出してくる。大きめの氷が浮かんだグラスの中には、花の香りのする茶が注がれていた。リラックス効果のある、ふくよかな花の香りが漂う。
 礼を言って口をつけると、冷気とともに花の香りが鼻を抜け、肩の力が抜けるのがわかった。知らず知らずのうちに自分も強ばっていたらしい。
 ストレッチでほぐしていると、それにしても、とアシスタントが口を開いた。
「さっきの患者?さん、不思議でしたね。胸から音がするなんて」
「ああ……」
 そうだね、と頬杖をついた。症状としては確かに不思議だろう。
「でも、否定しなかったじゃないですか。ああいうのも、大事なテクニックのひとつなんですか?」
「いや、音はしていた」
 デスクに置いたカルテを開いて、カウンセリング内容を確認する。アシスタントも、業務上ある程度はカウンセリング内容を知ることができることになっているし、カウンセリング時も患者の了承のもと、隣に控えていた。
「えぇ?」
 信じてないな、とわかる顔でアシスタントは声を上げる。ほんとうだよと返して、自分の胸を人差し指でとんとついた。
「手を当てたら本当に音がしたんだよ。それに、嘘はついてなかった。ほんとうに音がするから不安でやってきたんだ」
「見えたんですか」
「ああ、見えたよ。不安から安堵に変わったから、笑ったら音は消えたんだろう」
 さすが、と言われて少し複雑なのは、自分の能力のせいだ。
 心理の魔法使い。心のありようを感じることができるという魔法は、己が使おうと思わずとも、相手の感情を読み取ってしまう。
 魔法の力を磨けば心を読むことも、操ることもできるとされているため、『神の恩恵』のひとつに数えられている。ただし、危険な力のために完全な制御が強制され、心を操った時点で王宮に伝わり即時処刑とされている。
 その証として、胸には王家の紋章の入ったペンダントをつけられている。常に魔力の流れと魔法が監視されているというわけだ。
 しかし、それはそれとしてある程度心を読むことは許されているために普段は心理カウンセラーをしている。能力を生かす仕事として、王宮から斡旋されたものだ。
 心理の魔法使いにはもってこいの仕事だと、ありがたい部分はある。
「へぇ……不思議なものですねぇ。感情が音になっている、ですか」
「ああ。もしかしたら、音の魔法使い、かもしれないね」
「そうすると、音を操れそうな気がしますけどね」
 そうかもしれないね、と返しながらとりあえずカウンセリングは終わったのだからこれ以上は詮索無用とカルテを閉じる。
 魔法はありとあらゆる形で存在する。神の加護が宿ったものとされているため、すべてがわかっているわけではないのだ。
「まぁ、その辺りはアカデミーの魔法研究家あたりが調べてるんじゃないかね」
「そうですね」
「とりあえず、私たちはお腹が空いて音が鳴る前に、お昼ご飯としようか。私たちの場合、カラカラじゃなくてぐうぐう鳴ってしまう……」
「そうしましょう」
 アシスタントは答えていそいそと『午前のカウンセリング終了』の札を部屋の前に掛けに行ったのだった。

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