文披31題:Day10 散った
この日だけは、夜に出歩いてはいけないよ、と口酸っぱく親から言われている日があった。
盆の近く。けれど盆の当日ではなく。盆の見送りの、その後の日。
毎年その日は違っていた。だからこどもたちはその日がいつか、夏休みに入る頃まで知らされなかった。
ただ、夏休みを迎える前後に、今年はこの日の夜に出歩いてはいけないよ、と大人たちは申し合わせてこどもたちに言い聞かせていた。
長じるにつれ、その日の由来を考えるようになり、あるとききっかけの一つに気づいた。
町内に多くの檀家を抱える寺の池に咲く蓮の花に、ひときわ大きく花をつけるものがある。それが散るときが「あの日」にあたるのではないか、とひらめきのように思い至ったのだ。
通常、蓮の花は咲いて四日ほどで花びらが落ちて枯れる。けれど、その大きな蓮の花は一週間ほど花が続いている。おばけ蓮、とこどもたちはおもしろがっており、年に一人は自由研究として観察日記をつけるこどもがいるくらいに当たり前にあるものだったから、意識しなければ気づくことはなかっただろう。
きっかけは、昨年の春に祖母が亡くなったことだった。春の終わりに、眠るように穏やかな死を迎えた祖母を、本人の希望もあり粛々と穏やかに見送った。
「今年の夏は、なおさら……」
「そうですね……蓮の花を……」
大人たちの会話を偶然耳にして、あの「おばけ蓮」を思いだした。そうして、祖母を見送って後、四十九日を迎える頃には盆を含めて前後一週間はおとなしくしているようにと両親に言い渡された。
いつもより期間が長いんだねと言うと、「そりゃ、新盆だからな」とあっさり言われた。何もなければそうだなと納得してしまうほどに淡泊な返事で、大人たちの会話を耳にしていなければ、違和感なく過ごして終わりだっただろう。
けれど、気づいてしまったからには意識せざるを得ず。毎日通る道から見える寺の池を気にするようになり、今年はあの花が「おばけ蓮」になるのだなと目星をつけて。
そうして、大人たちがこどもたちに向かって「あの日」を伝えたのだ。だが、その時点では「おばけ蓮」と「あの日」の絶対的な共通点は見当たらなかった。
確信したのは、「おばけ蓮」がすべての花びらを落としたのに気づいた日が、カレンダーに描かれた赤丸の「あの日」と指定された日付と同じだと気づいたときだ。
「散った」
父が食卓で母に告げて。母はそうね、と答えた。
今年のおばけ蓮も終わりか、とカレンダーを見て、赤丸に気づいて、確信した。その視線に気づいているのかいないのか、両親は「今日はひときわおとなしく過ごすこと」と言い含められ、日没には家族そろって祖母に手を合わせた。
そのまま何事もなく祖母の喪に服して時は過ぎていったが、「あの日」のからくりに気づいても、どうしてこどもたちを戒めるのか、それだけはわからなかった。
季節は一巡りして、翌年の夏を迎えて。同じように「おばけ蓮」と「あの日」がわかってこどもたちに伝えられて。
「散った」
父が、同じ言葉を母に告げた。そうね、と応える母も同じだった。
けれど、翌日のこと。父は起き抜けに受けた電話を切った後、母に向かって前日と同じく「散った」と告げた。ただし、前日と違うのは声は奇妙に平坦で顔は真っ青なことだった。
母はそれを聞いて持っていた食器を落として割り、片付けもそこそこにして近所の家に電話をかけ始めた。
町中が大騒ぎになった。昼間に時間の融通が利く大人たちが寺に集まり必死な顔で何かの準備をしていた。
「鎮めねば」
その夏の終わりに、異例の祭りが寺で行われた。静かに行われる祭りは異様だったが、境内に続く道には屋台も来ていてこどもたちははしゃいでいたのが少し救いだった。
ただ、おかしなことにこどもが一人減っており、さらに花びらが散ったはずの寺の「おばけ蓮」が咲いていた。おばけ蓮は、花びらが真っ赤に染まっていた。けれど誰も口にしない。
ぼんやりと蓮を見つめていると、いつの間にか隣に立っていた父が肩に手を置いて尋ねてきた。
「見えるのか」
「蓮が、赤く染まっていること?」
見えるよ、と応えると、そうか、とうなずいた後に「誰にも言うなよ」と言われた。来年からは夏の寄り合いに顔を出すようにも、と。
家に帰り告げられたのは、寺の池に咲いている蓮には鎮めの力があるが、掟を破るとひどい祟りをもたらすということだった。寺で鎮め、花で鎮めているがその掟の範囲内になってしまうのだと。
今年はこどもが首なしで、と言いかけられ、それ以上は聞くのをやめた。
来年は通達の手伝いよろしくな、と言われて顎を引いた。脳裏に真っ赤な「おばけ蓮」が揺れているのがよみがえり、凄惨な色合いなのにどこまでも清廉な気配ですごいなとおかしな感想を覚えた。
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