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文披31題:Day28 ヘッドフォン

 耳に入る音すべてがわずらしいもので、どうにかして遮断できないものか、そればかり考えていた。
 世の中にはいろんな音がありすぎる。綺麗な音も、汚い音も、みんな混ざってめちゃくちゃだ。
「そんな風に聞こえないよ」
 言われても、自分は聞こえてしまうのだから仕方がない。みんなが聞こえないことがわからなかったし、自分が聞こえることも伝わらなかった。
 そして時折、自分の口にする声が聞かせる相手に意味をなすものになっていたり、そうでないときがあることに気づいた。
 前者は聞かせた相手が自分の思い通りになったり、後者はそもそも声が届かなかったり。
 それを母親に訴えると、アカデミーの魔法診断士のところに連れていかれた。魔法診断士は緑色の外にぴんぴん跳ねた髪をしたそばかす顔の、すごく若く見える女性で、自分を見るなりこういった。
「おやまぁ音の魔法使い! これはまた生きづらそうだこと!」
 あんまり大きな声で言うものだから耳が痛くて押さえると、謝りながら、
「これを使うといいよ。こうして、耳に当てると少しは楽になると思う」
 と大きな耳あてのようなものをくれた。クッションのようなものが両側についていて、押し広げて頭を挟む形で使うものだ。
 魔法診断士が使い方を教えてくれながら耳に当ててみると、ふ、と体が楽になるのがわかった。
 音が、遠くなった。
「お、いい感じみたいだねぇ。楽そうな顔になった。その場しのぎではあるけど、とりあえずそれでひとまずこらえてみてよ」
 にこにこ笑いながら無理しないでねと言われて、初めて人の声を聴くことができた気がした。
 もらったものはヘッドフォンというもので、本来は音を聞くための道具らしい。けれど、自分にとっては多すぎる音を遮って、普通の人たちが聞いている数の音まで引き算することができる道具だ。
 両耳をすっぽりと覆っているため、まわりからは本当に聞こえているのかと心配されていたが、難なく会話ができることを伝えると、改めて音に苦しんでいたことがよく伝わった。魔法診断士の診断様様だ。
 音の魔法、と言われても、周りも自分もよくわからず、ただ耳のいいこどもとして過ごしていたが、ヘッドフォンをしてからは不思議な装飾物をつけているけれど普通のこどもになることができた。
 このまま成長し、魔法使いと言いながら魔法を使わない生活でもするのかなと思っていたがさすが、ヘッドフォンひとつで魔法の力は抑えられるものではなかったらしい。
 成長するにつれ、こども時代のように耳障りな音を感じるようになっていることに気づいたのは、アカデミーに進学してすぐのことだった。
 一応、魔法使いであるならば学ぶべきことは学んでおこうと進学してきたわけだが、当初から失敗だったのではと感じてしまう。
 アカデミーはいままでの規模とは格段に違う大きさのコミュニティが広がっていて、その様々な人や魔法の力に触れる機会も当然多くなる。すると、刺激も多く心身ともに敏感になる。
 結果、成長と共に強まった魔力が発露し、音を感じるようになってしまったというわけだ。
 ヘッドフォンで遮ることのできる限界を知り、どこか静かな場所はないかとアカデミーの中をさまよい、飛び込んだのは音楽室だった。
 音に追われて音楽室に、なんておかしなことと気づいたのは扉を閉めてからで、それでも防音効果の高い部屋のおかげか少し楽になる気がする。
 幸いアカデミーの中でも中心部から離れた位置にある音楽室は人もまばらで、様々な人が行き交っていた場所よりも人の気配は薄い。
 大きく息をついて、浮いた汗をぬぐおうといったんヘッドフォンを外す。
 ポーン……
 聞こえた楽器の音に、なぜか耳を澄ませる。不意に聞こえた音なのに、不快に感じなかった。
 常であれば音に対して敏感すぎるこの体は、ヘッドフォン越しでない今ならなおさら不快なはずなのにむしろ、もう一度聞きたいと思ってしまうほどにするりと耳に飛び込む音だ。
 音楽室は、入り口からさらにいくつかの防音室につながっている。自分だからこそ、その漏れた音を耳にすることができたのだが、なぜかその音の出所がすぐにわからない。
 防音室をのぞいて探せばいいものを、なぜか音を聞いて探したくなってしまっていた。もう一度聞こえたらどこかわかるのに。鳴らさないかなと待ってみる。
 ポーン……
 聞こえた。今度は和音だ。ピアノの音。
 防音室の一つに顔を向け、近づいていく。練習を始めたのか、何かの曲を演奏しているようだ。
 ものすごく上手いというわけでもないのに、なぜか聞き入ってしまう、優しい音だ。
 音の響いてくる防音室の近くにあった椅子に腰かけ、演奏に聞き入る。演奏は何度か躓くことはあるものの、楽譜も運指も頭に入っているのかよどみなく演奏は続いていく。
 一度最後まで終わると、もう一度最初から。絡まった糸がほどけるように、演奏は滑らかさが増していく。
 気づけば演奏に合わせて指を振っていた。まるで指揮者のようだと気づいて笑ってしまう。
 頭の奥をかき回すような、騒がしい音は聞こえない。優しいピアノの音だけが、頭と心にそっと鳴っている。
 音に合わせて振っていた指に光が灯り、線を描き始めた。聞いた演奏が、可視化された音符となって浮いている。いくつもいくつも音符が現れると、踊り出すように音符が動く。
 自分の魔法はこれだったのか、と笑いながら、じゃあ、ともう一度指を振る。
 ピアノの音に合わせて、小さなセッションが始まった。ピアノの音ではない、違う楽器。おそらく演奏者には届かない。けれど、自分だけが知っている、音楽会。
「え! 何これ、何してるの!?」
 驚いた声が音楽室に響いた。初めての音の魔法を楽しんでいたせいで、ピアノの演奏者が防音室から出てきたことに気づかず音を鳴らしてしまっていたのだ。
 慌てて魔法を止めようとするが、何せ初めて使った魔法のせいで止め方がわからない。音符は生きているように音を鳴らして、使い手が指揮をするのをやめたことにより、好き勝手に音楽を始めてしまう。
 慌てる音の魔法使いと楽しそうに踊りながら音を鳴らす音符たちを、演奏者はぽかんとしながらしばらく見つめ続けていたが、不意に大きな声で笑いだした。
 それは、あのピアノと同じような、心地の良い音だった。
「何してるの、あなた、音の魔法を使う人なの? なのにうまく扱えてないのね!」
 けらけら笑いながら、音符を見つめるのは、同じ年ほどの少女だった。好奇心に満ちた緑色の目が、こちらと音符を何度も行き来している。
「すごいのね、音を具現化させて鳴らせるの? もしかして、この曲って私が弾いてたピアノに合わせて?」
「そう、です……勝手にごめん」
「何を謝るの? 面白いじゃない 今度は一緒に演奏してちょうだいね!」
 屈託のない笑顔と申し出は、音楽が楽しくて、愛しくてたまらないとわかるものだった。

 それから二人は友人となり、たくさんの音楽を楽しむ仲になったのだが、どうしても不思議なことがあった。
 どうしてあんなに普通に接してきたのと尋ねると、彼女はぱちりと瞬きして、いたずらげな顔でこちらの頬をつついた。
「私より慌てるあなたの姿を見たら、なんかおかしくなっちゃった。それに、音楽は綺麗で、悪い人じゃないと思ったのよ」
 あなたも音楽が、この世界の音が好きなのよね!と出会った時と同じようにけらけら笑いながらピアノを鳴らす。
 つられたように無意識に指が動き、音が生まれる。合わさって新たな音楽が生み出されていく。
「ほら、もうとっても楽しいわ!」
 もう、わずらわしい音はない。ヘッドフォンはいらないな、と彼女の笑顔を見て実感するのだった。

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